第3話 現役女子高生VS現役声優
「な、何ですと!?」
現役の声優さんからアドバイスをもらえる。そう信じて小犬のようにワクワクしていた楓歌ちゃんが素っ頓狂な声をあげた。
「声優なんてめざすな。以上。ほらほら解散だ。遅くなる前に家に帰れよ」
全くもって取り付く島もない。何より女性声優ってこんな乱暴の話し方をするのか。私の知っている女性声優さんはもっと可愛い話し方をしていた気がする。
そんな乱暴な話し方の女性声優安芸さんは、荷物をまとめてさっさと和室から出て行こうとしていた。
そうはさせまいと楓歌ちゃんが安芸さんの前に立ちはだかる。
「待ってください。どういう意味なんですか?」
「言葉通りの意味だよ。そんなに難しいか?」
「声優になるためのアドバイスが声優をめざすのをやめろって意味が分からないですよ!」
「そんな含みを込めた意味じゃない。単純に諦めろって話だ」
「嫌です。諦めません!」
「そうか。まあそれは勝手にしたらいい。じゃあな」
「逃がすかぁ!」
渾身の掛け声とともに楓歌ちゃんは安芸さんの腰めがけてタックルをしかけた。
さすが土気南のうり坊娘。怖いもの知らずにも程がある。
さながらレスリング選手のように安芸さんを捕らえることには成功した。
「ああああああああー」
ただ小柄な楓歌ちゃんでは安芸さんを止め切れず、そのままズルズルと引きずられていた。
突進力はあってもしょせんうり坊だからなぁ……。
「だから何なんだよお前は」
「花見楓歌です!」
「名前を聞いてるんじゃない。何で食い下がってくるのか聞いてるんだ」
「声優になるためのチャンスなんです! 絶対に逃さない! 話してくれないならこのまま土気駅までくっついて行きます!」
「ほう。面白いじゃないか。いいぞ、そのまま掴んでろ。お望み通り駅まで引きずってやる」
安芸さんは全く話す気がないし楓歌ちゃんも全く離す気がない。
これはダメだ。楓歌ちゃんが意地になっている。あのモードに入った楓歌ちゃんは絶対に引き下がらない。このままだと本当に駅まで引きずられていって、夜な夜な若い女性にへばりつく怪異の噂が立ってしまう。
「安芸ちゃん。イジワルしないでお話してあげなよ」
意地と意地の張り合いに水を差したのは汐星先輩だった。
「汐星。お前が大事な後輩って言うからもっとも時間を無駄にしないアドバイスをしたんだろうが」
「そうだとしてもちゃんと順序立てて話してあげて。いきなり諦めろとだけ言われても納得できないよ。安芸ちゃんだって誰かにそう言われたらいい気はしないでしょ?」
「私は早く帰りたいんだよ」
「楓歌ちゃんは頑固だよぉ。このままだと眠くなるまでくっついてるから、話してあげるのが結局一番早く帰れるよ」
「……くそ。覚えてろよ」
「うんうん。私が安芸ちゃんの話を忘れるわけないじゃん」
汐星先輩に毒づく安芸さん。でも汐星先輩には暖簾に腕押しのようだ。何かこの2人の関係が分かってきた気がする。
「分かった。じゃあ筋くらいは通してやる」
そう言うと安芸さんは楓歌ちゃんの両脇に腕を差し込んでヒョイと体を持ち上げた。
「な、何ぃ!?」
体重の軽い楓歌ちゃんは、いともたやすく米俵みたいに抱え上げられてしまった。
バタバタと手足を動かして抵抗するも全く逃げられない。
「うおおおおおおおおおッ!」
「楓歌ちゃん! あんまり足をバタつかせるとパンツ見えちゃうよ!」
「小雪ちゃんに貰ったスパッツ履いてるから大丈夫だよ!」
よしよし。私が厳しく言った甲斐もあってちゃんと対策しているようだ。
楓歌ちゃんはスカートが捲れてても気にしないから、高校入学と共に大量のスパッツをプレゼントしたのだ。これなら全力で足を振り上げても大丈夫だね。
いやそうじゃねぇ。楓歌ちゃんを離しやがれ。
いくら乱暴な態度で威圧されても楓歌ちゃんに手を出すならこっちも黙っちゃいない。
囚われの楓歌ちゃんを取り戻すために暴れ回る脚を掴もうとすると、安芸さんは楓歌ちゃんを抱えたままスタスタと部屋の出口に向かって歩いて行った。
「場所を変えるぞ。汐星もついてこい」
