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33.アイドル、驚く

 遠くには、澄み渡るコバルトブルーの湖が太陽の光を反射してキラキラと輝き、そのほとりでは、見たこともないほど毛並みの良い、白い羊のような魔物たちが、のんびりと草を食んでいた。

 空を見上げれば、紫煙どころか、雲一つない快晴の青空。心地よい小鳥のさえずりが、開いた窓の隙間から、そよ風とともに部屋の中へと流れ込んでくる。


「うわぁ、風が気持ち良い……」


 何よりも衝撃的だったのは、その美しい田園風景の中で、たくさんの『魔族』や『亜人』たちが、麦わら帽子を被って楽しそうに農業に励み、子供たちが笑顔で走り回っている姿が見えることだった。彼らの表情には、ルミナス王国のスラム街の人々が常に浮かべていたような、飢えや恐怖、絶望の色など一微塵もなかった。そこにあるのは、完全に満たされた、平和そのものの『楽園』の日常。


「な、なんなの、これ……? あの禍々しい魔王城の噂は、一体なんだったの!?」


 奏は頭を抱え、大混乱に陥った。

 自分が今まで『正義の味方』だと信じ込まされ、仕えさせられていたルミナス王国の方が、よっぽど貧民を搾取し、ドロドロに腐敗していた。そして、世界を滅ぼす『悪の根源』と教えられていた魔王の領地の方が、信じられないほど豊かで、平和で、美しい景色が広がっている。

 世界の前提が、ガラガラと音を立てて崩れ去っていくような衝撃。奏が窓辺で呆然と立ち尽くしていた、その時だった。


 ――コン、コン、と。


 静かで、恐ろしいほどに見事な規則性を持ったノックの音が、部屋の重厚な木製のドアから響いた。


「ひゃいっ!?」


 奏は思わず、前世のアイドル時代にも出したことがないような、変な声を上げて飛び上がった。

 完全に油断していた。ここにいるのは、自分を抱きかかえたあの恐ろしい魔王か、あるいは凶暴な魔物の軍勢のはずだ。奏は瞬時に身構え、サイドテーブルの上の砕けたネックレスの破片を守るように、ベッドの前に立ちはだかった。


「失礼いたします、奏様。お目覚めになられたようで、何よりでございます」


 静かに開かれたドアから入ってきたのは――角が生えた巨大なバケモノでも、血に飢えたオークでもなかった。

 そこにいたのは、仕立ての良い漆黒の燕尾服を寸分の狂いもなく着こなし、雪のように美しい白髪を後ろに綺麗に流した、一人の老紳士だった。

 その背筋は定規で測ったようにまっすぐと伸び、手には銀のトレイに乗せられた、湯気を立てるハーブティーと、焼き立てのスコーンが用意されている。その佇まいは、ルミナス王国の最高級ホテルの支配人や、王宮の筆頭侍従長すらも足元に及ばないほどに、洗練された『完璧な執事』そのものだった。

 唯一、人間の老人と違うのは、そのこめかみから、静謐な藍色の小さな角が二本、上品に伸びていることだけ。

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