第4話 安芸さんち
負けた。
楓歌ちゃんが負けた。
完膚なきまでに。
もちろん楓歌ちゃんだって負けることはある。
初めてやるゲームだったり、体調不良だったり、いつだって勝てるわけじゃない。
でもここぞという時。ここだけは絶対に勝たなければいけない時。楓歌ちゃんは必ず勝利してきた。
そういう力を彼女は持っているのだ。
でも負けた。負けてしまった。
「…………」
楓歌ちゃんの顔には絶望感が漂っていた。
せっかく見つけた声優の道への手がかり。それを失ってしまったのだ。
「これで納得できただろ? 諦めて帰りな」
勝負を終えた安芸さんは早々に話を締めて帰ろうとしていた。
当然だ。そういう約束だったんだから。
だけど私にはどうしても確認しなければいけないことがあった。
「あの。納得できないことを聞いてもいいですか?」
「ん? どうして私が完璧に読み勝てたかって話か?」
私の聞きたいことなんて予想済みのようだ。
勝負そのものの結果には納得している。でも楓歌ちゃんの動きが完全に読まれていたのはどうしたって疑問が残る。そこをハッキリさせておかないと気持ちが悪い。
「そうだな。簡単に言うと花見の考えを読み取った」
「え?」
そんな馬鹿な。さっき楓歌ちゃんが冗談混じりに言っていた ”心を読まれている” が正解だとでも言うのか。そんなの納得できるわけがない。
「いやいや。そんなの無理でしょう。人の考えを読み取るって超能力者なんですか?」
「そんな大それた能力じゃない。私はただ花見の細かい心の動きを観察しただけだ」
「だから相手の心の中なんて見えないですよね?」
「そうでもないさ。人の体は心と直結している。心の機微が体に現れるんだ。花見は特にそれが分かりやすい。例えば行きたい方向を心に決めた瞬間、視線がそちらに向くとかな」
「楓歌ちゃんはそれは無いって言ってました。視線を読まれないようにまっすぐ見ていたって」
「ああ、そうだな。意識的に頑張っていたのは伝わったよ。だが私が見ていたのは意識的な動きじゃなくて無意識の動きだ」
「無意識の動き?」
「人は意図せず無意識で体が動いてしまう場合がある。それはまさに心の動きだ。お前にもあるんじゃないか? 自分ではそんなつもりはなくとも勝手に体が動いていた経験が」
「そんなのありません」
「あるよー。小雪ちゃんってば楓歌ちゃんの服が乱れたりするとすぐに見ちゃうじゃん」
「あっ」
汐星先輩に指摘されて気づいた。
確かに私は楓歌ちゃんの無自覚えっち行動が出ると目を向けずにはいられない。意識していなくても自然と目を引っ張られている。あれが無意識の動きなのか。
「花見は無意識のうちに行きたい方向を見てるんだ。多分そっちに危険な物が無いかとか、どれだけ動けば私にぶつからないかなんて測っていたんだろうな」
「そうなの? 楓歌ちゃん」
「へ? 全然分からないや」
楓歌ちゃんの話なのに当の本人はキョトンとしていた。
「さっき稽古場で私にぶつかって来た時も、ぶつかる前にしっかり私の背後を見ていた。万が一押し倒してしまった時に危険が無いかを無意識に確認したんだろうな」
「はえー」
「はえー、って楓歌ちゃんのことだからね? でも視線を見てるんだったら楓歌ちゃんが2回目に歩いた時のフェイントはどうなんですか? あんなにハッキリと視線を向けてたら惑わされたんじゃないですか?」
「だから勘違いするな。視線を見ているんじゃなくて心の動きを観察しているんだ。その結果それが視線に出ていただけだ。あんな分かりやすいフェイント、これはフェイントなんで気にしないで下さいとしか感じなかったよ。花見は歩き始めた瞬間にもう行きたい方向を見ていた。それを本人が覚えていないのは無意識だからだ」
いくら楓歌ちゃんが視線や動きに気をつけていても無意識が合図を送ってしまっていたのか。通りで動きを読まれるわけだ。
「それなら楓歌ちゃんが阻止する側の時はどうして分かったんですか? もしかして阻止する時も視線が動いていたんですか?」
