第7話 一般的にはここが一番の難所です
安芸さんから話を聞いたあと、楓歌ちゃんはとにかく色んな声優事務所を調べていた。
楓歌ちゃんの目的は声優の鷹月桜祭に会うこと。
彼女の所属している事務所にも専属の養成所があるらしいから、最終的にはそこをめざすんだろう。
声優になるためにできる事は全部しようとしている楓歌ちゃんに対して、私は相変わらず声優になりたいわけではなかった。
だから別に事務所や養成所を調べたりなどしない。
……はずだった。
実際の私はと言うと、知っている声優さんの所属している事務所を調べて、それぞれの事務所の特徴を何となく把握するくらいにはなっていた。
最初はTRPGのネタに使えればいいかな位のつもりだったのに、いつの間にか調べるのが楽しくなってしまったのだ。
なんなら事務所の特徴のみならず、何人かの声優さんの簡単なプロフィールまで覚えてしまう始末。
楓歌ちゃん憧れの鷹月桜祭についても調べた。
苦境を跳ね返す頑張り女子。というのが彼女へのイメージだ。
さわやかで。タフで。かと思ったら透明感がある。
女の子が理想とする女の子だった。
そして知れば知るほど血のにじむような努力と、一筋縄ではいかなかった活動履歴に尊敬のような念を抱いていた。
「……」
「ねえ。小雪ちゃん」
「……」
「ねえってば。小雪ちゃん?」
「……」
「……ふッ」
「おわぁ!!」
考え事をしていた私の耳に生暖かい風があたり、女子ならざる声が出てしまった。
どうやら楓歌ちゃんが私の耳に息を吹きかけたらしい。
「ど、どうしたの楓歌ちゃん?」
「どうしたのはこっちのセリフだよ。心ここにあらずだったよ?」
「そんなはずないよ。楓歌ちゃんのいるところに私の心がないなんてありえない」
「そうなの? ってか、それよりもこれ!」
「え?」
「何で小雪ちゃんも養成所を調べてるの?」
教室の机に置きっぱなしの私のスマホの画面には、とある養成所のホームページが表示されていた。
楓歌ちゃんが不思議そうにそれを眺める。
「もしかして小雪ちゃんも声優をめざすの?」
「……うーん」
「あれれ。すぐに否定すると思ったのに悩んでる」
「だって楓歌ちゃんはもう絶対に声優をめざすんでしょ?」
「うん。もうどこの養成所にするかも決めたよ」
そうだろうな。
安芸さんの話を聞いた後、すぐに自分の考えを固めて決断したんだろう。
迷いのなくなった楓歌ちゃんの行動力はいつも凄まじい。
「そうなるとこれから声優の勉強に全力になるわけだから、部活も続けられないのかなって」
「やめないよ! 私が始めた部活だもん。引退のタイミングまでは続けるつもり」
「そっか。それは安心した」
私と楓歌ちゃんは幼馴染。
幼稚園も小学校も中学校も高校も一緒。
いつも一緒に遊んでいたし、習い事だって極力同じところに通っていた。
ずっと、同じ世界にいた。
でもこのままだと初めて大きく私達の世界が分かれるかもしれない。
それはとても怖い。
「……私も、めざそうかな」
一番の理由はやっぱり楓歌ちゃんと離れたくないから。
憧れの声優さんに会いたい。仲良くなりたい。そんな楓歌ちゃんの動機を不純に思っていたのに。
幼馴染との距離が離れるのが嫌だから、同じ仕事をめざすなんて私の方がよっぽど不純な動機だ。
「そうなの!? 本当に!? そうだったら嬉しいな!」
楓歌ちゃんが嬉しそうな声をあげた。
「1人だと心細いしさ。小雪ちゃんが一緒にやってくれるなら頼もしいよ!」
私の両手を掴んで花のような笑顔を浮かべる。
そんなに喜んでもらえるとは思っていなかったので、何だかこっちまで嬉しくなってしまった。
「楓歌ちゃんはどこの養成所にしたの? やっぱり鷹月さんと同じところ?」
「ううん。違うよ」
「違うの!? 何で? 仲良くなりたいなら同じ事務所を狙った方がいいんじゃない?」
「それはそうなんだけどさ。桜祭ちゃんが所属してる事務所が経営する養成所ってすっごいお金がかかるんだ。高校生の私にはとてもじゃないけど払いきれないよ」
「え? お金って親に出してもらうんじゃないの?」
「自分のやりたいことだもん。自分で出すよ。でも今の貯金だと少し足りないから高校卒業したらバイトして返す約束にした」
