第6話 現役声優からのお話・後編
昨日知り合ったばかりの年上の女性の部屋にあがらせてもらいお話をする。
その字面だけなら何とも興味深いが、実際は色気など微塵もないお仕事に関する話をしているだけだ。
ただ私は、だんだんとこのお仕事に関して興味を持ち始めていた。
「事務所というのは所属している役者のプロモーションをしてくれる機関だ。事務所に所属しているか、所属せずにフリーでやっているかには大きな差がある」
安芸さんは部屋の戸棚からノートを取り出すと、机の上で何やら書き始めた。
開いたページの左側に【事務所に所属】と書き記す。
「まず一番大きいのが信用度だ。役者を選ぶ方の立場からすれば、どこの誰だか分からない奴よりもすでに取引のある事務所に所属している奴の方が信用度が高いのは分かるだろ? 先輩達の築いてきた実績を背負えるんだから強みなのは言うまでもない」
事務所所属の下に【信用度】と書き足した。
なるほど。こうやってメリットを書き出してくれるんだな。
「次にオーディションへの参加権だ」
「それは重要ですね」
「作品を作る際、多くはクライアントがオーディションを開いて作品に見合った役者を探す。そこに参加できるのは特別な場合を除いてほぼ事務所に所属している奴だけだ」
「え? オーディションってこう、募集要項がたくさんあって自分でそれを選ぶんじゃないんですか?」
頭の中にファンタジー物の作品によく出てくる冒険者ギルドが浮かんだ。
討伐クエストみたいに色んな作品のオーディションの募集が出ていて、その中から自分のやりたい作品。もしくは自分のレベルに見合った作品のオーディションを選ぶのだと思っていた。
「そんなパターンは無いと思った方がいい。そもそもオーディション情報は一般には秘匿されていて事務所を通して話をもらうしかない」
「そうなんですか!?」
「ああ。そして厄介なのは事務所からオーディションに出せる枠が決まっているんだ」
「待って下さい。仕事を貰うためのオーディションですよね? そのオーディションに参加するにもふるいにかけられるんですか?」
「そうだ。オーディションは事務所に所属している全員が受けられるわけじゃない。求められているものに相応しいか。十分な成果が出せるか。色んな要素を加味して選抜される。だから事務所に所属していてもオーディションがあった事すら知らないなんてのは日常茶飯事だ」
安芸さんがノートに【オーディションへの参加権】と書き込んでいる間、またも自分の認識が甘すぎたのを痛感した。
まさかそんなに狭き門だなんて。
誰もがオーディションという戦争に参加できるわけではなく、戦場に行くのすら選ばれた者だけ。
想像していたよりもはるかに苛烈な世界だった。
「事務所に所属していないとオーディションへの参加権は絶対に得られないんですか?」
「フリーでもある程度の実績があり、クライアントからの信頼を得ているなら声がかかる事もある。その場合でもマネージャーをつけろと言われたりするけどな」
「声優さんにもマネージャーっているんですね」
「いるさ。事務所に所属していれば案件ごとにマネージャーをつけてくれるのが大きなメリットだ」
「マネージャーって具体的に何をしてくれるんですか?」
「事務所によってまちまちだ。だが役者本人と関わってくるのは共通してこんな感じだ」
安芸さんがマネージャーの役目をノートに箇条書きしていく。
・スケジュールの調整
・台本の管理
・現場への同行
「スケジュールの調整と連絡はデスク……まあ事務の人間だな。デスクがやってくれる場合もある。台本はクライアントから送られてきた物をマネージャーがチェックして、問題がなければ役者に共有される」
「聞いたことあります! 台本の自分のセリフのところに付箋を貼ってくれたりするんですよね」
「七夕は面白いことを知っているな。そういう時代も事務所によってはあった。事務所によってはな」
「え。何でそんな悲しそうな顔するんですか」
「私はそこまでしてくれるマネージャーには出会えなかったよ。台本も事務所まで受け取りに行くのがあたり前だった。別に郵送してくれてもいいのにな」
「安芸ちゃん台本のためだけに土気から都内の事務所まで行ってたもんねー」
当時を思い出すかのように汐星先輩が切ない顔をする。
「あーそれはキツいですね……」
「まあ今の時代はセキュリティも高いからそうもいかないんだろう。それに今は台本が一時的にデータで渡されることも多くなったから、メールでPDFが送られてくるなんてパターンもある」