「いや違う。阻止側の時は、出そうと思っている手を一度開いてまた握っていた。緊張した時に出るクセなんだろうな」
「そうなクセがあったの楓歌ちゃん!?」
「ど、どうなんだろう……?」
やっぱり自覚は無いみたいだ。
いままで一緒にいて楓歌ちゃんにそんなクセがあるなんて気づかなかった。
「分かったか? このゲームには超能力なんて必要ない。ただ【人間を観察する力】があればいいんだ。その人間が何を考えているのか。その結果どんな行動を取るのか。そういうのをどれだけ感じとれるかが重要なんだよ」
あ。これ知ってる。
たまに趣味や特技に書いてある人間観察ってやつだ。
あんなの趣味も特技もない人が読書って書くのと同じレベルの話だと思っていた。
本当に人間を観察する人がいるなんて。
「これで納得いったか? じゃあ私はもう帰るからな」
そう言うと安芸さんは私達に背を向けて歩き始めた。
「安芸ちゃん……」
汐星先輩もさすがに思うところがあるのか困惑の表情を浮かべていた。
でも勝負自体は真っ当に行われたのだ。いまさら先輩が何か言えることはない。
「……待って下さい!」
帰路につこうとしていた安芸さんを呼び止めたのは楓歌ちゃんだった。
「何だ?」
呼び止められた安芸さんが冷たい目で楓歌ちゃんを睨む。
そんな圧をかけられても楓歌ちゃんは物怖じせずに言葉を続けた。
「勝負は私の負けです。それは認めます。でも諦めきれない」
「なんだって?」
「一度失敗したからって、それでもう何もかも終わりになんてできない。そんなに軽い気持ちで挑んでない」
睨む安芸さんにまっすぐ向き合った楓歌ちゃんは声を震わせながらそれでも続けた。
「私は声優になるのを諦めません」
「……そうか。なら私はもう止めない。勝手にするんだな」
「そうします。そして安芸さんから話を聞くのも諦めません」
「は!?」
楓歌ちゃんの言葉を聞いて安芸さんが動揺を見せた。
これまで無関心か怒りしか見せなかった表情に初めて困惑が見てとれた。
「約束なので今日のところは諦めます。でも次に会った時にまた勝負しましょう。そこで負けたらまたその次に会った時に勝負して下さい。その次も、その次も、もう参ったと言うまで私は安芸さんに挑み続けます」
「ふざけるな。どうして私がそれに付き合う必要がある」
「安芸さんに必要がなくても私にはあります。絶対に諦めない。安芸さんが土気にいるのが嫌になるくらいにつきまとってやる!」
うり坊娘がとんでもないことを言い出した。
お前が諦めるまで私は突撃をやめないぞと言い出したのだ。
さすがにこんな展開になるとは思っていなかっただろう安芸さんは、苦々しく額をおさえていた。
「何を言ってるんだコイツは……おい汐星。何でこんな厄介なのを連れてきたんだ」
「へへ……かわいい子でしょ」
それは安芸さんが求めていたコメントではないと思う。でもマイペースな先輩らしいコメントだ。
「次はいつ会えますか? 私はいつでもOKです! 次はどんな勝負をしますか? 同じゲームでもいいです。どんなのでも受けて立ちますよ!」
さっきまでの絶望感は消えて、楓歌ちゃんはいつもの楓歌ちゃんに戻っていた。
自分の道を貫くためなら相手の事情などお構いなしなこの感じ。私のよく知る花見楓歌だ。
「……はぁ……」
安芸さんが心底嫌そうなため息をついたのを見て少し溜飲が下がった。
どうだ。いくら都合よくねじ伏せようとしても、這い上がって突撃していくのが楓歌ちゃんだ。
この無鉄砲なうり坊娘を止められるものなら止めてみろ。
「……明日だ」
「へ?」
「明日、都合をつけてやる」
意外な申し出だった。てっきりこのまま二度と顔を合わせないように徹底するのかと思っていたのに、まさか今日の明日で会おうとするなんて。
「明日! 分かりました。また明日プラザで待ってます!」
「違う。明日は劇団の稽古はない。明日は直接私の家に来い」
「いいんですか?」
