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35.アイドル、レトロな食堂に感動

 マルバスに連れられて地下へ下りると、そこは『地下』という薄暗いイメージを完璧に覆す空間だった。

 暖色系の魔導ランプが優しく灯り、深い木目を活かしたボックス席が並んでいる。ジャズのような心地よい音楽が静かに流れ、漂ってくるのは香ばしい珈琲と、肉が焼けるたまらない香り。


「えっ……これって、まるで日本のレトロ喫茶……?」


 奏は思わず日本語で呟きそうになった。


「さぁ、どうぞこちらへ」


 席に案内され、数分と待たずに出てきたのは、鉄板の上でジュージューと音を立てる、黄金色の目玉焼きが乗った分厚いハンバーグだった。デミグラスソースの濃厚な香りが鼻腔をくすぐる。


「た、食べても良いんですか?」

「はい、勿論。ここのシェフが腕によりをかけて作ったものです。どうぞお召し上がりください」

「では、お言葉に甘えて、いただきます!」


 ナイフを入れた瞬間、溢れ出んばかりの肉汁が噴き出した。【家事系スキル:10】を持つ奏だからこそ分かる。これは、肉の挽き方から火の通し方に至るまで、狂気的なまでのこだわりと愛が詰まった完璧な一品だ。

 口に運ぶと、肉の旨味とハーブの隠し味が絶妙に絡み合い、あまりの美味しさに頬が落ちそうになる。

 ルミナス王国に召喚されて以来、こんなにも心が安らぎ、温かい料理を食べたことはなかった。自分の尊厳を認められ、温かい部屋と極上の料理を与えられている。その事実が、奏の心を芯から癒していく。


「美味しい……本当に、美味しいです。……マルバスさん、魔王様って、本当はとても優しくて、素敵な方なんですね」


 奏はふっと張り詰めていた仮面を外し、前世のトップアイドル時代にも見せたことのないような、心からの、無垢で可憐な微笑みを浮かべた。


 ――その瞬間だった。


「ぶふぉっっっ!!!!!?????」


 静かな地下食堂の入り口から、およそこの世のものとは思えない、凄まじい勢いの『液体噴出音』が響き渡った。


「えっ!?」


 奏が驚いて視線を向けると、そこには、黒い高価なマントを羽織った、二本の角を持つ長身の男が立っていた。シルエットではない。紛れもない、あの玉座の間で世界を滅ぼしかけた魔王、アスモデウスその人だった。

 しかし、今の彼に威厳など微塵もなかった。

 奏の「素敵な魔王様」という呟きと、国宝級のピュアスマイルを間近で被弾した男は、顔を真っ赤に変色させ、両鼻からナイアガラの滝のごとき勢いで鮮血を噴き出していたのだ。


「あ……、あ……、推しが……、俺の最愛の推しが……、俺のことを、すてき、って……、微笑んで……ガハッ……!」


 男は、歓喜と尊さのあまり白目を剥き、そのまま後ろに直立不動の状態でドサァァァン!!と倒れ込んだ。完全に尊死である。

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