第11話 ケーキの登場です
8月。
養成所では基礎訓練を継続しながら新しい課題が出された。
二人一組でのエチュードだ。
エチュードとは芝居の形式の一つで、台本を使わずにその場でセリフを考えながら演技を続けていく、いわゆる即興芝居だ。
話の筋を考えながらセリフを止めないようにしなくてはいけないため非常に難易度が高い。
しかもパートナーもその場で決まるため、事前に打ち合わせもできない超ハードモード。
松本先生によると「正解はないから難しく考えずに思った通りにやってみろ」らしいけど、まだクラス全体が芝居そのものに慣れていない中ではハードルの高い課題だった。
初回。
私は楓歌ちゃん以外の女の子とペアを組んだ。
その子はまだ発声もうまくできず、人前に立つのにも照れがあるみたいだった。
普通はペアの子がそんな様子だったらどうすればいいか慌ててしまうだろう。
でも私にはTRPGのゲームマスターの経験がある。
TRPGも同じ即興芝居だ。
私にとっては部活で毎日やっている事とそれほど変わりがない。
ならばペアの子を初めてTRPGで遊ぶプレイヤーだと思えば、どうすれば楽しんでもらえるかのノウハウは山ほど持っている。
私はペアが決まった瞬間に、今まで遊んだセッションの中で初心者が参加しやすそうなシナリオを頭の中で検索した。
そしてオーソドックスかつ初心者でも展開がイメージしやすい【突然得体のしれない世界に迷い込んだ見ず知らずの2人が、力を合わせて元の世界に戻ってくる】というシナリオを選択した。
最初の関係性・目的・最終的な結末がハッキリしていて、うまくやれば話を進めながらお互いの距離を縮めて関係を深められるという王道のストーリーだ。
序盤のリードの仕方がうまくいったのかペアの子も どんどん話に乗ってくれて、無事に元の世界に戻れた後の最後のシーンでは「それでもあなたとだから楽しかった。じゃあ次はどんな世界に冒険に行く?」というGM冥利に尽きるセリフを言ってくれて大成功だった。
松本先生からも相方を活かすのがうまいと高評価を貰えた。
ところが私とは対照的に楓歌ちゃんの方はうまくいかなかった。
ペアになった相手がやたら自我の強い男で内容がチグハグになってしまったのだ。
開始の合図の後も相手が何もアクションを取らないので、楓歌ちゃんの方からお化け屋敷に入った友達というシチュエーションで芝居を始めた。
するとペアの相手は突然お化け屋敷の設定を無視して公園で犬と遊び始めたのだ。
仕方なく楓歌ちゃんがお化け屋敷は過去の話として、今は公園にいるという相手の設定に合わせたら、今度は友達の設定まで無視して「誰だお前は!?」と友達どころか楓歌ちゃんを敵役にしてバトル物を始める始末。
あまりに意味不明すぎて他の生徒も今がどういう状況なのかさっぱり理解できていないようだった。
演技素人の私から見ても楓歌ちゃんの振りは悪くなかったと思う。
ただ相手が自分のやりたい事だけを勝手に進めた結果こうなってしまったのだ。
前に安芸さんに教えてもらった「相方の振りを完全に無視して自分だけを見せたがる役者」のまさに典型的な例だった。
もちろん松本先生からの評価もイマイチで、ペアの男は演技や展開以前に空気を読めとダメ出しをされていた。
楓歌ちゃんは自分の良さをまるで出せず、酷い結果になってしまったのだった。
そのレッスン帰りの電車の中。
楓歌ちゃんは落ち込んでいた。
いつもの元気もなく肩を落として何度もため息をついている。
「まさかあそこまで意思疎通がうまくいかないなんて思わなかったよ……」
「いやどう考えてもあれはアイツが悪いでしょ。松本先生もすっごい苦い顔をしてたよ」
「相手がいると演技って難しいんだね。普段小雪ちゃん達とTRPGのセッションをする時はあんなにやりやすいのに」
「私達は相手が何をやりたいのか阿吽の呼吸で分かるからね。それにしたって腹立つ! 自分では何も始められないくせに人の始めた事はぶち壊すんだから。私が講師だったら芝居止めて帰らせてるよ!」
「ふふ。メチャクチャ厳しい講師だね」
お喋りして少しだけ気が晴れたみたいだ。
でもこんなのじゃ足りない。もっと元気づけてあげたい。
あんなつまらない事で楓歌ちゃんが気落ちする必要なんてないんだから。