台本をデータでもらった場合、収録はどうやってやるんだろう。
みんなタブレットを手に持って演技したりするんだろうか。
TRPGも今はディスコードとココフォリアというオンラインツールを使ったりするし、時代によって変わっていくんだろうな。
「あとは現場への同行だ。スケジュールの調整や台本の受け取りも大事だが、究極自分でやろうと思えばできなくはない。最も重要なのはこの現場への同行だな」
「さっきフリーでもマネージャーをつけろって言われる場合があるって言ってましたね。それのことですか?」
「そうだ。マネージャーの必要性はこの部分が大きい。現場でトラブルがあった時にすぐにフォローできるように控えているのは勿論だが、クライアントからの注文を役者に中継する役割も持つ」
「注文を中継する?」
「うん。ここも少し解説した方がいいな」
安芸さんがノートの右側のページに【アフレコ現場】と書いた。
「アフレコは知ってます。アフターレコーディングの略で、アニメの映像に合わせて声をあてるんですよね」
「ほう。七夕は知識は結構あるんだな。ちなみにその逆は分かるか?」
「逆、ですか?」
アフターレコーディングの逆……。
アフターの逆ならビフォーだろうか。
でもビフォーレコーディングなんて聞いたことがない。
「オフ……レコ……?」
「不正解だ。不正解だが何とかレコのつく言葉を探してきたのは偉いぞ」
「褒めてますかそれ?」
「映像が先にあって声を収録するのがアフレコ。逆に先に声を収録して、それに合わせて映像を作っていくのをプレスコと言う」
「プレスコって何レコーディングなんですか? プレシャスレコーディング?」
「プレスコはプレスコアリングの略だ」
「逆になったらレコーディングが消えたんですけど」
「あ! 私プレスコって聞いたことがあります。確か海外で制作されるアニメーションに多いんですよね」
今までふんふんと頷きながら話を聞いていた楓歌ちゃんが声をあげた。
「正確には欧米制作のアニメーションだな。あっちは長編作品が多いから演者ありきで映像を作る事が多い」
「へぇー。そうなんですね。ところで何で楓歌ちゃんはプレスコを知ってたの?」
「ほら、TRPGのリプレイ動画に絵をつけたりするでしょ? あれをプレスコって言ってるコメントがあったんだ」
言われてみれば確かにあれもプレスコだ。
TRPGのセッション (一回のゲームプレイ)を録音して、小説や動画に編集したものをリプレイという。
その動画形式に編集したリプレイに合わせてイラストをつけた作品が結構あるのだ。
声だけではなく絵もつくので、見る人が状況をイメージしやすくTRPG入門に適している。
私が楓歌ちゃんに最初にTRPGを勧めた時もイラストつきのリプレイを見てもらった。
プレスコなんて馴染みがないと思っていたけど割と身の回りにあるものなんだな。
「アフレコにはアフレコの、プレスコにはプレスコの良さがあるんだが、まあその話はまた別の機会にしよう。話を戻すと、そのアフレコ現場で役者の芝居をディレクションするのは音響監督の役割だ」
「舞台と違って演出じゃなくて音響監督なんですね」
中学時代に演劇部を手伝った時に、役者に演技をつけるのは演出と呼ばれる人だったのを思い出す。
「アニメにおける演出もいるんだが、収録の中では音響監督になるな。その音響監督が自分のイメージに近づくように役者の演技を調整していく。ここまではいいか?」
話しながら安芸さんがノートに書き込みをしてくれていたので視覚的にも立場が分かりやすかった。
アフレコ現場には演技をする役者と、それを取りまとめる音響監督がいるのは理解できた。
「イメージ通りに収録するために音響監督は役者に色々と注文をつける。ただしあくまで収録を完了させるための注文だけを行うんだ」
「あれ? さっきマネージャーが注文を中継するって言ってませんでしたか?」
「その通りだ。音響監督の仕事は収録中のみ。収録の外にはほとんど関わらない。つまり収録外で役者に注文をつける場合はマネージャーを使うんだ」
「収録外の注文って、例えばどんな注文があるんですか?」
「演技のレベルが低すぎる。次回までに何とかしてくれ。とかな」
「そんなこと言われるんですか!?」
「まあそれは極端だが近いことを言われるパターンはあるな」
「と言うか、オーディションで演技のレベルも見られてるんじゃないんですか? 何で収録が始まってからそんなことを言うんだろう」
