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第10話:復元の予兆と、塩チョコ隠蔽プロトコル

地下要塞『アジール』の室温は、本日も快適な21度に保たれていた。

7月下旬の王都は連日の猛暑日だが、この絶対隔離シェルターの中だけは、まるで高原の別荘のような涼やかさである。


「——本日の糖分およびミネラル補給タスクを開始。回収目標、完了」


ホナは無表情のまま、秘密基地の冷蔵ストレージに「それ」を恭しく収めていた。


裏ギルドの極秘ルート(という名の『アッシュ』としての闇取引)で手に入れた、特別な品。

塩気とコク深いカカオが見事に調和した最高級塩チョコレート、そしてキンキンに冷えた炭酸清涼飲料水——『ソルティ・カザフ』である。


何を隠そう、ホナはこの『ソルティ・カザフ』が大好物だ。

過酷な勉強や深夜作業の合間に、脳内CPUの補給として貪るように飲んでいた至高の逸品である。


「はぁ……冷やしたソルティ・カザフ……後でひとりで飲もう……」


重い前髪の奥で、ほんの少しだけ口元を緩ませるホナ。

その時、後ろから「ふあぁ」と欠伸をしながらルミナリアが歩いてきた。


「んー、ホナちゃん……なにコソコソ隠してるの〜?」


「っ!? な、何でもありません! 単なる夏休みの備蓄用食料です!」


ホナはロボットのような素早さで冷蔵ストレージの扉を叩き閉めた。

心拍数が一気に跳ね上がる。


ルミナリアは首にかけたヘッドホンをパタパタさせながら、ソファーに倒れ込むと、ふとストレージのロゴをまじまじと見つめた。


「……ソルティ・カザフ?」


その瞬間、ルミナリアの琥珀色の瞳が、微かに揺れた。


「あれ……? なんか、これ……」


ルミナリアが頭を押さえ、ぽつりと呟く。


「すごく、知ってる気がする……。誰かが、すっごく嬉しそうにこれを食べたり飲んだりしてる姿……見たことあるような……」


(――っ!!!!???)


ホナの脳内CPUに、全システム緊急停止レベルの警報音アラートが鳴り響いた。


(記憶……!? 由奈先輩の記憶が、戻りかけている……!?)


異世界から拉致され、『プロジェクト・クロノス』によって記憶を書き換えられた七瀬由奈。

もし彼女の記憶が戻れば、自分が高校の後輩である穂波歩実だとバレてしまう。


『後輩のくせに裏社会で格好つけて『運び屋アッシュ』なんて名乗ってたの?』

『私のこと騙してたんだ……』


そんな風に失望される未来を想像しただけで、ホナの脳内回路は熱暴走を起こしそうになった。


(ダメ! まだダメです! 完全な記憶復元コードを取り戻す前に、中途半端に思い出させて混乱させるわけにはいかない……! 何より、先輩に嫌われるのは絶対に嫌です!!)


コンマ01秒の思考の末、ホナは冷徹な「ポーカーフェイス(隠蔽プロトコル)」を発動した。


「……気のせいです、ルミナリア様」


ホナは努めて平然とした、どこまでもクールな声でと言い放った。


「この『ソルティ・カザフ』は、最近王国の若者の間で大流行している大衆的な清涼飲料水およびチョコレートです。街に出れば誰でも知っていますし、単に味が美味しいから誰もが買い求めているだけに過ぎません。あなたの過去とは何の関係もありませんわ」


「えっ……? あ、そうなの? 流行ってるだけ……?」


「ええ。味覚の流行に脳が錯覚を起こしただけです。ほら、冷えていて美味しいですから、どうぞ」


ホナは素早く『ソルティ・カザフ』の塩チョコを一粒、ルミナリアの口元へ差し出した。

誤魔化すための、必死の糖分投与である。


「ん……もぐ。……わ、ホントだ、すっごく美味しい……!」


パッと表情を輝かせるルミナリア。


「甘くて塩っぱくて、脳みそのシナプスがビンビン動く感じ! これ好きかも!」

「……でしょう。大衆向けの、ただの美味しいチョコです」


ルミナリアが美味しそうにチョコを頬張る姿を見て、ホナは内心で胸を撫で下ろした。


(ふぅ……なんとか誤魔化せました……。危機管理コスト、最小限で回避完了……)


「あ、ホナちゃんも食べる? はい、あーん」


ルミナリアが自然な動作で、自分の食べた塩チョコの残りをホナの口元へ差し出してきた。


「っ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!??!?」


(あ、あ、あーんにゃ!? 先輩から直接チョコを『あーん』……っ!? しかも指先が唇に触れそうな距離……!!)


「ホナちゃん? たべないの?」

「……いただき、ます……」


パクッとチョコを咥え込んだ瞬間、ホナの顔面は茹で上がったタコのように真っ赤に染まり、脳内温度が限界値を突破した。


(甘い……美味しい……いやチョコの味どころじゃないです先輩!! 距離感が近すぎます!!)


冷徹な最強の運び屋アッシュは、塩チョコ一粒で完全に撃沈したのだった。



「あ、二人とも『ソルティ・カザフ』食べてるんですか? 私も冷たい方のドリンク、いただきますね!」


あとから起きてきたリーネが、嬉しそうに缶の炭酸飲料を開ける。

シュワッと爽やかな音が、快適な地下シェルターに響き渡った。


ルミナリアの記憶の復元は、着実に近づいている。

けれど今のこの場所には、猛暑の夏を忘れさせる、冷たくて甘い穏やかな時間が流れていた。


(第11話へ続く)

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