「あいさー。それじゃあ叔母さん。またねー」
汐星先輩が笑顔で叔母さんに別れの挨拶をする。
この状況でも何ら動じていない叔母さんはヒラヒラと手を振って見送っていた。さすが同族。何ともマイペースだ。
「こ、小雪ちゃーん……」
楓歌ちゃんの悲しそうな声に振り返ると、抵抗を諦めて連行されていくところだった。
助けを求めるウルウルとした瞳がとても可愛らしい。うんうん。人形みたいに扱われる楓歌ちゃんもアリだな。
なんて思ってる場合じゃなかった。楓歌ちゃんが連れていかれたなら私もついて行かないと。
ニコニコと微笑んでいる汐星先輩の叔母さんに頭を下げて、和室に駆け込んだ時に落とした楓歌ちゃんの通学鞄を拾い上げる。
そしてだんだんと小さくなっていく幼馴染の声を追いかけたのだった。
あすみが丘プラザのすぐ隣には【ふれあいの広場公園】と呼ばれる公園がある。
この公園には正面から入ってすぐのところにバスケットゴールが置かれていた。
このバスケットゴールはストリートバスケに魅了された若者が、市の役員にバスケの素晴らしさをプレゼンして設置されたそうだ。
そのプレゼンが功を奏したのか、これくらいの時間になると学校帰りの学生やバスケ好きの社会人がこのゴールを使って汗を流しているのをよく見かける。
だけど今日に限って誰もいないのは助かった。米俵のように抱えられる女子高生なんて見られたら通報されていたところだ。
楓歌ちゃんを抱えた安芸さんは公園の中ほどまで歩いて行くと、原っぱに楓歌ちゃんを勢いよく転がした。
転がされた楓歌ちゃんはしばらくコロコロと回転して、勢いが弱まったところで体勢を立て直して立ち上がる。
「ほう。運動オンチってわけじゃないみたいだな」
「こう見えても体育の川崎先生にはいつも褒められてますからね」
「誰だそれは」
「教えて下さい。声優をめざすのをやめろってどういう事なんですか?」
「それをイチから説明してやってもいいんだがな。面倒くさいし時間がかかる。だから一つ勝負をしよう」
「勝負?」
「ああ。簡単なゲームだ。それでお前が勝てたら何でも話してやる。だが負けたら私の言う通りに諦めるんだ」
ここまで来たのに別に話してくれる気は無いらしい。汐星先輩の説得で折れてくれたのかと思ったのは考えが甘かったようだ。
しかしゲームって何をするんだろう。まさかこんなところでボードゲームをやるわけはないだろうし。もし私達が知らないゲームなら相手有利になるな。
「そんな難しい顔をするな。ルール自体は至ってシンプルだ」
そう言いながら安芸さんが楓歌ちゃんの真正面に立った。
「まずは相手に向かって歩く側とそれを迎え討つ側に別れるんだ。そして歩く側は相手の前まで行ったら右か左に避ける。迎え討つ側は相手がどちらに避けるかを読んで進行を手で塞ぐ。簡単だろ?」
「えーと。例えば私がそっちに向かって歩いて行くとしたら、安芸さんの前に着いたら右か左に避ける」
「そうだ。そして私はお前がどちらに避けるかを見極めて手で進行を妨げる」
確かにルール自体はシンプルそうだ。でもこれのどこにゲーム性があるんだろう。ただ確率2分の1を選ぶだけのように思える。
「それを交互に……そうだな。それぞれの立場を3回ずつやろう。そしてその内の1回でもお前が私を出し抜ければお前の勝ちだ」
「つまり、私が歩いて行って1回でも妨害をくぐり抜けたら私の勝ちだし、私が安芸さんを1回でも阻止できれば私の勝ちって事ですか?」
「そうだ」
ますます分からない。相手は楓歌ちゃんの手を全部読まなければいけないのに対して楓歌ちゃんは1回でも読み勝てば勝利。これじゃ相手有利どころか楓歌ちゃんに有利すぎる。
「……」
「お前に有利過ぎて納得いかないって顔だな。安心しろ。それでもお前はこのゲームでは絶対に私に勝てない」
そんな馬鹿な言い分があるもんか。楓歌ちゃんが全部外すパターン。つまり2分の1を6回連続で外す確率は0.5の6乗で約1.5%。無くは無い数字だけどそれを絶対なんて言い切れるはずがない。