当然と言えば当然の話だった。
養成所に通うのだってお金がかかる。
私はそのあたりをリアルに考えていなくて、親に頼み込んで出してもらうつもりだった。
そもそも親に相談したところで協力してもらえるんだろうか。
今まで全く興味が無かったのに、突然声優をめざしたいなんて親からしてみれば意味不明だ。
「お金のこと全然考えてなかった……」
「普通はそうだと思うよ。私は何かやりたい事ができた時のためにコツコツ貯金してたし、両親にも援助してもらう話はずっとしてたからさ」
「偉いなぁ。そういうところから本気さを感じるよ」
「何だって準備をし過ぎるなんてことはないからね。小雪ちゃんがTRPGで教えてくれた教訓だよ」
確かに以前そう言った。
ダンジョンの探索や最後の戦いに挑む前に、やれる事は全部やっておこうね。個人で考えつく準備でやり過ぎるなんてないんだから、って。
自分で言っておいて自分ができていなかったなんて情けない話だ。
「楓歌ちゃんが選んだ養成所ってどんなところ?」
「養成所の上にある事務所に実績があって、高校生でも通えて、なおかつ費用が現実的なところ」
「そんなところあるの!?」
「結構あるよ。いくつかの養成所は学生も対象にしたモデルでやってるみたい。ますます安芸さんの話に説得力が出てくるね」
「賞味期限の話?」
「うん。あれから色々調べてみたんだ。全ての声優さんに当てはまっている訳じゃないと思うけど、確かにそういう傾向はあったよ」
せっかく声優さんを調べていたのにその部分はスルーしていた。
帰ったらそこを意識してもう一回調べてみよう。
「そうやって調べた中から、私の知ってる声優さんがたくさん所属している事務所が経営している養成所で、更にその養成所出身の人が多く活躍してる所にした」
「うん? 後半のはどういう意味?」
「養成所を卒業していても、そこの事務所に所属していない人もいるんだ。卒業してからまた別の養成所に入って別の事務所に所属した人や、過去に所属していたけど今は移籍して別の事務所にいる人とか」
「なるほど。だから今どこの事務所に所属しているかじゃなくて、過去にその養成所に通っていたかをフィルターにしたんだね」
「うん。調べても分からない人もいたけどね」
多くの声優さんを排出した養成所だからといって、結果を出せるかは自分の努力次第だ。
だけど少なくともその養成所にプロが生まれうる環境があるのは間違いない。
「じゃあ私もそこにする」
「いいの? 小雪ちゃんの希望に合う事務所なのかも分からないのに」
「正直何をやりたいのか分からない状態だから、楓歌ちゃんが選んだところを信じるよ」
「分かった。ちょっと待ってね。えーっと……ここだよ」
楓歌ちゃんがスマホで養成所のホームページを見せてくれた。
割と有名なところで、検索結果でも上位に出てくる所だ。
「確かに他のところに比べると料金は低めだね。レッスンも週に一回だし、ここなら現実的かも」
「今度安芸さんに会った時に相談してみるつもり!」
「じゃあ私は親に相談かな……」
興奮気味の楓歌ちゃんに比べて、私はどうにも気が重かった。
親に相談……。
親に相談かぁ……。
父も母も怖い人ではない。親子関係も良好だ。
七夕家は家庭円満と言って差し支えない。
私が心配しているのは両親の性格だ。
2人とも喜びと怒りのポイントがよく分からない人達なのだ。
ちっとも面白い事じゃないのに2人して爆笑してるなんてしょっちゅうだし、些細な事で怒ったかと思えば、結構大きな失敗をしても「まあ経験経験」とサラっと流してくれる事もある。
掴みどころが無さすぎてどういう反応が返ってくるのか予想がつかず、それが不安で仕方がない。
家に帰っても覚悟が決まらず問題の先延ばしが頭をよぎっていた。
でもそれはダメだ。
絶対に楓歌ちゃんと同じタイミングで養成所に通い始めたい。
もし援助を断られてしまったら別の案を考えなければいけない。
相談が遅くなればなるほど自分の首を締めるだけだ。
「……久しぶりにあれをやるか」
こういう時、私には自分を奮い立たせる儀式がある。
勉強机の引き出しから小さめの麻袋を取り出して、中に入っている物を机の上に広げた。