土気に戻ったら楓歌ちゃんの好きな甘い物でも食べに行くか、それとも最近できた猫カフェに癒されに行くか。
……待てよ。
頭の中で楓歌ちゃんを元気づける作戦を練っていたら、とあるイベントを思い出した。
今日と明日、土気では夏祭りが開催されているのだ。
【とけサマーフェスティバル】と呼ばれるお祭りで、毎年開催されている土気で一番大きいお祭りだ。
今年は養成所も安芸さんの訓練もあるから参加は難しいかもと思っていたけど、レッスンはもう終わったし、安芸さんの訓練も明日だからこの時間からでも参加できる。
せっかくならそこで楓歌ちゃんの気分をしっかり晴らしてあげたい。
「楓歌ちゃん。今日サマフェスだよ。レッスン終わったばかりだけど行く?」
「行く! もちろん行く!」
ションボリしていた楓歌ちゃんがガバッと体を起こして目を輝かせた。
「サマフェスの日程をすっかり忘れてたよ」
「帰って着替えてると時間かかっちゃうから、このまま行こうか」
「そうだね。よーし、出店で食べまくるぞ!」
イベントごとが大好きな楓歌ちゃんは、お祭りと聞いて元気が出たみたいだった。
土気に戻ると、駅の駐輪場に停めておいた自転車に乗って【創造の杜】に向かった。
あすみが丘プラザの向かいにある創造の杜は大きな野球グラウンドのある公園だ。
土気サマーフェスティバルはそのグラウンドにステージや屋台を出して行われる。
ステージでは有志の人がバンドやダンスを披露して盛り上げ、初日の夜には花火まで上がるので毎年大勢の人が集まるお祭りだ。
自転車を走らせること10分。
創造の杜に到着して特設駐輪場に自転車を停めた私達は『とけ サマーフェスティバル』と書かれた横断幕のある正面入口から園内に入った。
園内ではそこかしこにレジャーシートを引いて座り込んでいる人達がいた。
みんな花火を見るための場所取りをしているのだ。
聞いた話によると朝から待機している人も大勢いるらしく、この暑いのにご苦労だなと感心する。
階段を降りた先のグラウンドには今年も屋台がたくさん出ていた。
たこ焼き・焼きそば・かき氷などの定番屋台から、ピザ・ケバブ・チーズハットグなんかの屋台もある。
楓歌ちゃんは特にチーズハットグが好きなので、グラウンドに降り立つと脇目も振らずに目的の屋台に向かって行った。
待ち列に並んでいる間、楓歌ちゃんは周囲に漂うとろけたチーズの匂いを嗅いで表情までとろけていた。
「いい匂い。やっぱり夏と言えばチーズハットグだよね」
「チーズハットグ自体は別に夏じゃなくても年中食べられるよ」
「え? 夏の屋台限定じゃないの?」
「大晦日とかお正月のお祭りにも出てるし、何なら新大久保に行けばいつでも食べられるよ」
「そんなところがあるんだ!? 行こう小雪ちゃん。新大久保にチーズハットグ食べ比べの旅に出よう!」
「食べ比べって、こんなの2本も3本も食べられるの?」
「10本はいける」
「嘘おっしゃい」
チーズハットグは衣に包んだチーズを油で揚げたカロリーの化け物だ。
1本くらいは食べられても、2本目を食べた時に美味しいと感じられるかは怪しい。
それを10本なんて気分が悪くなるどころか体を壊してしまう。
そんなカロリーを摂取させるわけにはいかないので、新大久保は禁足地に定めておくとしよう。
「あちちちち」
「だからまず少し冷ますんだよ」
楓歌ちゃんは屋台でチーズハットグを手渡されるとすぐに口に入れていた。
いつも冷めるまで我慢できないらしく毎度このやり取りをしている。
「この子またチーズこぼしてる。お口が小さいんだからゆっくり食べなさい」
「はーい。お母さん」
「失礼な。楓歌ちゃんを産んだ覚えはないよ」
「小雪ちゃんに産んだ覚えがなくても私は小雪ちゃんから産まれたんだよ。そう。小雪ちゃんの悪の心が産んだのが私さ」
唐突に楓歌ちゃんの小芝居が始まった。
まあ、お祭りに大好物のチーズハットグ。
テンションが上がりまくりなんだろう。
「私はこのチーズハットグを使って千葉を支配する。そして千葉の富津市から神奈川の横須賀市まで陸地を作って関東巨大環状線を作るのだ」
「凄い限定的な野望だなぁ。そんなところに陸地を作ったら東京湾に入る船の邪魔でしょ」
「じゃあ橋を建てる」
「何で千葉を支配してまでやるのが千葉と神奈川の流通を良くすることなのよ」