「これ以上つきまとわれても困る。ならもう全部話してやるよ」
「え?」
「汐星。それが一番早いんだよな?」
「そうだよー。だから最初からそう言ってるじゃん」
「勝負しなくていいんですか?」
「その勝負は意味がないだろ! 負けてもしつこく挑まれるなら時間の無駄だ」
「やった! ありがとうございます!」
「くそ。しくじった。勝負の条件にこれ一回と入れておくべきだった」
あの安芸さんがどうやら根負けしたようだ。
さすがにずっと付きまとわれるのは勘弁らしい。
勝負には負けても結果だけをみたら楓歌ちゃんは自分の思いを貫いたのだ。
「汐星。明日こいつらを連れてこい。長くなるから早めに来いよ」
「あいさー。じゃあ現役声優さんに取材ってことで部活はお休みにしますか」
あれよあれよと話がまとまっていく。
最初に汐星先輩が襲われた時はどうしようかと思ったけど、楓歌ちゃんの望み通りになって良かった。
「じゃあみんな。今日はもう解散にしよっか。安芸ちゃんもありがとうね」
「そんなお礼だけで済まそうとするなよ」
「分かってるよー。楽しみにしておいて」
ふふふと笑う先輩。
幼馴染だけあってあの2人は本当に仲良しなんだな。
……まあ首を絞められてもヘラヘラしてるくらいの関係だもんな。
「良かったね楓歌ちゃん」
「うん! 小雪ちゃんも協力してくれてありがとう」
「なんのなんの」
結局私のアドバイスは役に立たなかった。
私がもう少ししっかり観察できていれば楓歌ちゃんを勝たせてあげられたかもしれないのに。
彼女の隣にいるからには彼女の助けになりたい。彼女に私が必要だと思って欲しい。
先輩達と別れた帰り道。
明日のことにワクワクしている楓歌ちゃんの隣を歩きながら、私はもう少しこの件に深入りしようと決意を固めた。
次の日。
授業が終わった私達は汐星先輩と学校の外で待ち合わせをしていた。
今日は半日授業だったのでまだ陽の位置は高い。今からなら話す時間は十分に取れるだろう。
「やっぱりここで待ち合わせにするんだ?」
「私のお気に入りの場所だからね」
先輩との待ち合わせは学校から少し歩いた場所にある、住宅地のど真ん中に建っている鉄塔の下だった。
30メートルほどの高さのこの鉄塔は、どうやら電話会社の無線中継所らしい。
特に名前はついておらず楓歌ちゃんは勝手に【土気タワー】と呼んでいた。
町を歩いていると突然現れるこの大きな鉄塔は、のどかな土気の町にはやや不釣り合いな建造物だ。
それでも楓歌ちゃんは昔からこの鉄塔が好きで気が向いたら見に来ているそうだ。
「いいよねー。この紅白のデザイン。昔は上の方にでっかいアンテナみたいなのが付いてたんだよ」
「相変わらず私には良さが分からないなぁ」
「夕方とか素敵だよ。紅白の鉄骨がオレンジに映えてすっごい綺麗なんだ」
「へぇー」
鉄塔そのものに興味はない。でも塔を眺めている楓歌ちゃんを見るのは好きだった。
土気にはここ以外にも面白い建造物がいくつかある。
例えば町を横断するように建っている船のマストのような柱。
あれは大昔に使われていた電柱の跡だ。
土気の町の上を通って南の方にあった工場に電気を送っていたらしい。
今は電線が取り外されてマスト部分だけが残っている。
本来なら2015年に取り壊し工事が決まっていた。だけどこの電柱を見にわざわざ土気を訪れる人がいたので町のモニュメントとして残したそうだ。
楓歌ちゃんはこの役目を終えた電柱にも【土気大マスト】と名前をつけてお気に入りスポットにしている。
鉄塔を眺める楓歌ちゃんはいつもより瞬きの回数が多くなっていた。
どうやら楽しくなると自然と目が大きく開いて、目が乾いてしまうから回数が多くなるみたいだ。
これも昨日安芸さんが言っていた楓歌ちゃんの無意識の動きなんだろう。確かによく見ていると色んなクセを発見する。
今までは漠然と楓歌ちゃんを見ているだけだったけど、これからはより深く観察できそうだ。
「ねえ小雪ちゃん」