そこに転がったのはTRPG必須アイテムのダイス(サイコロ)だ。
色とりどりのダイスは6面体から20面体まで様々な種類がある。
その中から、0から9まで印字された10面体の赤色のダイスと青色のダイスを選んで右手に握り込んだ。
赤のダイスは10の位とし、青のダイスは1の位とする。
この2個のダイスを振って、例えば赤のダイスが7の目を出し、青のダイスが8の目を出したら数値は78だ。
どちらも0が出た場合は100とみなすので、このダイス2個で出る数値は1から100までとなる。
「出目51以上で成功。それ未満は失敗」
51以上が出れば両親への相談はうまくいく。
それより下だったらうまくいかない。
そういう想いを込めてダイスを振る。
これが勇気が出ない時にやる、私なりの儀式だ。
失敗したら更に気が重くなる。
でも成功したら覚悟を決められる。
「一発勝負のダイスロール!」
右手の中にあるダイスを机の上に転がした。
青のダイスは少しだけ転がって3の目を出した。
これで一番嫌な失敗パターンの ”50” を回避できた。
後は赤のダイスが5以上なら成功だ。
赤のダイスは思ったよりも回転したせいで机のハジまで転がっていき、ブックスタンドにぶつかって止まった。
出た目は……5。
「53。結構ギリギリだった」
こういう時は景気良く90とか出てくれればいいのに、だいたいギリギリ成功かギリギリ失敗する。
とは言えギリギリでも成功には違いない。
ダイスの神様がうまくいくと背中を押してくれた。
「よし。大丈夫。……楓歌ちゃんとの時間を勝ち取るんだ」
ダイスロールで覚悟を決め、迎えた夕食の時間。
思わず無口になってしまいそうになるのを堪えて、いつも通りに会話をする。
様子がおかしいのを指摘されたらそこで説明をしなくてはいけなくなる。
相談にベストなのは夕食後の時間だ。
そこまでは気取られないようにしないと。
何とか食べ終わるまでいつも通りを貫いた私は、父が部屋に戻ってしまう前に呼び止めて、母と一緒に話を聞いてもらった。
声優になるために養成所に通いたいと思っていること。
だけどお金が足りないので援助をして欲しいこと。
ごまかしは一切なし。
ストレートに今の状況と自分の考えを伝えた。
「……という訳なんだ」
これまで両親にお金に関するお願いをしたことが無かったので、こういう伝え方が正しいのか分からない。
でも2人とも笑うでも怒るでもなく真剣に話を聞いてくれた。
「ふーん。ちゃんと考えたらなら別にいいんじゃない?」
母が平坦な口調で言った。
「え?」
「考えなしで相談されても困っちゃうけどね。今後をしっかり考えた上での相談なら別に構わないわよ」
あっさりと承諾されてしまった。
母の隣にいる父もうんうんと頷いている。
「いいの? 声優だよ? 安定した職業とはとても言えないよ?」
「小雪。今の世の中に安定した職業なんてないんだよ。お父さんの会社だっていつなくなるか分からないんだからね」
父が突然不安になることを言い出した。
「あら。あなたの会社に倒産の予定でもあるの?」
「大丈夫。無いよ。でもいつそうなってもいいように心構えはしてる。僕は君達を守らなくてはいけないからね。そのための準備をし過ぎるなんて事はないんだから」
父が私が楓歌ちゃんに言ったのと同じことを言い出したので、ついつい首元がむず痒くなる。
「お母さんも言っていたけど、小雪がしっかりと考えたのなら否定しないよ。それがお金の相談なら親の出番だ」
「そこまで味方してもらえると逆に怖くなってきた」
「小雪は私達に対して信頼を築いてきたからね。言いつけは守るし、やるべき事はやってきた。なら小雪の相談には応えてあげたいの」
「あ、ありがとう」
そうは言っても両親が私に厳しくルールを定めた事なんてない。
当たり前にやっちゃいけない悪い事。
考えれば分かる危険な事。
人を裏切るような事。
私はそういう自分にメリットの無い事をしないように生きてきただけだ。
「それに小雪はこれまでも自分でやりたいって言い出した習い事は全部目標までやりきってるしね」
「それは楓歌ちゃんが一緒だったからだよ」
