06.アイドル、スキル発動
「……あの、ちょっと、そこをどいてください」
「あぁ?」
奏は詰め寄ってきた大男の腕をすり抜けると、カウンターの隅にあった雑巾とバケツ、そして古びた箒をひったくった。
「こんな汚いとこで、プロの仕事ができるわけないじゃん! ご飯を食べてる人には申し訳ないけど、こんなんじゃ話にならない」
そこからの奏の動きは、もはや神技だった。
箒をひと振りすれば、床のゴミが一瞬で一箇所に集まり、雑巾を滑らせれば、何年もこびり付いていた油汚れが、まるで魔法のように消え去って新品のような輝きを取り戻す。残像が見えるほどの超高速かつ無駄のない動きで、わずか数分で、酒場全体の半分がピカピカに磨き上げられていく。
「な、なんだ。あのガキの動きは……!?」
「目で追えねぇ……! 聖騎士の剣技より速ぇぞ!?」
荒くれ者たちが呆気にとられるなか、奏は汚れたバケツを置き、息を整えた。そして、店内の中央にある、即席の荷物置き場になっていた古びた『お立ち台』の上へと、流れるような動作で飛び乗った。
手にした箒の柄をマイクに見立て、奏はキリッと表情を引き締める。
どれほど劣悪な環境でも、目の前に観客がいるのなら、笑顔にするのがプロのアイドルだ。国を追われた絶望を吹き飛ばすように、彼は自身のもうひとつの最大スキル【歌唱スキル:10】を解放した。
「それでは、聴いてください。僕の、最高の歌を」
奏はポケットにしまい込んでいた携帯電話を取り出し、自分の曲を流し始めると、最大音量にし、そこらへんに置いてあった酒樽の上に置いた。
奏の唇から零れ落ちたのは、その場にいる全員の心臓をダイレクトに掴むような、圧倒的に澄み切った歌声だった。
その声は、スラムの淀んだ空気を一瞬で清涼な風へと変え、安酒で濁った荒くれ者たちの鼓膜を優しく、力強く震わせた。歌詞の意味はこの世界の人間には分からなかったかもしれない。だが、メロディに込められた『プロの誇り』と、聴く者を絶対に幸せにするという『純粋な祈り』は、言葉の壁を越えて彼らの魂に届いていた。
激しい乱闘を起こしかけていた大男たちの手が、ゆっくりと離れていく。
酒を催促していた冒険者が、ジョッキを持ったまま涙をポロポロと流し始めた。スラムという地獄で、明日をも知れぬ命を繋ぐ彼らにとって、奏の歌声は、生まれて初めて触れる『本物の救い』そのものだった。
歌い終わり、奏が完璧なアイドルポーズで一礼をすると、静まり返っていた酒場に、爆発するような大歓声と嗚咽が響き渡った。
「うおおおっ! なんじゃこりゃ! 神様! 俺は今、天国にいるのか!?」
「天使だ……! スラムに天使が舞い降りたぞぉぉぉっ!」
「ふん、派手にやってくれたじゃないかい。とんだ営業妨害だね」
「……あっ、すみません、つい」
興奮の坩堝と化した店内の奥から、ドスン、と凄まじい威圧感を放つ一人の筋骨隆々な中年女性が現れた。彼女はバーバラと名乗った。彼女こそが、この酒場の女将であり、のちに元Aランク冒険者として名を馳せたと荒くれ者から聞いた人物だった。