「言い忘れたが、当然一度動いた方向や出した手を相手の動きを見て変えるのは無しだ」
「それは誓ってやりません」
「よし。ルールを理解したなら早速やるぞ。お前の好きな方から始めていい」
この段階になってもこのゲームの意図が理解できなかった。こんなのジャンケンよりも勝てる確率の高いただの運試しだ。
楓歌ちゃんも何だか煮え切らないような顔をしていた。同じく相手の意図をはかりかねているんだろう。
でもそこはうり坊娘。悩んでいても始まらないとすぐに気持ちを立て直したようだった。
「じゃあ私は最初に歩いて行く方をやります」
「分かった。なら私は妨害する方だ」
安芸さんが数歩後ろに下がって楓歌ちゃんとの距離を取った。
お互いの距離はせいぜい10歩ほど。
一体こんな距離を歩くだけでどんな勝負ができると言うのだろうか。
「行きます」
楓歌ちゃんがゆっくりと歩き始めた。
対する安芸さんは腕を組んだまま楓歌ちゃんを見ているだけだった。
4歩……5歩。
楓歌ちゃんが安芸さんに近づいていく。
それでも安芸さんは変わらず楓歌ちゃんを見ているだけだ。
8歩。9歩。
いよいよ安芸さんの目の前まで辿り着いた。
ここから一体どちらに避けるんだろう。などと私が考える間もなく、楓歌ちゃんは勢いよく右側に避けた。
さすが運動神経抜群なだけあって素早い動きだ。
さっき相手の動きを見てから手を変えるのは無しだと言っていたけど、こんなの見てから反応できるわけがない。
私は楓歌ちゃんの勝ちを疑わなかった。
……なのに。
「ん」
楓歌ちゃんはあっさりと安芸さんに止められていた。
あんなに素早く動いたのに、しっかりと安芸さんの腕に捕まっている。
「まずは1回妨害だな」
私も楓歌ちゃんも驚いていた。
それこそバスケなら楓歌ちゃんは安芸さんを抜き去ってゴールを決めていただろう。それくらい鮮やかな動きだった。
でも落ち込むにはまだ早い。チャンスはあと5回あるんだ。
「次は私が歩く番だ。準備はいいか?」
攻守交代。安芸さんがさっき楓歌ちゃんがいたあたりまで移動した。
「……どうぞ!」
気持ちを切りかえた楓歌ちゃんが答える。
大丈夫。体を動かすより手を動かす方が簡単だ。
直前までしっかりと相手の動きを見て、避けそうな方に手を伸ばせばいい。
安芸さんが歩き始めた。
とてもリラックスした歩き方だった。
重心のぶれない真っ直ぐな歩行。楓歌ちゃんをじっと見つめる視線。
ただ歩いているだけなのにどこか美しさすら感じる。
右に避けるのか左に避けるのか。
歩きを見ているだけでは検討もつかなかった。
あっという間に楓歌ちゃんの前まで来た安芸さんは、別に激しく動くわけでもなく、スッと楓歌ちゃんの右側を抜けていった。
「……!」
対する楓歌ちゃんは、安芸さんが避けたのとは反対側の手を出していた。
「どうして!?」
つい大きな声が出てしまった。
さっきに続いてこんなにあっさりと勝ちを奪われるなんて。
「安芸ちゃんはああいうの得意だからねぇ」
私の隣で一緒に観戦していた汐星先輩が苦笑いを浮かべながらそう言った。
あんなゲームに得意とか不得意があるとは思えない。絶対に何かカラクリがあるはずだ。カラクリがあるから楓歌ちゃんが負けるんだ。そうじゃなきゃおかしい。
「よし。じゃあまた交代するか。花見、今度はお前があっちから歩いてこい」
「タイムタイムターイム!」
大きな声で2人の勝負に割って入ったのは私だ。
申し訳ないけどこのまま黙って見過ごせない。
「ああ?」
「作戦会議をさせて下さい!」
「何でだよ。お前は関係ないだろ」
「関係なくないです! 私は楓歌ちゃんの友達だから彼女を助ける権利があります!」
「そんなの認めてないぞ」
「そっちが言い出したゲームに参加したんだから少しくらいハンデを下さいよ!」
言いながら自分でもずるいなと思った。
もしそのつもりがあったなら最初の段階で言い出すのが筋だ。こんな負けが続いた後に言い出すのはフェアじゃない。
だけど楓歌ちゃんがこのまま負けるのを見ているのは絶対に嫌だ。