「今回も楓歌ちゃんが一緒なんでしょ? なら心配ないじゃない」
「それはそうだけど……」
「小雪が声優をめざしたいと思ったならやってみなさい。高校生の内からやりたい事が見つかるなんて立派だ。例えうまくいかなくても後悔しないならそれが一番だよ」
普段おちゃらけている両親が、まさかここまで寄り添ってくれるとは思っていなかった。
正直、親のことは面倒を見てくれる大きな子供みたいに思っていた。
でもやっぱり親はちゃんと親なんだな。
「食事中から何かソワソワしてるから何かと思っちゃった」
「げ。バレてたの!?」
「分かるわよ。どれだけ一緒にいると思ってるの?」
くそう。
やっぱり親は親なんだな。
「と、とにかくありがとう。出してくれたお金は働いて返すから」
「それも親としては楽しみだね」
「それでその養成所っていうのはいつ頃から始まるの?」
「10月くらいに入所オーディションがあって、合格発表が年明け。レッスンは来年の4月からだって」
「じゃあまずはそのオーディションに合格しなきゃいけないのね」
「うん。これから楓歌ちゃんと一緒に対策をたてる予定」
10月まではまだ少し時間がある。
安芸さんに会えたらそれまでに何をすればいいか聞いてみるつもりだ。
「じゃあ母さん。これからスマブラで勝負しようか」
「いいわよ。終点でアイテム無し。三先でいい?」
「……何て?」
いま養成所の話をしていたと思ったんだけど、何故か話がゲームに飛んだ。
「待って。何で突然ゲーム勝負が始まるの?」
「勝った方が声優になった小雪から最初にサインを貰える権利を得る勝負だよ」
「それは気が早いよ!!」
いや。やっぱりおちゃらけてた。
いつも通りの父と母だった。
せっかく見る目が変わりそうだったのに……。
でもあれだけ心配していたお金の心配はあっさりと何とかなってしまった。
次の日、学校で楓歌ちゃんにその話をしたら「小雪ちゃんのお父さんとお母さんだったらそう言ってくれると思ってたよ!」と言われてしまった。
あんなに不安で気を重たくしていたのは何だったんだ。
あの時間と心労を返して欲しい。
行きたい養成所は決まった。
両親との話し合いも無事に終わった。
ここからは10月の入所オーディションに向けて準備を進めるだけだ。
部活で汐星先輩にそのことを報告したら、安芸さんにも話しておいた方がいいと言われた。
先輩はすぐに安芸さんに連絡をして、今日の児童劇団の講師が終わった後に会う約束を取り付けてくれた。
部活が終わり、楓歌ちゃんと一緒にあすみが丘プラザに向かう。
私達がプラザに到着すると1階のロビーに安芸さんがいた。
もう劇団のレッスンは終わったみたいで小さな女の子と何かを話していた。
「安芸さん!」
楓歌ちゃんが声をかけると、こちらに気づいた安芸さんが手を振ってくれる。
それと同時に安芸さんと話していた小さな女の子もこちらを振り向いた。
「わぁ……」
振り返った女の子を見た時、思わず感嘆の声が漏れてしまった。
その女の子を一言で表すとお姫様だった。
日本の雅なお姫様ではなく、西洋の麗しいお姫様。
楓歌ちゃんと同じくらい大きな瞳に、整った目鼻立ち。
腰のあたりまで伸びた栗色の髪が可愛さを引き立てている。
クトゥルフ神話TRPGだったら彼女のAPP(外見的な魅力)は17~18くらいのかなり高い数値だろう。
こんな子が土気にいたんだ。
「お前らか。早かったな」
安芸さんは初対面のぶっきらぼうさを微塵も感じさせない爽やかな笑顔で迎えてくれた。
最初の印象があまりにも悪かっただけで、普段はこういう優しい顔もするんだな。
「安芸さん。この人達ってもしかして……」
隣のお姫様が私達を見るなりしかめっ面に変わった。
表情を見るに何故か歓迎されていないようだ。
でもそんなことより気になったのは、このお姫様は声がものすごく可愛い。
子供っぽいとも言えるし動物っぽいとも言える、何とも愛くるしくて印象に残る声をしていた。
「ああ。前に話してた連中だ」
「やっぱりそうなんですね。ワタシ、もう帰ります」
そう言うとその子は機嫌悪そうに私達を横切った。
小柄故にうり坊娘と呼ばれる楓歌ちゃんに負けず劣らずのミニサイズのお姫様は、そのままいそいそとプラザを出て行ってしまった。