「横須賀にはカレーフェスという夢のようなお祭りがあるんだよ。そこに行きやすくする」
「カレーフェスなら柏でもやってるらしいよ」
「そうなの!? じゃあ横須賀まで行く必要ないじゃん!」
驚いた拍子にチーズハットグの齧り跡から熱々のチーズが楓歌ちゃんの指に落ちた。
「どあちちちち」
「もう! 危ないから大人しく食べなって」
カバンからウエットティッシュを取り出して渡してあげた。
うひーと鳴き声をあげながら指を拭く楓歌ちゃんのあまりの無邪気さに思わず頬が緩む。
もう完全に元気を取り戻したみたいで良かった。
「小雪ちゃんとならアドリブでも続くんだけどなぁ」
「伊達に幼馴染やってませんから」
「そっかあ。なら世界中の人が私と幼馴染だったらいいのに」
「待って。楓歌ちゃんの幼馴染は私だけだよ。他の奴には絶対に渡さないんだから」
「冗談だよ」
ケラケラと楽しそうに笑う楓歌ちゃんとは裏腹に、私の心はざわついていた。
楓歌ちゃんの幼馴染は私だけ。
楓歌ちゃんの隣は私だけの場所だ。
それはお芝居だって変わらない。
例えこの先、楓歌ちゃんのお芝居と最高の相性を持った役者が現れたとしてもこの場所を譲る気はない。
花見楓歌の隣を狙う奴はみんな敵だ。
そんな奴はこの七夕小雪が全身全霊を持って淘汰してやる。
「小雪ちゃんどうしたの? 何か顔が怖いよ?」
「大丈夫。チーズに生焼けのところがあっただけ」
「ああ……それは残念だね。私の食べる? アッツアツだよ」
「いいの!? 食べる食べる!」
楓歌ちゃんの好意に甘えて、あえて楓歌ちゃんが齧ったところを一口もらった。
トロトロのまろやかなチーズの味。よりも私にとっては口にしたこの食べ物に楓歌ちゃん成分が付着しているであろう事の方がよほど美味しく感じた。
「美味しいね。最高!」
「お。小雪ちゃんもチーズハットグの偉大さに気づいたみたいだね」
「うん。これなら10本はいけると思う」
「でしょー?」
ニコニコしながらまたカロリーの塊を幸せそうに齧る楓歌ちゃん。
ああ。全然私の真意に気づいていなくて可愛い。
この前のターザニアもそうだけど、やっぱり楓歌ちゃんは楽しんでいる時が一番無防備になる。
純粋な笑顔の幼馴染の隣で、私は邪悪な笑顔を浮かべて幸せを感じていた。
……その時だった。
「見つけた!」
突然私の背後から声がした。
何だ何だ。
誰だ誰だ。
私と楓歌ちゃんのイチャイチャを邪魔する奴は。
今がどれだけ間が悪いのか見て分からないのか。
そう心の中で怨嗟の言葉をつぶやきながら振り返ると、そこには小さな女の子が立っていた。
私よりも10cm以上小さいその子は、私の顔を睨みつけてこう言った。
「あんたが花見楓歌よね?」
見覚えのある子だった。
そしてそれ以上に聞き覚えのある声だった。
すぐに私の脳はこの女の子に関する記憶を引っ張りだしてきた。
あの時だ。
養成所が決まって安芸さんに会いに行った時。
あすみが丘プラザで安芸さんと話していた小さなお姫様。
完全に思い出した。
楓歌ちゃんよりも小柄な身長。
お人形みたいに整った顔。
何よりその可愛らしい声。
間違いなくあの時会ったAPP18の女の子だった。
「あんたに一言物申しに来たの!」
その女の子は敵意満々の声で私に食ってかかった。
ただ、本人は威嚇のつもりなんだろうけど身長差がありすぎるせいで全く迫力を感じない。
楓歌ちゃんをうり坊と呼ぶなら、この子はチワワだ。
「あんたのせいでワタシが迷惑してるの。さっさと声優をめざすのを諦めてくれない?」
「えっと。お嬢ちゃんは誰なのかな?」
「お嬢ちゃん? 生意気ね。ワタシを誰だと思ってるの?」
「だから誰か分からないんだって。前に安芸さんと一緒にいた児童劇団の子だよね?」
「はぁ!?」
女の子はますます険しい顔で私の腕に掴みかかってきた。
……と言っても手も小さいし握力も無いので、暴力的な印象は全くない。
側から見ればお姉ちゃんとはぐれないようにひっついている妹のようだ。
「ワタシはこう見えても高校2年生よ! 児童劇団なんかにいるわけないじゃない!」
「高校2年生!? 私達と同い年!? 馬鹿な。可愛いらしすぎる」
「ば、馬鹿にしてるの!?」
この顔を真っ赤にしてプリプリ怒っている少女が同い年、だと?