「オーディションみたいな短い時間で演者の全てを見られるわけないだろ。オーディションはあくまで総合的に判断しているだけだ。現場で発覚する弱点だってある」
言われてみればその通りだ。
オーディションに受かったからと言って、全てをイメージ通りにできるんだったらディレクションなんてそもそも必要ない。
「収録現場はあくまで作品作りをする場だ。音響監督はそこで役者に根本的なダメ出しをしたりはしない。それで役者の士気が下がったら作品に影響が出かねないからな。だからと言って要求するレベルに届かない者を放っておくわけにもいかない。だからマネージャーを通して注文するんだ。マネージャーだったら役者との関係もある程度構築されているし、ダメージの少ない伝え方もできるだろ?」
「それはそうですね。あまり知らない人から怒られるよりも、顔見知りの人に説明してもらった方がプラスに受け取れると思います」
「そういうことだ。これがマネージャーをつけて欲しいと言われる大きな要因だな」
ノートに【マネージャーがつく】と書き足された。
マネージャ―を中継してのクライアントからの注文に関しては驚いたけど、確かにこれだけ恩恵があるなら事務所に所属する意味を感じる。
逆にフリーだとこれらの恩恵は一切受けられないのか。
「安芸さん。最初に言っていた事務所がプロモーションをしてくれるっていうのはどういう意味なんですか?」
「これも色んなやり方があるな。イメージしやすい例を話しておこうか。例えばある作品を作りたいとクライアントが考える。しかし予算的にも大々的なオーディションは打てない。それならばどうするか? クライアントが直接事務所のマネージャーに作品に見合った役者はいないかと相談するんだ」
「つまりそういう相談があった時に役者を売り込んでくれる?」
「そうだな。マネージャーは事務所に所属している役者について詳しい。だからその仕事にあった役者を紹介できる」
「なるほど」
「あとは事務所的に売り出したいと考えている役者をプッシュする場合もある」
「それも聞いたことがあります! ファンからこの人は事務所が推してるとか、売り込もうとしてるとか言われるやつですよね?」
「そういうのは大概言ってる奴の勘違いが多いがな。内々で行われている相談を外側の連中が知れるわけがない。狭い観測範囲の中でそう見えているだけだ。ただ事務所的にこの役者に経験を積ませてやりたいと思って仕事を振ることは全然ある」
「そうなんですね! 面白いな」
断片的でしかなかった知識が安芸さんの話で肉付けされていく。
今まで全く知らなかった声優の世界の話は楽しい。
こういうのにワクワクするのは常にネタを探すTRPGゲーマーの血なんだろうな。
「勿論ここまで話した以外にもメリット・デメリットはある。だが事務所に所属する恩恵は伝わっただろ?」
「はい。充分伝わりました」
「よし。ならここからは割と重い話になるから心して聞けよ」
「重い話?」
「…………」
聞けよと言ったのに何故かそこで安芸さんは黙ってしまった。
呼吸を整えるように深く息を吐き出したあと、決意を固めるかのような厳しい表情に変わる。
「いいか。女性声優には賞味期限がある」
「はあ!?」
意味が分からなかった。
今まで声優という仕事の話をしていたはずなのに、突然それにそぐわない言葉が出てきたからだ。
「賞味期限……食べ物の話ですか?」
「違う。平たく言うと活動期限のことだ」
「声優に活動期限なんてあるんですか?」
「大きな括りで言えば無い。やろうと思えば死ぬまでやれる。ただし賞味期限はある。これは否定する者が多いが、私は明確にあると断言しよう」
安芸さんにしては珍しく、わざわざ ”私は” と強調してきた。
となれば、これは安芸さんが現役声優として活躍する中で感じた持論なんだろう。
そこを勘違いするなよと言っているように聞こえた。
「結論から言うと女性声優の賞味期限は25歳から28歳までだ」
「「早ッ!?」」
あまりのことに楓歌ちゃんと一緒に大きな声を出してしまった。
「28歳って一般的な会社でいったらまだ役職があるかないか位ですよね? そんなに若くして期限が来ちゃうんですか?」
「七夕は一般的な会社に勤めた経験があるのか? 面白い女子高生だな」
「違いますよ! 前にTRPGのネタで調べただけです」
「私は会社に勤めた経験は無いからあまり詳しくはないが、まあ新卒で就職して6年目くらいだから早いと言えば早いな。だが女性声優はその28歳までが勝負できる時間なんだ」
そう言いながら安芸さんは自嘲気味な笑みを浮かべていた。