「もしかしてお邪魔でしたか?」
「いや。もう話は終わっていたから問題ない。この後は予定もないから時間は気にするな」
「ありがとうございます」
「どこかに移動するのも面倒だな。ここの講習室でも借りるか」
「今からでも借りられるんですか?」
「他に使用者がいなかったら借りられる。2時間で300円だしどこかの店に入るよりは安いだろ」
「安いですね! さすが市の施設」
あまりの安さに驚いている内に、安芸さんが受付を済ませて講習室の鍵を借りてきてくれた。
こんな簡単に借りられるなら夏休みも楓歌ちゃんと一緒にここを借りて宿題をやれば良かった。
講習室は階段で3階に上がってすぐの部屋だ。
部屋に入ると、3人で使うには十分すぎる数の机と椅子が並んでいた。
静かで広いし空調は効いているしで、これで2時間300円は安すぎる。
安芸さんは椅子を一脚、机とは反対側に向けて座った。
机を挟んで向かい合うように私達も座る。
「さて。お前らはどこの養成所を選んだんだ?」
「私達が選んだのはここです」
楓歌ちゃんがスマホで養成所のホームページを開いて安芸さんに見せた。
「……なるほどな。何でその養成所にしたんだ?」
「私の目的は桜祭ちゃんと知り合うこと。桜祭ちゃんの仕事で一番多いのはやっぱりアニメです。この養成所の受け皿になっている事務所はアニメに強くて過去の実績から信用度が高いと判断しました」
「鷹月なら所属している事務所の養成所もあっただろう?」
「もちろんそこは最初に調べました。でも現実的に授業料が払えなさそうだったんです」
「うん。それは大事な要因だな」
「それと、桜祭ちゃんの所属している事務所の運営に少し違和感がありました」
「ほう?」
さすが楓歌ちゃん。事務所の運営についても詳しく調べていたのか。
ただあまりいい意味ではなさそうな感じだな……。
安芸さんと私がじっと見つめる中、楓歌ちゃんは少し言い辛そうにその違和感の説明を始めた。
「桜祭ちゃんの事務所は比較的最近設立された事務所です。有名な方がたくさん所属していますが、どの方も他の事務所でキャリアを積んで、売れた後にこの事務所に移籍しているみたいです」
なるほど。いま所属しているのは外から来た人ばかりなんだな。
でも調べた限りだと他の事務所にもそういう人はたくさんいたから、特別変な話ではないと思う。
「もちろん事務所が経営している養成所出身の人もいるにはいます。でも基本は【預かり所属】の人ばかりでした。養成所からあがってきた人達で【正所属】の人も【準所属】の人もいないみたいです」
詳しくは知らないけど、どうやら事務所の所属にも段階があるらしい。
預かり所属は簡単に言うと所属する前のお試し段階。
準所属になると一応正式に所属したことになって、そこから更に実績を積むと正所属になれるらしい。
ベテランの人達はほぼ全員が正所属だ。
「この事務所はそんな状況が5年も続いているみたいでした」
「よく調べたな」
「預かりの人達の実績でレギュラーはゼロ。下積み経験以上のものはありませんでした。つまりこの事務所は、新人のプロモーションにそれほど力を入れてくれないんじゃないかと思ったんです」
そんな事があるんだろうか。
安芸さんは所属タレントのプロモーションが事務所の仕事だと言っていた。
声優業界に顔の効かない新人こそプロモーションが必要だ。
そこをやってくれないなら所属する意味が弱くなってしまう。
「そうだとすると、例え私が入れたとしても同じ扱いになると思います。だから桜祭ちゃんの事務所が経営する養成所を狙うべきではないと思いました」
もしそれが本当だとしたら確かにプロである安芸さんには言い辛い内容だ。
実績のある事務所が半ば形だけになっていると言うようなものだからだ。
「……」
安芸さんは何やら悩んでいた。
前もこんな風に悩んでいた。あの時も確か言い辛い内容だったはずだ。
少し悩んだあと、言葉を選ぶように話してくれた。
「あくまで私個人の考えだ。私は鷹月の事務所の所属ではないしマネージャーでもない。事務所の経営についてもほとんど知識はない。だが一応その業界に身を置いている者として、花見の言っていることを否定はできない」