「え!? ど、どうしたの?」
「聞きたいことがあるんだけどいいかな?」
焦った。楓歌ちゃんを観察していたのがバレてしまったのかと思った。
「いいよ。何か気になることでもあった?」
「うん。小雪ちゃんも声優をめざすの?」
「う……」
「もしかして無理に付き合ってくれてるのかなと思ってさ」
昨日は話に巻きこまれて何となくそういう流れになってしまっただけで、私自身は別に声優をめざそうとは思っていない。
ただそれをあけすけに楓歌ちゃんに伝えるのは少し憚られる気がした。
「そんなことないよ。知らない世界の話は面白いし、TRPGのシナリオに生かせるかもしれないしね」
「それならいいんだけど」
そういう気持ちもあるにはある。でも一番強いモチベーションは、私の知らない楓歌ちゃんの時間ができるのが嫌だからだ。
楓歌ちゃんのことは何でも知っていたい。私の知らないところで何かをやったり、誰かと仲良くなられるのは嫌だ。だから目を離したくないのだ。
「私は私で楽しんでるから気にしないで。楓歌ちゃんの好きなようにやってくれていいよ」
「うん。ありがとう」
だけど楓歌ちゃんがこのまま本当に声優をめざし始めたら私はどうするんだろう。
私の知らないところで楓歌ちゃんの世界が広がっていく。ずっと一緒だった世界が離れていく。それを私は許せるんだろうか。
「2人ともお待たせ~」
腕を大きく振りながら汐星先輩が待ち合わせ場所にやって来た。
お待たせと言いながらも、別段急ぐわけでもないのが先輩らしい。
「進路相談で時間かかっちゃった」
「新学期早々!? なんかやらかしたんですか?」
「ちがうよぉ。夏休みの間に集めた資料を先生に見てもらってたんだ」
「汐星先輩って高校卒業したらどうするんですか?」
「私は進学希望だよ。東京にある大学に通うの」
「そうなんですね。てっきり安芸さんを追いかけて声優めざすのかと思ってました」
汐星先輩は成績優秀だ。将来的なことを考えたら普通は進学するだろう。でも安芸さんみたいな幼馴染がいるならそういう道も考えているのかもしれない。
「私には無理だよぉ。人前に立って演技するのなんて向いてないもん」
「TRPG部の部長が何をおっしゃられるやら」
「TRPGは仲の良い人とだけやるからいいんだよ。楽しいことは趣味にしておくのがベスト。仕事にしたら苦しくなっちゃいそうだもん」
普段はおっとりしてるのに、こういう考え方はしっかりしてるんだよな。
確かに汐星先輩の言う通りだ。
私も昔からTRPGは好きだけど ”やりたい事” が ”やらなきゃいけない事” になったら楽しめる自信はない。
「でも楓歌ちゃんが声優になるのは応援するからね」
「ありがとうございます! それで天使先輩、安芸さんのお住まいはどこなんですか?」
楓歌ちゃんが鼻息を荒くして聞いた。
今日は朝からずっとソワソワしていたから、よほど安芸さんと話したいんだろう。
「ここから歩いてすぐだよ。ホキ美術館の近く」
「そっちだとコンビニとか無いですね。差し入れでも買っていこうかと思ったのに。楓歌ちゃんは何か持ってきた?」
「えぇ……私も何も持ってきてないや」
「大丈夫だよ。私がたくさんお菓子を持ってきたから」
汐星先輩は背負っている鞄をユサユサと揺らした。
揺れ具合から見て結構な量が入っているみたいだ。
「しまったなぁ。昨日は最初から最後まで険悪な感じだったから手みやげ必須なのに」
「そんな険悪だったかな?」
汐星先輩が驚いたように言う。
「でも楓歌ちゃんなんてずっと睨まれてたじゃないですか」
「安芸ちゃんは心情を隠すのがうまいからね。本当は見た目ほど不機嫌じゃなかったと思うよ」
「そうなんですか?」
どう考えても怒っているようにしか見えなかった。
あれで実は機嫌が良かったなんて言われたら、もう私は相手の気持ちを察するのなんて無理だ。
「安芸ちゃんは楓歌ちゃんみたいなタイプが好みだから。本当のことを言うかは分からないけど後で聞いてみたら?」