楓歌ちゃんという小柄な天使よりも更に小柄な同い年の女の子がいるなんて。
でも何か態度がムカつくから抱きかかえちゃおうかな。いつだったか安芸さんが楓歌ちゃんにやってたみたいに。
そう決めた私は目の前の小さき命の両腋に手を挟み込んで抱き上げた。
「ちょ! 離しなさいよ!」
抱え上げられた女の子は足をバタバタさせて抵抗する。
でもこれだけサイズ差があると何の抵抗にもなっていなかった。
安芸さんが楓歌ちゃんを抱えていた時もきっとこんな感じだったんだろう。
「離して! はーなーしーて!」
「まあ待ってよお嬢さん。まず最初に言っておくけど私は楓歌ちゃんじゃないよ」
「は? あんたが花見楓歌でしょ?」
「楓歌ちゃんはほら。私の後ろにいるこの……この……この顔の周りにチーズがベタベタに張り付いてる……女の子だよ……」
ちょっと目を離した隙に楓歌ちゃんの顔中にチーズハットグからハミ出したチーズがとび散っていた。
何をどうすれば一瞬でこんな悲惨な状態になると言うのか。
楓歌ちゃん。パスタもお魚もあんなに綺麗に食べるのに、チーズハットグの食べ方だけどうしてこんなにやんちゃなんだ。
「ならあんたは誰なのよ!?」
「お嬢ちゃんが名乗ったら名乗ってあげよう」
「ふん。じゃあいいわ。あんたなんかに興味ないから。さっさと降ろしなさい」
「ふふふ。じゃあ名乗ったら降ろしてあげるね。名乗らないならこのまま私の家に連れ帰って着せ替え人形だよ」
「ひっ! 何なのコイツ怖い」
「ほらお名前は?」
「けえき! けえきよ!」
「ケーキが食べたいの? お腹減った?」
「ちがーう! 名前! 私の名前がけえきなの!」
「ほう?」
とりあえず名前が判明したのでその女の子を降ろしてあげた。
地面に足がつくとケーキちゃんはパタパタと走って距離を取る。
「三春恵輝! 三つの春に、恵まれた輝きでけえき! あんた達と同じ声優志望の役者よ!」
本当にけえきという名前らしい。
漢字はどうあれ発音はケーキなのでキラキラネームみたいだ。
それにしても私達と同じ声優志望。
その声優志望のケーキちゃんがどうして楓歌ちゃんに声優を諦めろと言ってくるのだろうか。
「ケーキちゃんは楓歌ちゃんに声優をやめさせたいの?」
「そうよ! そこにいるちっこいの! 花見楓歌! あんたが安芸さんの時間を奪うせいでワタシに対する時間が減ってんのよ!」
「は、はぁ……」
「今まではワタシだけに付きっきりで訓練してくれてたのに、今年の春から半分くらいの時間になっちゃったわ!」
なるほど理解した。
どうやらこの子も安芸さんから芝居の訓練を受けていて、私達が現れたせいで自分への時間が減ってしまったというのを訴えているようだ。
「そっか。それは確かに私達が原因だね。でもそれを私に言っても仕方なくない?」
顔中にチーズが張り付いたままの楓歌ちゃんが諭すように言う。
「どういう意味よ?」
「だって師匠の時間の使い方を決めるのは師匠なんだから。その悩みは私じゃなくて師匠に相談したらいいと思うよ」
「し、師匠?」
「あーごめんね。楓歌ちゃんの言ってるのは安芸さんのことだよ」
「ふん。そんな失礼な相談できる訳ないでしょ」
「でもいま君は師匠の意思を捻じ曲げようとしてるんでしょ? そっちの方がよっぽど失礼じゃない?」
「う……」
珍しく楓歌ちゃんが好戦的だった。
でも全くもってその通りだ。
私達に教えてくれるのを決めたのは安芸さんなんだから、それを楓歌ちゃんに諦めろというのはお角違いだ。
「何よ顔にチーズぶちまけてる女が偉そうに。ワタシの方が先に教わってたんだから当然の権利じゃない」