28歳までなんてあっという間だ。
すでに高校生の私達にしてみたら、あと10年ちょいしか残されていない。
せっかく苦労して声優になってもすぐにその賞味期限とやらが来てしまう。
「女性声優は特に若さを求められる。若さを求められるのはどこの業界でも同じ話だが、こと声優の世界ではこの若さがとてつもなく大きな武器になるんだ」
「若さが武器……何かいい意味にも怖い意味にも受け取れますね」
「この話を理解してもらうために、また少し遠回りをするか。お前らは芝居の上手いと下手って聞き分けられるか?」
「上手いと下手ですか?」
楓歌ちゃんがうぬぬと唸った。
野球やサッカーみたいなスポーツは上手いや下手が分かりやすい。
何故なら勝つための明確な目的が決まっていて、それに貢献できるプレイが上手いプレイだからだ。
でも芝居は芸術だ。
外から見てそれが上手いのか下手なのかをはっきりと判断する方法は無い。
「……よく分からないです」
「私もです」
散々考えた結果、私達が出した結論だった。
「そうだよな。言葉が不明瞭で何を言っているのか分からないとか、感情が全く乗っていなくて棒読みとか、そういう分かりやすい基準がなければ上手いとか下手なんて感覚でしか分からないよな。身も蓋もない答えを言うと、プロの芝居が上手いか下手かは素人には判断できない」
「そうなんですか? でもアニメを見ていると、この声優さんは何か違うなって思うことはありますよ」
「そういうのは感じられるだろう。だがそれは上手いか下手かではなく、その状況に相応しいか、相応しくないかを感じているだけだ。相応しくない芝居はいくら素人が聞いても違和感がある」
「相応しいか相応しくないかですか。難しいですね」
「百聞は一見にしかずだ。ちょっとこれを見てみろ」
安芸さんは机の上に置いてあったノートパソコンを操作して画面をこちらに向けてくれた。
そこには前に楓歌ちゃんと一緒に観たアニメが映っていた。
ライトノベルをアニメ化した作品で、主人公とヒロインのぶっとんだやり取りで人気になった作品だ。
まさにその主人公とヒロインがギャアギャアと騒いでいるシーンを5分ほど見せてくれた。
前に見た時も思ったけど面白い。
テンポのいい会話と画面の演出がうまく合わさって思わず笑いが出る。
「面白いですね。やっぱり声優さんって凄いな」
「ふむ。そう感じたか。じゃあこれはこれで正解ではあるんだろうな。だがこのヒロインの方の声優、実は芝居が下手だ」
「ええ!?」
これが下手なんて到底思えなかった。
棒読みでもないし、何を言っているのかもハッキリ分かる。ちゃんとキャラクターにもなりきれているから下手と言われる理由が見当もつかなかった。
「芝居というのは一人芝居は別として、基本的には個人では成立しない。必ず相手が必要になる。しかし相手がいる以上、相手とのコミュニケーションが必須なんだ」
「コミュニケーションですか?」
「例えばここで私が『この菓子は美味いな』というセリフを言ったとしよう。すると通常相手の次のセリフはそのセリフに関連した内容でなくては成立しない。菓子の話をしているのに突然サッカーの話が始まったら変だよな?」
「それはそうですね」
「それを踏まえてさっきのシーンをもう一度流してみるぞ。……ここだ。主人公は敵から逃げながらヒロインに『お前のせいでこうなったんだぞ!?』って言ってるな。これは相手を攻めるニュアンスが含まれたセリフだ。次のヒロインのセリフ『私のせいじゃないのに!』これはセリフ的に主人公に対する言い訳か、もしくは独り言のようなニュアンスじゃないと成立しない。なのにこのヒロイン役の声優はこのセリフに妙な抑揚をつけているだろ?」
「た、確かに…」
「このセリフがこのキャラクターのお約束セリフになっているならそれでも成立しただろう。だがこのセリフはこのシーンこれっきりだ。どうしてこの声優はセリフにこんなニュアンスをつけたのか? それはこの声優が相手のセリフを聞かずに自分の好きなようにセリフを言っているからだ」
もう一度同じシーンを見せてもらいながら解説を受ける。
そう言われると、確かにセリフ上は繋がっていても、ヒロインが主人公と会話をしているようには聞こえなかった。ただ自分の存在をアピールしているだけのセリフのように思える。
「これをギャグとしてやっているのなら、まあそれも一つの手なんだろう。だがヒロインがこんな抑揚をつけたセリフを言ったことでこのシーンは面白くなっているか? 別になってないよな。よく分からない空気ができているだけだ。つまり相手の声優とのコミュニケーションが取れていない。芝居としては成立していなんだ」
