38.アイドル、目撃してしまう
そんなある日の午後。
奏は、城の最上階に近い西翼の回廊を、モップを手に掃除していた。このエリアは普段、あまり人が立ち入らない静かな区画のはずだった。
しかし、ある大きな黒鉄の扉の前に差し掛かった瞬間、奏はピタリと足を止めた。
「……何、これ。すごく『不浄』な空気が漏れ出してる……」
その扉には、禍々しい漆黒の鎖が何重にも巻き付けられ、これみよがしに『絶対立入禁止! ※開けたら魔界が滅びます』と刻まれた不気味な呪符がベタベタと貼り付けられていた。
そこから漏れ出しているのは、野生の魔物が放つような殺気や瘴気ではない。もっとこう、ドロドロとした、人間の――いや、生命の限界を超えた怨念というか、執念というか、計り知れないほど濃密で重苦しい『何か』のプレッシャーだった。
(普通の魔物なら、この前に立っただけで発狂して死んじゃうかもしれない。……でも、僕の【家事系スキル】が、この部屋は今すぐ徹底的に『大掃除』しなきゃダメだって叫んでる!)
プロの自称ハウスキーパーとしての直感が、奏を突き動かした。これほど汚悪なオーラを放つ部屋を放置しておくなど、彼の美学が許さない。
奏は『絶対立入禁止』の文字を完全に無視すると、巻き付けられていた『漆黒の鎖』(※のちに世界最高峰の封印結界だと知る)を、家事系スキルの謎の腕力でバキバキと素手で引き千切った。
ガチャン、と重々しい音を立てて、引き千切った鎖が床に落ちる。
「よし、失礼します!」
奏は気合を入れると、不浄の根源であるその重い扉を、思い切り勢いよく両手で押し開けた。
「――えっ」
扉を開けた瞬間、奏の視界に飛び込んできたのは、彼が想像していた『生贄の祭壇』でも『暗黒の実験室』でもなかった。
そこは、天井から床に至るまで、狂気としか言いようのない色彩で埋め尽くされた空間だった。
壁一面、文字通り一ミリの隙間もなく貼り付けられているのは、スラムの酒場で歌う奏、エプロン姿で微笑む奏、古竜に抱きつく奏など、ありとあらゆる角度から隠し撮りされた、超高画質な奏のポスターの山、山、山……。
さらに部屋の中央には、現代日本の最新技術も真っ青の超巨大な魔導液晶スクリーンが設置され、そこには奏がルミナス王国に召喚された初日から今日に至るまでの『全ライブ・日常映像の総集編』が、爆音で垂れ流されていた。
――そして。
その大画面の前で、頭に『奏しか勝たん!』と血文字で書かれたハチマキを巻き、両手に怪しいド紫色の光を放つ超高輝度の魔導サイリウムを六本ずつ挟んだ、漆黒の角を持つ長身の男――魔王アスモデウスが、床が抜けんばかりの勢いで大暴れしていた。
「――っ、はっ! 捧げよ! 我が血を! 我が魂を! 天上天下唯我独尊! 奏の笑顔は世界を救う! うぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっっ!!!」
(めっちゃキレッキレの高速ヲタ芸だな……。前世でもそんな人はいたけど、明らかにレベルが違う)
奏はただただ呆然とそのキレッキレな魔王の姿を見るしかなかった。というより、嫌でも目に入ってしまう。
世界を滅ぼしかけた絶対王者が、汗だくになりながら、プロのダンサーも驚愕するほどの完璧なフォームで、最愛の推しのための『ロマンス』と『マワシ』を全力で踊り狂っていたのだ。