「どうしてなんですか?」
「設立したばかりの事務所だと、マネージャーの数が足らなくて新人のプロモーションまで手が回らないと聞いたことがある。正所属の声優の担当だけで息が切れてしまうんだろうな」
「でも事務所の下にある養成所は運営できているんですよね?」
「養成所を経営するノウハウはどこも一緒だ。別に声優の養成所専門の知識が必要になるわけじゃない。だから養成所運営のスタッフは一般からでも調達できる。レッスンのための講師だって仕事のない声優に頼めば喜んでやってくれるしな。養成所の運営がうまく行っているのと事務所のマネージャーの数が少ないのはイコールにならない」
「どうしてマネージャーの数が少ないんですか?」
「簡単だ。マネージャーの仕事がキツイ上に薄給だからだ」
「世知辛い!」
夢も希望も無い事実を知ってしまった。
そりゃ仕事は大変なのにお金も貰えないんじゃ誰だって嫌になる。
「ただでさえ役者は我の強い奴が多い。そんな奴らのケアをしつつクライアントからは文句を言われる。そして何かミスがあれば事務局から大目玉だ」
「ひぇえ」
「一つ聞いた話をしよう。とある作品のイベントで声優とファンのハイタッチ会をやったそうだ。そこで出演していた声優が少し強めにファンと手をぶつけてしまった。別に怪我をしたわけでは無いのだがイベント後に手に痛みを感じると言われ、それを事務局に報告したらマネージャーが始末書を書かされたそうだ」
「ええ!?」
「理不尽だろ? マネージャーはどうするのが正解だったんだろうな」
「そんなのが続けばそりゃ嫌になりますよね」
「別の見方をすればそれだけタレントを大事に扱っているという証明でもある。だがマネージャーも人間なんだ。同様に大事に扱って欲しいもんだ」
その業界について詳しくないから何とも言えない。
でもそういうのが当たり前になっている世界なら少しイメージが悪くなってしまうな。
何よりも人が一番貴重なリソースだと思うのは、私が人が集まらないと遊べないTRPG好きだからだろうか。
「花見が感じた違和感とその分析は当たらずも遠からずかもしれない。判断材料としては悪くないかもな」
「ありがとうございます」
まだ声優の世界の外側にいる私達にそういう裏事情は全く分からない。
見えない事実を追いかけるより、いま見えている事実だけで判断した方が良さそうだ。
「お前達が選んだ養成所の入所審査は10月だったか?」
「そうです。まだ一ヶ月くらいは時間があるので、その間に学べることは学んでおきたいと思っています」
「何事も勉強するのはいいことだ。ただ入所審査に対しての勉強であればする必要はない」
「ええ!?」
「老舗の養成所で倍率が高いところならそれなりに対策が必要だが、一般的な養成所の審査で落ちる奴はほぼいない。あれは実力を試しているんじゃなくてヤバい奴が入らないようにフィルターをかけているだけだ」
「ど、どういうことですか?」
何かさっきから驚いてばかりだ。
今日は衝撃の大きい話が多い気がする。
「養成所としては人は沢山入った方がいい。スタジオや講師の確保は大変だがそんなのは何とでもなる。それよりも著しく常識が欠けている奴や問題を起こしそうな奴は入れたくないんだ」
「そんな人達もオーディションを受けにくるんですね」
「来るさ。たくさん来る。勘違いした奴らは無限に湧く」
また安芸さんの毒が出てきた。
あまりこの話題に触れるのはやめておこう。
「じゃあ一般的な常識があれば問題ないんですか?」
「そうだな。ただそれにしたって実技は必ずやるから、それを見るためにマネージャーが参加している可能性は高い。マネージャーがいれば事務所に対して自分をアピールできるチャンスだ」
「じゃあやっぱり対策していった方がいいじゃないですか」
「何をやらされるか分からないのに何の対策をするんだ?」
「う……それは」
「いいんだよ。どうせ一ヶ月かそこら詰め込んだところで見ている方にはすぐにバレる。それよりも素の自分を見せてやれ」
「素の自分ですか?」
「ありがたいことに声優の世界では素質のある奴を育ててくれる環境が比較的ある」