「えーと……ミルキーちゃん」
「ミルキーちゃん!?」
「ミルキーちゃんの気持ちは分かるけど納得はできないよ。私だって本気で声優をめざしてるんだから。そのために師匠に力を貸してもらってる。だから辞めろと言われたって辞めないよ」
「いや待ちなさい。それより何でワタシがミルキーなのよ? ミルキーなんて初めて呼ばれたわよ?」
「【み】は【る】けい【き】ちゃんだからミルキーちゃん」
「うわ本当だ! 名前にミルキーが入ってる!」
久しぶりに楓歌ちゃんのトンデモあだ名命名の瞬間に立ち会ってしまった。
汐星先輩みたいに名前の一部を切る取るパターンだな。
「ミルキーちゃん。どうせだったら私達と一緒に訓練しない? 芝居の訓練は人数が多い方がやりやすいと思うんだ」
「嫌よ。あんたらみたいな素人となんて御免だわ」
「へー。ケーキちゃんは芝居経験者なんだ?」
「あんたら名前を呼ぶならミルキーなのかケーキなのか統一しなさいよ。って言うかさっきからあんた何なの? 花見楓歌の仲間?」
さすが私。全然個人として認識されていなかった。
まあここには楓歌ちゃんがいるから仕方ないかな。
楓歌ちゃんの輝きに目が眩んで私が見えなくなるなんて、このお姫様は中々いいセンスをしているじゃないか。
「私は楓歌ちゃんの幼馴染の七夕小雪だよ」
「私は花見楓歌だよ」
「あんたの事は知ってるから名乗んなくていいわよチーズお化け」
私の幼馴染は見事にチーズと同一化してしまっているのでそう呼ばれても言い返す言葉がない。
美少女がいつまでも顔面チーズでは不憫なのでウェットティッシュでお顔を拭いてあげた。
「七夕小雪。そう言えば安芸さんの話の中にそんな名前もあったわね。まさかあんたも声優志望なんて言わないわよね?」
「そのまさかだよ」
「はん! あんたみたいな特徴の無い声の奴なんかに声優は向いてないわ」
「ケーキちゃんの声は可愛いもんね」
「あ……ありがとう。いや、そうじゃなくて!」
「私の声に特徴が無くて向いてないってことは、楓歌ちゃんの声には特徴があるってことだよね?」
「は? ……まあ、向いてはいるんじゃない?」
「うんうん。そうだよね。さすが経験者。分かってるじゃん。可愛い奴め」
「いま私はあんたの話をしてるの! 花見楓歌のことなんてどうでもいいでしょ?」
「どうでもよくないよ。私はいつだって楓歌ちゃんの方が優先度が高いんだから。経験者が向いてるって言ってくれるなら安心だな」
「アンタちょっとコミュニケーションの取り方おかしくない?」
勿論おかしいのは分かっている。
でも私にとってはこれが普通だ。
私の評価なんて二の次で、楓歌ちゃんが良い評価をされたのならそれが一番嬉しい。
「何だか良く分からないけど、ワタシはあんた達に声優になるのを諦めてもらって安芸さんの時間を独占したいの。だからあんた達が諦めるまでしつこく付きまとってやるからね」
「別にいいよ。私も小雪ちゃんも何をされたって諦めないから。それよりミルキーちゃん。ライン交換しない?」
「どうして今の流れでそうなるのよ!?」
「だってこれから一緒に頑張る仲間なんだし。連絡先くらい知っておいた方がいいかなって」
「ワタシがいつあんた達の仲間になるなんて言ったのよ!? 敵! どちらかと言うと敵!」
「敵と連絡先の交換をしてはいけないなんてルールは無いよ。はい。これ私のQRコード。読み取って?」
「嫌よ! あんたらどっちもコミュニケーションおかしいわよ!?」
「おかしくていいから。はい。ミルキーちゃんもスマホ出して?」
「ひぃい。全然話が通じなくて怖い」