楓歌ちゃんは昨日みたいに相手の事情などお構いなしに突進していくのにも関わらず、何故か人に好かれやすい。
学校でも自由奔放すぎるせいで上級生や先生達と衝突することもあるのに、いつの間にか可愛がられている。
まあでもこんなに愛らしいのだから誰でも好きになってしまうのはとてもよく分かる。だから安芸さんが楓歌ちゃんを気に入ってしまうのも仕方のないことだ。
ただ好みのタイプというのがどういう意味かで話は変わってくるんだけどね。
声優に関する話を聞きに行くだけだと思っていたのに、今の汐星先輩の一言で私の中の警戒度が一気にあがった。
先輩に連れられて歩くこと数分。安芸さんの家に到着した。
バス通り沿いにあるレンガ風味の壁をしたアパートタイプの建物だ。
最近この辺りにこういう建物が増えてきたので、もしかしたら土気の人口が増加傾向にあるのかもしれない。
何にせよ人が増えるのはいいことだ。こんな平和しかない町にようこそ。
「このお家が安芸ちゃんの実家ってわけじゃないんだよ」
「そうなんですか?」
「土気に帰ってきた時のために借りてるお部屋なんだって」
「あ。やっぱり安芸さんは東京住まいなんですね」
現役声優ともなれば仕事は基本的に東京で行われるのだろう。
都心まで電車で一時間以上かかる土気を拠点にするのは中々に厳しい。
「そうだよ。だから安芸ちゃんは都内と土気で2軒も家を借りてるの。実家に帰りたくないって理由で部屋を借りちゃうなんて可愛いよね。でもそれくらいの収入はあるんだから立派なものだよ」
「もしかして安芸さんって売れっ子なんですか?」
「それなりに有名人だよ。昨日調べなかったんだ?」
「調べました。でも【声優・安芸】で検索したのに出てこなかったんですよ」
「あ。そっか。安芸ちゃん芸名で活動してるんだった」
「そりゃ調べても出てこないわけだ。何て名前で活動してるんですか?」
「うーん。それは私が教えていいのか分からないな。ごめんね」
確かにわざわざ芸名で活動している人を特定するのはあまり気持ちのいいものじゃない。
知られたくないのかもしれないし、いつか安芸さんが話してくれるまで待とう。
汐星先輩に連れられアパートの2階にあがり、左側の部屋のインターホンを鳴らした。
「はいよ」
インターホン越しに安芸さんの声が聞こえる。
昨日のような棘を感じる声ではなく、もっと力の抜けたラフな声だった。
「土気南高校TRPG部でーす」
「間に合ってます」
「ちょっと安芸ちゃん。間に合ってるとは聞き捨てならないな。当部活は素敵なTRPGライフを送るために日夜懸命に活動してるんだよ」
「うるさいな。茶番してないで入って来いよ」
「はいはい。お邪魔しまーす」
汐星先輩が自分の家のように玄関の扉を開ける。
扉の向こうには昨日よりも穏やかな顔をした安芸さんが立っていた。
Tシャツにハーフパンツという隠すつもりのない部屋着。それに加えて化粧すらしていない完全オフモード状態だった。
「あがりな」
玄関でキチっと靴を揃えた汐星先輩にならって、私達も靴を並べて部屋にあがらせてもらった。
外から見た印象と違って部屋の中はかなり広かった。
台所と一体化しているリビングは10畳以上あるし、他にも部屋がいくつかありそうだ。
リビングの中央には机とノートパソコンが置いてあって、壁際の本棚には漫画やら小説やらがたくさん並んでいる。
私が持っている安芸さんのイメージよりも、ずいぶん親しみを感じる部屋だった。
「好きなところに座んな。飲み物はこっちで用意してある」
「あ。お菓子たくさん持ってきたから食べてね」
安芸さんと汐星先輩が協力して机の上をおもてなしモードに変えている間、私は初めて来た大人の女性の部屋に興奮していた。
こういうのが大人の部屋なんだ。私の部屋みたいにゲームだったりTRPGの資料が散乱してない。あと漂ってる匂いがもう大人っぽい。普段はどこでくつろいでるんだろう。料理とかするのかな。服とかどれくらい持ってるんだろう。
