12.アイドル、目をつけられる
息を飲むバーバラの横で、奏は財宝の山の一番上、金貨のクッションに支えられるようにして置かれていた『一枚の薄い鉄板』に目を留めた。
そこには、精緻極まる彫刻によって、ある不気味な紋様が刻まれていた。
中心に描かれているのは、天を衝くような禍々しい『二本の角』。それを囲むようにして、血を吸って咲くという『地獄の薔薇』と、世界の破滅を象徴する『逆五芒星の陣』。
それを見た瞬間、バーバラの顔面から、文字通り血の気が完全に引き、白紙のように真っ白になった。
「な……、なぁ、嘘だろ? なんでまた、なんでまたこの紋章があるんだいっ!」
「バーバラさん? これ、何のマー……じゃなくて、紋章なんですか?」
尋常ではない女将の怯え方に、奏の背中に冷たい汗が伝う。バーバラは宝箱から弾かれたように距離を置くと、ガチガチと歯を鳴らしながら、掠れた声でその『名前』を口にした。
「ア、アスモデウス……。魔王だよっ! これは、数百年前に世界を恐怖のどん底に叩き落とし、今は世界の最果てにある常闇の城に君臨しているっていう、あの『魔王アスモデウス』の、絶対の不侵を意味する真性紋章さっ! なんでこうなっちまったんだ!」
「魔王の、紋章……!?」
バーバラは持っていた短剣を床に落とす。そして、震える自分の手を必死に掴み、落ち着かせようとしていた。その恐怖に怯える姿を見て、奏は目を丸くした。
人間界において、魔王といえば『人類の絶対悪』であり、世界を滅ぼすためだけに存在する恐怖の代名詞だとバーバラが以前教えてくれたのを思い出した。ルミナス王国が聖女を召喚したのも、その魔王の軍勢が国境に迫っているからだと、王城の役人たちが大騒ぎしていたのを覚えている。
そんな、世界の終焉を司るような存在から、なぜ、よりによってこのスラムの片隅にある、うらぶれた酒場のカウンターに、ダイレクトに財宝の山が届けられたのか。
「なんで、……なんで魔王が、あたしたちの店にこんなものをっ! まさか、これは『お前らの命の値段だ』っていう、恐怖の宣告なのかい!? それとも、これを受け取った奴は呪われて、魂ごと消滅するとでも言いたいのかい!?」
元Aランク冒険者のプライドは完全に崩壊していた。相手が魔族の軍勢の頂点ともなれば、一介の冒険者など羽虫も同然だからだ。バーバラは頭を抱え、店の中を狂ったように右往左往し始める。
「――こうしちゃいられねぇ! 奏、店を閉めるよ! いや、スラムから逃げるんだ! 今すぐ荷物をまとめな、奏! 魔王に目をつけられたら、この国ごと一瞬で消し飛ばされる!」
「えっ、ちょっ、ちょっと、ま、待ってください、バーバラさん! とりあえず落ち着いて!」
酒場全体が、未曾有のパニックと、底知れない恐怖の渦に巻き込まれていく。
しかし、混乱を極めるバーバラの後ろで、奏はもう一度、静かに宝箱の中身を見つめた。
「そんな大ごとじゃないと、僕は思うんですけど……」
「何言ってんだい。あんたの頭の中はお花畑かい? はぁー、幸せなご身分だこと」
「いや、最初は禍々しい呪われた感じがあったけど、今はなんて言うか、安全というか……」
「何言ってんだい! 『ソレ』のどこが安全って言うんだい」
確かに恐ろしい呪いの気配は最初に感じていたが、今は気配が無くなっている。禍々しい魔王の紋章はあるが、じっと見ていると、なんとなく感じるようなものがあった。
バーバラの制止を振り切り、奏は宝箱の中に手を突っ込んだ。大量の金貨や宝石の間から、ハガキサイズ程度の上質な紙切れが出てきた。奏は躊躇いもなく、それを読み進める。
『これを受け取って、どうか美味しいものでも食べて、綺麗な服でも買って、健やかに過ごしてください』
とても達筆に書かれたこの世界の言語。その筆跡から感じる妙に過保護で、どこか必死な、歪なほどの『真摯さ』を持って詰め込まれているように思えてならなかったのだ。これは長年アイドルとしてファンの子たちから貰ったファンレターを開けた時のような、そんな温かみを感じた。
しかし、なぜ魔王から、これほどまでの財宝が、この場所に届けられたのか。奏にはさっぱり分からなかった。