ケーキちゃんはにじり寄る楓歌ちゃんを見て更に距離を取った。
あれだけ邪険に扱ったはずの相手が何故か連絡先交換を迫ってきたらそりゃあ怖いだろう。
でも楓歌ちゃんも楓歌ちゃんでこれが普通なのだ。
「き、今日のところは引き下がるわ。でも覚えてなさい! ワタシは絶対に諦めないからね!」
「ねえねえ。ミルキーちゃんってどこの高校に通ってるの?」
「うるさい! あんたなんかに教えるか! バーカ! スマホにチーズぶちまけて壊れろ!」
それだけ言うとケーキちゃんは全速力で走り去ってしまった。
何て見事な三下セリフなんだ。
楓歌ちゃんが走って追いかけようとしていたので、一応止めておいた。
こんなに綺麗な去り際を潰すのは勿体無い。
ケーキちゃんは走り去る途中で他の人にぶつかってよろけていた。
ペコペコと頭を下げて恥ずかしそうに走っていく。
なるほど。私達にはあんな感じだけど基本は礼儀正しい子なんだな。
好感度上昇である。
「面白い子だったねぇ」
楓歌ちゃんが嬉しそうにケーキちゃんを見送る。
「うん。ストーリーをかき乱すテンプレみたいなキャラだったね。テンプレすぎて、もはや美しいまであった」
私と楓歌ちゃんの頭の中ではケーキちゃんはゲームの途中で出てきていつの間にか仲間になっているキャラクターとして登録されていた。
キャラもいいけど何よりあのモチベーションの高さが良い。
養成所の人達からは全く感じられない「本気の熱」を持っている人だ。
同じ土気に住んでいるっぽいし、本当に一緒に訓練できたらいいな。
「あ。小雪ちゃんあそこ見て」
ケーキちゃん襲来の後、再び屋台巡りをしていると楓歌ちゃんがステージのあたりを指差した。
「あそこにいるの天使先輩じゃない?」
楓歌ちゃんの示した先には確かに汐星先輩がいた。
水色の浴衣を着て、手には団扇を持っている。
どうやら先輩もお祭りを楽しみに来ていたようだ。
「せっかくだし天使先輩も誘って一緒に回ろうよ!」
「ちょっと待って」
汐星先輩のところに駆けて行こうとした楓歌ちゃんを引き止めようとシャツの背中を引っ張る。
「ぐええ」
楓歌ちゃんの口から鳥が首を絞められた時のような声が出た。
急にシャツを掴んだので襟で首が締ってしまったようだ。
「あ。ごめんね」
「ど、どうしたの小雪ちゃん」
「ほらあそこ。安芸さんもいるよ」
「本当だ! 師匠も一緒なら なおさら楽しそうだね! おーい、師匠ー……」
私はもう一度楓歌ちゃんのシャツを引っ張った。
「ぐええ」
「あ。ごめんね」
「だから小雪ちゃん、どうしたのさ!?」
「今はやめておこっか」
「ええー、何で?」
「楓歌ちゃん。野暮なことをすると馬に蹴られちゃうかもよ?」
「馬? 馬がいるの?」
キョロキョロと周りを見回す楓歌ちゃん。
残念ながら私の言いたい事は伝わらなかったようだ。
仕方なく楓歌ちゃんの手を取って出店の方に連れて行く。
汐星先輩と安芸さんの時間を邪魔するなんて良くない。
安芸さんが土気に滞在している間くらい、なるべく2人だけの時間を作ってあげるべきだ。
さっきケーキちゃんは私達に安芸さんの時間を奪われたって嘆いていたけど、もしかしたら汐星先輩も近しい事は思っているのかもしれないな。
「小雪ちゃん小雪ちゃん。もうすぐ花火が上がるみたいだよ」
「もうそんな時間? じゃあ一旦屋台巡りはやめよっか」
土気サマーフェスティバルでは花火が上がる時間、花火を際立たせるために最低限の誘導灯を残して電灯や屋台の灯りを全て消すことになっている。