次から次へと気になって部屋をキョロキョロ見渡してしまった。
私がそんな風に部屋を満喫していると、楓歌ちゃんがカバンからノートとペンを出していた。
こりゃいかんと私も同じようにノートとペンを出して話を聞く準備を整える。
ジュースとお菓子が机に並べられ、安芸さんと汐星先輩が向かい側に座った。
「まずは改めてお前らの名前を聞いておこうか」
「花見楓歌です」
「そっちのお前は?」
「七夕小雪です。汐星先輩の後輩で同じ部活です」
「花見に七夕だな」
「天橋汐星でーす」
「んなこたぁ知ってるよ」
「しばらく会わない内に私の名前を忘れたんじゃないかなと思って」
「休みの間にあれだけ会っただろうが」
二人が目の前でいきなりイチャつきはじめた。
安芸さんは私から見たらかなり怖い人だ。見た目も怖いし、喋り方も怖いし、纏っている雰囲気も怖い。
そんな怖いものづくしの安芸さんに全く物怖じしない汐星先輩は凄いと思う。
幼馴染ってだけで、年上の人とあそこまで砕けた関係になれるのは羨ましいな。
「お二人はいつからの幼馴染なんですか?」
「安芸ちゃんとは幼稚園からの友達だよ。家が近くだったから家族ぐるみの付き合いだったんだ」
「じゃあ安芸さんも土気出身なんですね」
「そうだ」
「東京のお部屋、前に遊びに行った時は散らかっててビックリしちゃった」
「連絡もなく来るからだ。普段は整頓されてるの知ってるだろ」
「ご飯もろくに食べてなかったから作り置きまでしてきちゃった」
……何だろうこの所帯じみた感じは。
まるで安芸さんが旦那さんで汐星先輩が奥さんみたいだ。
「でもしばらくは土気で過ごすんだよね?」
「ああ。何かあってもここから向かう」
「あれ? 安芸さんって現役声優さんじゃないんですか?」
「現役だよ。今はレギュラーが切れてる時期だからな」
「レギュラー?」
「それも後で話す」
「おかげで今年の夏はたくさん一緒にいられたもんね」
「お前が毎日毎日家に来るからな。児童劇団の講師やら何やら任されてたまったもんじゃない」
「たくさん私を補給できて良かったじゃん」
「何様のつもりだお前は」
うーん。
何だこの湿っぽさは。本当にこれ幼馴染の会話なのだろうか。
これはちょっと幼馴染のボーダーを超えてしまっている気がするな。
どちらかと言うと声優の話よりもそっちの話を聞きたくなってきた。
「私の話はいいんだよ。それよりもお前達だ。何でお前らは声優になりたいんだ? それを聞かせろ」
はい来ましたよ志望動機。
そりゃどうしたって聞かれるよね。でもそれを聞かれるのが一番困るんだ。
何故なら私はそもそも声優になるつもりはない。
もしそれでも理由をあげるとするなら楓歌ちゃんと一緒にいたいからだ。
だからと言ってそれをそのまま答えるわけにはいかない。
言い出しっぺの楓歌ちゃんですら、動機は好きな声優さんに会いたいからときている。それを素直に伝えたら激怒されるのは明白だ。
どうやってここを切り抜けるか。
TRPGで言うところの最初のミッションだ。
ある目的がある。
プレイヤーは何とかしてその目的を果たすためにNPCに取り入らなくてはいけない。
ではプレイヤーのみなさん。いま持っている情報を駆使してNPCに取り入ってみて下さい。
そんな状況だろう。
さしあたって安芸さんが現役声優で、プライドを持って仕事をしているのは分かっている。
そんな安芸さんの好感度が高そうな回答を考えるんだ。
大丈夫。私も楓歌ちゃんもこんなの何度もやってきた。むしろ得意分野だ。
安芸さんが納得するような完璧な解答をしてやろうじゃないか。
……そう私が思った時だった。
私の隣に座る幼馴染が、またもや無茶な突進をかましたのだ。
「はい! 私は声優の鷹月桜祭ちゃんに会いたいからです!」
注)作中に出てくるマスト型の電柱、実際は2015年頃に全機取り壊されていて現在は跡地だけが残っています。