これが下手なのかは正直まだ分からなかった。
でも安芸さんの言う通り、このセリフのやり取りが会話として変なのは理解できる。
「芝居として成立はしていないが、声の出し方は状況に相応しくはある。これがもし落ち込んだ小声だったりしたら状況とも成立せず相応しくない」
「確かにこんな追いかけられてる状況でそんな言い方しないですもんね。それが相応しいか相応しくないかってことか」
「じゃあこの女性声優さんが問題なんですか?」
楓歌ちゃんが質問する。
「いや問題はそこじゃない。問題は芝居が成立していないのにも関わらず、これがオンエアされているという事実だ。オンエアされているという事は、収録現場で音響監督からオーケーが出ているはずなんだ」
「芝居としては成立していないんですよね? どうしてそれでオッケーになるんですか?」
「その不成立が視聴者には伝わらないからだ。さっきも言ったが芝居の素人である視聴者には芝居が成立しているかどうかなんて判断できない。時間をかけて精度の高い芝居をしたってそれを感じ取れる視聴者が少ないんだから意味が無い」
「良い芝居よりも、視聴者が違和感を感じなければOKって事ですか?」
「そうだ。昔はこういうところにも手は抜かなかった。だが今の時代、ほとんどのアニメ作品においてこれがまかり通っている。でもお前達にはそんなの分からないだろ?」
今までたくさんアニメを見てきて芝居が成立していないなんて感じた事はなかった。
何故ならそもそもそこに意識が向いていなかったからだ。
「これは何も芝居のレベルが下がったわけじゃない。今の時代に合わせてアップデートされたんだ。要求されていない物をこそぎ取り、最適化された結果だと私は考えている」
「だけど、それでも感動できる作品はありますよ?」
「全ての作品。もっと細かく言うと全てのシーンがその限りではない。基本的にはこだわらないが、重要なシーンだけはしっかりやる作品も多くある。人の心を動かすにはやはり正しいコミュニケーションが必要だからだ」
芝居はコミュニケーション。
人の心を動かすには正しいコミュニケーションが必要。
言葉にすると簡単で、だけど凄く難しいことを言っていると思った。
正しいコミュニケーションなんて完璧には分からない。だから芝居は難しいんだろうか。
「いま思いつくだけで構わない。この声優が出ていた作品で感動できたシーンはあったか?」
そう言われてその声優さんが出ていた作品をいくつか思い出してみた。
少し前まで色んな作品に引っ張りだこだった人だ。
ギャグもあれば日常系の作品もあって、何なら感動系の作品にも出ていた。
でも思い返してみると、その人が演じたキャラクターに感動した覚えはなかった。
もしかしたら心を動かされていたのはその人の芝居ではなく、ただ脚本家が選んだ言葉が良かっただけなのかもしれない。
「私はそれを悪だと言うつもりはない。役者がいくら素晴らしい芝居をしても受け手側が受け取るつもりがないならただの一方通行だ。ならばそこは淘汰されるべきだと考える」
「あの……安芸さんって結構ドライなんですね。役者さんってもっと熱い心を持っているんだと思ってました」
楓歌ちゃんがケロッととんでもないことを口にした。
悪気も悪意もないのは分かっているけど伝え方がストレート過ぎる。
「プロだからな。仕事と感情は分けるさ。だからこそ心を燃やして挑むべき作品に出会えたら、私達は命がけで演じるんだ」
安芸さんはその言葉に怒りはしなかった。
代わりに役者としての矜持を語った。
強い言葉だった。
安芸さんだって現状を良く思っていないのは分かる。
だけどプロと呼ばれるからには要求されているものを出す。
自分のやりたい事ではなく、誰かに望まれたものを出せるのがプロフェッショナルだ。
それだけは私もTRPGのゲームマスター経験者として共感できた。
「でもその上手いか下手かの話と女性声優の賞味期限が早いの話はどう繋がるんですか?」
「もしこの業界が今も成熟した芝居を求めていたら、きっと年齢なんて関係なくずっと活躍できたんだろう。でも今の時代はそうじゃない。含蓄のある芝居よりもフレッシュな芝居を求めているんだ」
「味わい深い芝居をしても誰も分からないから?」
