05.アイドル、スラム街へ
石畳はひび割れ、あちこちに異臭を放つ生ゴミが放置されている。建物の大半は木材が腐りかけ、窓ガラスの代わりにボロ布が打ち付けられていた。そこは、きらびやかな王都の影に隠された、犯罪と貧困が渦巻く『スラム街』だった。
一歩足を踏み入れた瞬間に分かった。ここは、堅気の人間が生きていて良い場所ではない。路地の奥からは、濁った瞳をした男たちが、奏の白い衣装を品定めするように見つめている。足が震え、呼吸が浅くなる。
その時、体力の限界を迎えていた奏の目に、古びた木製の看板が飛び込んできた。
殴り書きされた文字と、酒樽の絵。激しい地鳴りのような怒号と、下品な笑い声が中から漏れ聞こえてくる。普通なら絶対に近づかないような禍々しい雰囲気の酒場だったが、背後に迫るスラムの住人たちの足音から逃れるように、奏は半ば飛び込むようにして、その古びたドアを押し開けた。
「おい! 酒が足りねぇぞ! さっさと持ってきやがれ、ババア!」
「うるせぇよ、てめえらのツケがいくら溜まってると思ってんだ! 飲みたきゃ金を置きな!」
扉を開けた瞬間、熱気と、安酒の酸っぱい臭い、そして強烈なタバコの煙が奏の鼻腔を突いた。
店内には、傷だらけの甲冑を着た冒険者や、服のあちこちに血の跡がついた荒くれ者たちがひしめき合い、互いに胸ぐらを掴み合って今にも乱闘が始まりそうな、最悪の治安状態だった。
そんな混沌のド真ん中に、場違いな『白と青のステージ衣装』を着た少年が迷い込んできたのだ。一瞬、酒場全体の時が止まったように静まり返り、すべての荒くれ者たちの視線が奏に集中した。
「あん? なんだぁ、そこの美味そうなガキは……。王宮の迷子か?」
「へへ、上等な服着てんじゃねぇか。剥ぎ取って売れば、今夜の酒代くらいには……」
一歩一歩、大男たちが距離を詰めてくる。普通の少年なら、恐怖で泣き叫び、腰を抜かしていただろう。だが、奏は違った。彼は、何万人もの熱狂と狂気に満ちた視線を浴び続けてきた『プロのアイドル』だ。人々の放つ『悪意の熱量』に対しても、奇妙な肝の据わり方を発揮した。
さらに、奏の視界には、男たちの下品な顔よりも、『耐え難いほどの店内の汚さ』が先に飛び込んできていた。
テーブルにはこぼれた酒がこびり付き、床には泥と食べ残しが散乱し、食べ終わった木皿や木製ビールジョッキはそのまま放置されている。
日本での過酷な芸能界生活において、衣装の管理や徹底的な体調管理、楽屋の整理整頓を完璧にこなしてきた奏のなかで、無自覚に秘められていた能力が爆発した。
――異世界で覚醒した、彼のステータス。それが【家事系スキル:10】だ。