「まるで他の業界では新人を育てるコストを払いたくなくて完成品しか用がないみたいに聞こえますね」
「だからまずは変な癖のついていないネイキッドな状態を見せるんだ。素の声。素の感性。素の受け答えでぶつかってこい」
「はい!」
「いや、待て」
私も楓歌ちゃんもガクンと崩れそうになった。
今のはどう考えても話の締めだったのに。
「素とは言ったが花見。お前の目的は絶対に口に出すな」
「何でですか?」
「私はお前の目的に文句はない。だが他の奴はそうじゃないかもしれない。人に目的を話す場合、有利に働く時と不利に働く時がある」
「今回の場合は不利になる可能性が高いんですか?」
「そうだ。積極的にアピールすべきタイミングはいつか教えてやる。しばらくは心の内に秘めておけ」
「分かりました」
安芸さんの言い分はもっともだった。
楓歌ちゃんの目的はどう考えても一般的には受け入れ難いもんな。
「自己PRするなら他の内容を考えておけよ。七夕のように耳障りのいいだけの内容でも構わないぞ」
「言葉に鋭い棘を感じます」
まさかここで槍玉に挙げられるとは。
よほどあの時の志望動機が気に入らなかったらしい。
「まあそんなところか。他に何か聞いておきたい事はあるか?」
「はい! 聞きたい事と言うよりお願いがあります」
楓歌ちゃんが元気よく手を上げた。
「ん。なんだ?」
「入所審査が終わってからでいいので、引き続き声優について教えてもらえませんか?」
「それは私に芝居を教えろと言うことか?」
「はい。せっかく身近にプロの人がいるのに何も教わらないのは勿体無いと思いました」
「そうは言っても私も忙しいからな……」
「私が安芸さんの予定に合わせます。この世界に生きるんだったら時間を作る能力が必要なんですよね? 私が安芸さんの都合に合うように時間を作ります」
そうお願いする楓歌ちゃんの目は真剣だった。
TRPG部で汐星先輩に部長をお願いする時もそうだった。
誰かに何かをお願いする時の真剣な顔。
普段の可愛い顔がキリッとカッコよくなる。
私の好きな楓歌ちゃんの顔だ。
「……」
安芸さんに先生になってもらえるなら、そんなに心強いことはない。
でも現役の人がそこまで私達に時間を使ってくれるのだろうか。
安芸さんと楓歌ちゃんは少しのあいだ顔を見合わせていた。
言葉を交わさずに目だけで会話をしているようだった。
……私を除け者にして。
悔しいから2人の間に入ってやろうかと思ったけど大事な場面なので自重するか。
「ダメだ。この後はしばらく用事がある」
「分かりました。じゃあ勝負しましょう」
「引き下がらないのかよ。違う。少しだけ時間をくれ」
「時間?」
「来年の4月まで待ってくれ。その頃にはまとまった時間ができる。お前達が養成所に通い始めたらしっかり教えると約束しよう」
「いいんですか!?」
「乗りかかった船だ。無事に向こう岸に辿り着くか、沈むまでは見てやるよ」
「ありがとうございます!」
お礼のために勢いよく頭を下げた楓歌ちゃんは講習室の机におでこを強打した。
そんな見事に机に突撃することある?
とても痛そうにフルフル震えているので、代わりに私が話を進めておこう。
「4月までに何かやっておいた方がいい事とかありますか?」
「そうだな。今のうちに沢山本を読んで色んな映画を見ておくといい」
「アニメは見なくていいんですか?」
「見たきゃ見ればいいが得るものは少ないぞ」
「え? 声優をめざすのにアニメから得られるものが少ないんですか?」
「いま現役で活躍している連中はアニメを見て勉強はしていない。本や映画を死ぬほど見て感性を鍛えている。アニメを見て芝居を吸収したところで大した力にはならないと思った方がいい」
「そういうものなんですね」
「そういうものだ。まあやれるだけ頑張りな。ただ最後にもう一度だけ言っておくぞ。声優になるなんてやめた方がいい。くどいようだが煽っているわけじゃない。言葉通りの意味だ。やめたいと思ったらいつでも言ってくれ」
「それも心に留めておきます」
声優になるのをやめろ。
相変わらず言葉だけを聞けばトゲのある内容だ。
でもこの言葉を口に出す時の安芸さんは、どの安芸さんよりも一番優しい顔をしていた。




