30.アイドル、一命を取り留める
「……あ、あ……っ」
魔王はガタガタと巨体を震わせ、血の海の中に横たわる奏の元へと、五体投地するかのように膝を突いた。
その瞬間、奏の手のなかで、古竜ブランから貰った『宝玉のネックレス』が、爆発的な輝きを放ち始めた。
それは、世界を包んでいた魔王の黒い霧を瞬時に掻き消すほどの、純粋にして圧倒的な『生命の光』。
ネックレスの宝玉にひびが入り、そこから、かつて古竜が奏に授けた『絶対的な守護のエネルギー』が、濁流となって奏の体内に流れ込んできた。
古竜の加護。それは、主の死を一度だけ完全に無効化し、その因果を捻じ曲げる究極の奇跡。
奏の胸に開いていた、聖剣による致命的な風穴が、シュウウウと白い煙を上げながら、猛烈なスピードで肉を再生させていく。引き裂かれた血管が繋がり、骨が組み合わさり、溢れ出ていた鮮血が、まるで時間を巻き戻すかのように衣服を伝って傷口へと吸収されていった。
「――っ、は、あぁっ……!」
肺に、冷たい空気が勢いよく流れ込む。
命の灯火が、消えかけていた蝋燭に再び大きな炎が灯るように、劇的に、そして完璧に復活していくのを、奏は全身の細胞で実感していた。
光が、ゆっくりと収まっていく。
床に広がっていた血の海は綺麗に消失し、奏のメイド服の胸元には、聖剣で引き裂かれた布の跡だけが残されていた。その奥にある肌は、傷一つない、元の滑らかな白さを完全に取り戻している。
しかし、致命傷が完治したとはいえ、失われた精神的な疲労、そして奇跡のエネルギーを受け止めたことによる肉体への負荷は、一人の少年が耐えられる限界を遥かに超えていた。
「……よかっ、た……本当に」
奏は、目の前で涙をボロボロと流しながら自分を見つめている、二本の角を持った魔王の顔を、ぼんやりとした視界のなかで捉えた。
その顔は、世界の支配者などではなく、ただ、大好きな存在の無事を心から祈る、あまりにも純粋で、不器用なファンのそれだった。
魔王が、震える大きな手で、奏の身体を優しく、本当に大切そうに抱き上げる。その温もりに包まれながら、奏はふっと、張り詰めていたすべての緊張の糸が切れるのを感じた。
「……ちょっと、疲れちゃった……。つぎの、ステージまで……すこしだけ、休憩……ね……」
奏の長い睫毛が、ゆっくりと下りていく。
溢れんばかりの安堵感のなかで、彼は今度こそ、深い、深い眠りのなかへと意識を失っていった。
気を失った最愛の推しをその腕に抱きながら、魔王アスモデウスは、二度とこの宝物を離さないと誓うように、強く、けれど、どこまでも優しく抱きしめ直した。