「……まあいい。あまり時間をかけるなよ」
よし。勢いで押し通した。
私はすぐに楓歌ちゃんのところまで走って行って、落ち込んでいる彼女の肩を抱きとめた。
「楓歌ちゃん、大丈夫?」
「小雪ちゃん……。うん。大丈夫。でも多分だけど、このままだと負けると思う」
「やっぱり?」
これは長くゲームで遊んできた者の勘みたいなものだ。
いま楓歌ちゃんが挑戦している勝負は勝つか負けるか分からない手に汗握る勝負なんかじゃない。
これはおそらく勝ち目のない勝負だ。RPGゲームで言うところの負けイベントだ。
信じられないけど安芸さんの言った通り、絶対に楓歌ちゃんは勝てない気がする。
何かがある。安芸さんは何かをしているんだ。その何かで楓歌ちゃんの動きを読んでいる。
「楓歌ちゃん。安芸さんに何かされてない? 例えばさり気なく動きを誘導されてるとか」
「ううん。そうかもしれないと思ってなるべく顔を見ないようにしてたんだ。目とか見るとそれこそ惑わされちゃうかと思って」
「何かされてる訳じゃないのか……じゃあ楓歌ちゃんの体が自然に行きたい方向にブレてるとか」
「それも大丈夫だと思う。歩く時は真っ直ぐ歩くようにして、重心もどっちかに寄らないように気をつけてたよ」
そのあたりは信頼感がある。楓歌ちゃんの体幹はかなり強い。体の動きを意識しているならそれで行きたい方向がバレている訳ではないだろう。
それに仮に動きでバレているとしても、それが通用するのは楓歌ちゃんが避ける側の時だけだ。妨害する側の時には参考にならない。
「いったい何で判断してるんだろう。まさか私の心の中を読まれてるとか?」
「そんな馬鹿な。そんな人間がいたら怖いよ」
とはいえさっき汐星先輩が言ったことを信じるなら、安芸さんがたった10歩足らずの距離を歩く間に何かを読み取っているのは間違いない。
「楓歌ちゃん。聞いて。次のターンは捨てよう。次のターンを使って安芸さんが楓歌ちゃんの何を読み取ってるのかを探るんだ」
「分かった。じゃあ逆に観察するんだね」
「うん。安芸さんの動きや表情をよく見てみて」
それだけアドバイスすると私は元いた場所まで戻った。
あまり長く話し込んでいて文句を言われても困る。
「作戦会議はもういいんだな? じゃあ花見。定位置まで移動しろ」
「分かりました」
楓歌ちゃんは安芸さんから離れて、さっきの位置に着いた。
二度目の挑戦だ。
ふぅと呼吸を整えた楓歌ちゃんが歩き出す。
歩き出した楓歌ちゃんは安芸さんをじっと見ていた。私も安芸さんの挙動を注視する。
でもさっきまでと変わらなかった。相変わらず楓歌ちゃんをじっと見ているだけだ。
当然、誘導するような素振りなど無い。表情にもこれといった変化は無かった。
「くそ。全然分からない」
そうこうしている内に楓歌ちゃんが安芸さんの前まで辿り着く。
するとそこで楓歌ちゃんはあからさまに左側を見た。今からそちら側に行きますよと言わんばかりに視線を逸らしたのだ。
恐らくあれはフェイントだ。少しわざとらしいけど、このターンはもう捨てると決めている。何をやっても無駄にはならない。
楓歌ちゃんは視線を正面に戻すと、一瞬の間をあけて左側に避けた。
あえて視線を送った方に避けたのだ。
つまりフェイントのフェイント。
面白い企みだった。これは安芸さんの反応が遅れてもおかしくないんじゃないか。
そう思っていたのに。
またもや安芸さんの手は楓歌ちゃんの体をがっしりと抱き止めていた。
「これでもダメ!?」
フェイントにも引っかからない。
やっぱり安芸さんには楓歌ちゃんがどちらに避けるか分かっている。さもなければ今のフェイントで動揺くらいは誘えていたはずだ。あんな涼しい顔でいられるわけがない。
「よし。じゃあ次だ」
再びポジションをチェンジ。
今度は楓歌ちゃんが阻止する番に回った。
安芸さんはやっぱりさっきと同じだった。綺麗な姿勢でスタスタと歩いてくる。
そして楓歌ちゃんの目の前までやってきた。
「こっちだ!」
楓歌ちゃんが気合いを入れて右手を出す。
でもその時にはもう安芸さんは反対側にいた。
