32.アイドル、感謝する
それは、古竜の巣窟で命を救ったお礼にと、ブランが自分の命の欠片を削って作ってくれた、絶対守護のネックレスだった。
『たとえ世界の理が崩れようとも、我が主の命を一度だけ、あらゆる死から完全に身代わりとなって救い出す』
あの時、ブランが言っていた言葉は本当だったのだ。クズ勇者に心臓を貫かれ、確実に死ぬはずだった奏の命を、このネックレスが、ブランの加護が、文字通り身代わりとなって砕け散ることで、現世に繋ぎ止めてくれた。
「ありがとう、ブラン……。君が守ってくれたこの命、絶対に無駄にはしないからね……」
奏の瞳から、ぽろぽろと涙が溢れ、手のひらの上の砕けた宝玉の破片を濡らした。悲しみだけではない、自分を無条件で愛し、守ってくれた尊い友への、深い、深い感謝の念が、彼の胸をいっぱいに満たしていた。
しばらくの間、感謝の涙を流していた奏だったが、プロのアイドルとしての切り替えの早さが、すぐに彼を現実へと引き戻した。
(泣いてばかりじゃダメだ。ブランが繋いでくれた命なんだから、まずはここがどこなのか、状況を把握しないと)
パジャマのボタンを留め直し、ふかふかのベッドからゆっくりと足を下ろす。床に降り立つと、驚くほどに身体が軽いことに気づいた。体力の消耗も、あの時の精神的な摩耗も、完全にリフレッシュされている。
奏は部屋の奥にある、大きなアーチ型の窓へと恐る恐る近づいていった。
ルミナス王国の教科書や、あのクズ勇者たちが道中で語っていた魔王領の噂を思い出す。
『空は常にどす黒い紫煙に覆われ、大地は乾燥してひび割れ、生き物の骨が転がっている、呪われた死の世界』
(きっと、あの恐ろしい魔王城のどこかに捕まっているんだ。窓の外には、血のような川や、おどろおどろしい処刑台が並んでいるかもしれない……)
奏はゴクリと唾を飲み込み、意を決して、美しい刺繍が施された白銀の遮光カーテンを、勢いよく左右に引き開けた。
窓から差し込んできたのは、目を細めるほどに心地よい、燦々と輝く純白の太陽の光だった。
まぶしさに目を擦りながら、奏が窓の外の景色を見下ろした瞬間――彼は、あまりの衝撃に完全に硬直した。
「……え? ……嘘、でしょ……?」
そこに広がっていたのは、地獄などでは断じてなかった。
どこまでも、どこまでも果てしなく続く、瑞々しいエメラルドグリーンの草原。ゆるやかな丘陵地帯には、美しく区画整理された黄金色の麦畑が広がり、のどかな風に吹かれてサラサラと音を立てて揺れている。




