08.アイドル、貶される
翌昼、奏はバーバラに頼まれた買い出しのため、スラム街と一般居住区を隔てる巨大な石造りの境界門の近くを歩いていた。
カゴの中には、酒場で出す安価なジャガイモや、傷物の野菜が詰まっている。スラムでの生活は、日本での華やかなトップアイドル生活とは文字通り天と地ほどの差があった。ふとした瞬間に、あの眩しいドームの光景や、冷たいミネラルウォーター、完璧に空調の効いた楽屋の居心地の良さが頭をよぎることも、正直に言えば一度や二度ではなかった。
「おや……。おい、見ろよ。あれは、ひと月前に我が国が『無能』として追放した、あの巻き添えの異邦人ではないか?」
背後から、小馬鹿にしたような、ねっとりとした声が降ってきた。
振り返ると、そこにはきらびやかな刺繍の入った上質な法衣を纏い、数人の衛兵を従えた若い王宮の文官が立っていた。かつて王城の玉座の間で、国王の隣で奏を『ただのゴミ』と笑っていた役人の一人だった。
役人は、奏が身につけている安物の衣服と、泥のついた野菜のカゴ、そして彼の向かう先にある薄汚れたスラム街を交互に見つめると、これみよがしに鼻を鳴らした。
「クククッ……。歌姫とやらが、今やスラムのドブネズミ相手に、メイドの格好をして媚びを売っているとはな。なんと哀れで、なんと落ちぶれた姿だ。我が国の誇る勇者様や聖女様は、今や魔王軍の眷属を討ち倒し、国中の人々から救世主として崇め奉られているというのに。戦えぬ娯楽の道具など、やはりその泥濘の底が、お似合いの場という訳だ」
衛兵たちも下品な笑い声を上げる。彼らにとって、奏は『華やかな世界から脱落した、惨めな敗北者』でしかなかった。
役人は、これ以上関わるのも汚らわしいと言わんばかりに、わざとらしく鼻をつまみ、手を払った。そして、贅沢な馬車へと乗り込み、砂煙を上げて去っていった。
残された奏は、カゴの取っ手を握る手に、ぎゅっと力を込めた。『落ちぶれた』という言葉が、胸の奥に冷たく澱のように沈んでいく。確かに、客観的に見ればそうなのかもしれない。数万人の前に立っていた自分が、今は日銭を稼ぐために、スラムの狭い酒場で歌っている。その事実は、彼のプロとしてのプライドを、かすかに揺さぶるには十分な毒を持っていた。
「なんだよ、アイツ。あんたらの都合で召喚しといて。こっちからごめんだわ。あー、もうムカつくな」
少しだけ重くなった足取りで、奏は夕暮れのスラム街へと戻ってきた。『夜鴬の止まり木亭』の前に差し掛かったとき、ふと、店の裏手にある小さな路地から、聞き馴染みのあるハミングが聞こえてきた。
おそるおそる路地裏を覗き込むと、そこには、服のあちこちに継ぎ接ぎを当てたスラムの孤児の幼い少女と、先日の討伐クエストで片足を深く負傷し、前線を退いて自暴自棄になっていた中年の元冒険者の男が座り込んでいた。