「そうだ。そしてそのフレッシュさは年齢を重ねていくごとに失われていく。ベテランになればなるほど、どうしてもあざとくなってしまう。そういう計算されていないフレッシュさを出せるのが、人にもよるがだいたい25歳くらい。フレッシュさが薄れ始めても、ある一つのポジションの役にハマっていると評価されるのが28歳くらいまでだ」
「じゃあ28歳を超えても一線で声優を続けられているのはどういう人達なんですか?」
「それまでの実績で個人の芝居、もしくは声質を求められている場合だ。28歳まである種のバフがかかっているとしたら、そのバフが無くても使いたいと思ってもらえる役者になっているかだ」
それがいわゆる勝ち組パターンってことか。
細かい理由を聞くよりも、28歳からはバフが消えると言われれば何か納得がいく気がする。
「他にも、その声優がある程度の固定ファンを持っていると使われやすい」
「え!? 芝居そのものよりもファンの数ですか?」
「その役者をキャスティングすればその固定ファンが見てくれるのを約束されているのなら、制作側からすると使う価値がある」
「嫌な話だなぁ……」
「しかし使う側からすればついているファンの数もその役者の魅力の一つだ。そこを分けては考えられない」
「それはそうか……納得しました」
「これで説明は終わりだ。分かったか? 私が活動期限は無いが賞味期限はあると言うのはそういう事だ」
声優を続けたいと思えば自分が諦めない限りは続けられる。
でも声優は自分で仕事を作れない。
誰かに使ってもらうしかない。
そして使ってもらいやすくなる期間がある。
その期間が終わっても使ってもらおうと思うなら、それに相応しい役者にならなくてはいけないって事か。
「声優は一般的な職業と比べたら特殊に感じるかもしれない。だが例えば将棋の世界と比べればまだマシな方だぞ?」
「将棋の世界ですか?」
「将棋のプロ、棋士だな。棋士になるにはまず奨励会というのに入らなければいけない。そのためには将棋の腕をあげて棋士に弟子入りする必要がある。その上で厳しい試験をパスして、ようやく奨励会入りできるんだ。その年齢制限が19歳」
「19歳!?」
「そして奨励会入りを果たせても21歳までに初段の段位を取れないと奨励会を退会させられる」
「え。奨励会を退会させられたらどうなるんですか?」
「例外はあるが基本的には棋士にはなれない」
「厳しすぎません!?」
「更にプロと呼ばれる四段になるのも26歳がリミットだ。それを超えても三段のままならやはり退会させられる」
「狭き門なんてレベルじゃない……」
将棋に関する取材はした事なかったけど、そんなに厳しい世界だったのか。
声優みたいに、だいたいそれくらいの年齢までなんてあやふやなボーダーじゃなくて、この年齢までにとキッチリ決められているんだ。
「将棋の世界に比べれば、声優の世界は賞味期限さえ気にしなければ続けられるんだから楽なもんだ。はっはっはっ」
「いや笑いごとじゃないですよ」
自虐の混ざった笑いだとは分かっていても、一緒に笑い飛ばすことはできなかった。
声優の世界だって十二分に厳しい。
「……さて。私がどうして賞味期限の話をしたのか分かるか?」
今度は安芸さんが私達に質問する。
私はまだ頭と気持ちの整理ができていなかったので何と答えればいいか分からなかった。
すると楓歌ちゃんが代わりに答えてくれた。
「声優をめざすなら早ければ早い方がいいってことですよね」
「その通りだ」
さすが楓歌ちゃん。頭のキレがいい。
賞味期限というものがあるなら私達ですら多くの時間は残っていない。
残りの時間で声優の勉強をして、事務所に入って、賞味期限が切れても使ってもらえるような声優になるなら行動は早い方がいい。
「教えて下さい。どうしたらいいですか?」
そう質問する楓歌ちゃんはもう答えを分かっている。
でもその答え合わせをしたいんだと思う。
安芸さんの言葉に。プロの言葉に背中を押してもらいたいんだと思う。
「もう今から養成所に入れ」
「ですよね」
一番最初に教えられた王道。
声優事務所が経営している養成所に通うこと。
それが声優の世界に続いている確実な道だ。
「どんな声優になりたいのか。何をメインにやりたいのか。それを決めろ。それに有利な事務所を探すんだ。そしてその事務所が経営している養成所に入所する。今のお前達にはそれしかない」
「分かりました」
楓歌ちゃんは迷いの晴れた顔をしていた。
声優になるにはどうしたらいいのか。
その回答を得て、いよいよ覚悟を固めたんだろう。
私は感じていた。
本気になったうり坊娘の爆進が、ここから始まるんだと。