楓歌ちゃんが手を出す前に、すでに反対側に動いていたのだ。
「うわー! 何でだー!」
楓歌ちゃんが悔しそうな叫び声をあげた。
気持ちは痛いほど分かる。こんなにうまくいかない事があるなんて。
子供の頃からの長い付き合いで、ここまで一方的に楓歌ちゃんがやられるのは初めてだ。
「ターイム!」
私はすかさず二度目のタイムを宣言した。
安芸さんが不服そうな顔を浮かべているけど、何か言われる前に楓歌ちゃんの元まで駆けていく。
「だ……ダメっす小雪ちゃん。このターンしっかり観察したけど何も掴めなかったっす」
「ごめん。私も何も分からなかった。安芸さんはただ楓歌ちゃんの顔を見てるだけだったのに」
「私の何を見てるんだろう。視線? 表情? 歩き方? 全然分からないや。全部気をつけてるのに」
「歩き方……そっか。何を見てるのかは分からないけど、わざわざ相手に情報を与える必要はないんだ。楓歌ちゃん。ちょっと耳貸して?」
「うん」
楓歌ちゃんが髪をかき分けて耳を向けてくれた。
う。なんて小さくて可愛い耳。齧りたい。
……いやいやそんなことを考えている場合じゃない。
私はその小さくて可愛いお耳に、いま思いついた作戦を伝えた。
「……なるほど。それにかけるしかないね」
はっきり言って作戦というにはあまりに拙い。
でも正解が分からない以上、何かをやってみるしかない。
うまくいくかどうか分からなくてもダイスを振るしかない場面だ。
「頑張ってね!」
望みを託して元の位置に戻る。
戻りながら安芸さんを見ると、こっちの作戦なんか興味なさそうに欠伸をしていた。
おのれ。余裕を見せやがって。絶対に吠え面をかかせてやるからな。
「いいか花見。これが最後だ。これで負けたら諦めろよ」
三度目の挑戦。
楓歌ちゃんが歩いて行く番だ。
安芸さんも定位置に着いて身構える。
「行きます!」
所定の位置についた楓歌ちゃんはすぐに歩き始めた。
そしてそのまま足早に安芸さんの元に向かっていく。
「ん?」
安芸さんが少しだけ訝しんだ。
私の伝えた作戦はシンプルだ。ただ早歩きで近づくだけ。
安芸さんが楓歌ちゃんの何かを見て判断しているのなら、その何かが分かる前に辿り着いてしまえばいい。
たった10歩の距離。早歩きなら一瞬で目の前に辿り着く。
安芸さんの目の前まで来た楓歌ちゃんは、そこから間髪入れずに左側に避けた。
……ドン。
そんな乾いた音がする。
音は安芸さんの腕の中からだった。
見慣れた風景。
安芸さんの腕の中にはやっぱり楓歌ちゃんがいた。
「これでもダメなの!?」
判断する情報を与えないようにしたのに。それでも効き目がない。
もう本当に心の中を読まれてると思った方が納得がいく。
6回中5回失敗。
残りは妨害1回だけだ。
このままだと本当に安芸さんの言った通りになる。
あとはもう楓歌ちゃんの主人公力にかけるしかない。
物語の主人公はこういう崖っぷちから逆転する。
どんなにピンチだろうと必ず勝利する。
楓歌ちゃんはそういう力を持っている子なんだ。
「これで最後だな」
安芸さんが静かにスタート位置についた。
楓歌ちゃんも腰を落として身構えた。
泣いても笑ってもこれが最後。楓歌ちゃんの声優への道がかかっている。
安芸さんの歩く速度はさっきよりもゆっくりだった。
楓歌ちゃんに対抗して早歩きで来ると思ったのに、逆に目に見えて速度を落としてきた。
挑発のつもりだろうか。最後の最後に煽ってきているように見えた。
楓歌ちゃんの頑張りを嘲笑っているように見えてムカついた。
ゆっくりと。
楓歌ちゃんを見つめながらゆっくりと歩いてきた安芸さんは、楓歌ちゃんの前でピタリと止まった。
「どうだ? 私がどちらに避けるか分かるか?」
「分からないです。でも、もう決めてます」
「そうか」
そんな短いやり取りをした後、安芸さんがさっと動いた。
そして楓歌ちゃんも手を伸ばした。
「……」
「……」
楓歌ちゃんの手は、何も無いところを掴んでいた。
そして安芸さんは、伸ばされた手の反対側に避けていた。