消灯中は場所選びどころか動き回るのも困難になるので、完全に暗くなる前に花火を見るための場所選びをしなければいけないのだ。
「去年見てた場所は人がいっぱいだね」
「じゃあ今年はもう少し離れたところにしようか」
「いっそ階段の上まで登ってもいいんじゃない?」
2人で相談しながら観覧場所を探っていく。
グラウンドを離れて階段を上がったところにちょうど良さそうなスペースを見つけた。
私はそこに安芸さんとの訓練でも使っているレジャーシートを敷いた。
100均で買った小さめのレジャーシートだけど女子2人くらいなら問題なく座れるサイズだ。
「さ。どうぞ楓歌ちゃん」
「ありがとう。小雪ちゃんも座って」
お互いの体が密着するくらい近くに座って花火の開始に備える。
空はすっかり陽が落ちて暗くなっていた。
毎年見ている夏の夜空。
幼い頃から変わらない私達が見ている、変わらない空。
でも私達は少しずつ変わり始めている。
ならこの当たり前に見ていた空も、いつか変わってしまうんじゃないのか。
そんな予感が私の心の中によぎった。
「嫌だな……そんなの」
私は周囲の音に簡単にかき消されてしまうような小さな声でそうつぶやいた。
「小雪ちゃん。いま何か言った?」
もちろん隣に座る幼馴染にも何と言ったかは聞こえなかっただろう。
「うん。柏のカレーフェスの日程を調べなきゃいけないなって」
「そうだね! それも楽しみ!」
だから私はごまかした。
変わろうとしている楓歌ちゃんに、伝えるべき言葉ではない。
そう思ったからだ。
「あ。はじまるみたいだよ」
アナウンスが流れた後、一斉に会場の照明が落ちてお祭りの最中とは思えないくらい周囲が暗くなる。
毎年恒例の少し茶目っ気のある運営本部長の小話が始まり、それが終わると最初の花火があがった。
「わあああああああ」
土気の夜空に会場の歓声が響く。
そして毎年の事ながら、この歓声の中に少しばかり悲鳴が混じっていた。
実は土気サマーフェスティバルの花火は、普通では信じられないくらい低い位置で開花するのだ。
通常の花火は打ち上げられた後、数秒間空に登って開花する。
火花が展開される位置は見上げた視界のずいぶん先だろう。
しかしこのお祭りの花火は見上げる必要もないくらいの位置で展開するのだ。
見る位置によっては木で火花が隠れるくらい、と言えばその低さが伝わるだろうか。
視界のすぐそばで展開される花火は迫力満点だった。
私も初めて見た時は腰を抜かしそうになった程だ。
近くにいた、恐らく初めての参加だったであろう小さな子供があまりの大きな火花と音に泣き出した。
可哀そうだけど仕方がない。何せ大人でさえ初めて見る人は青ざめるくらいの規模なのだから。
「相変わらずサマフェスの花火は振り切ってるね」
「これで事故が起きないんだから凄いよ」
私も楓歌ちゃんも大きい音が得意ではないので、花火はなるべく離れた場所で眺めたい派だ。
でも離れすぎると開花位置が低いせいで見えなくなってしまう。
近すぎず遠すぎず、絶妙な場所を選ぶのにセンスを要求されるのが土気サマーフェスティバルの花火なのだ。
今年は花火の全景が見える上に音もそこまでうるさくない良い場所が取れた。
来年も早めにここを取っておこうかな。
「来年……」
そう口に出し、来年の自分達に思いを馳せた。
私達は新しい世界に足を踏み入れた。
もしかしたら今までと同じような毎日は送れないのかもしれない。
だから来年また一緒にこのお祭りに来られる保証は無いのだ。
変わっていく。
止まらない。
いつまでも同じではいられない。
夜空に大きな花が咲くたびに見える幼馴染の顔は、そんな私の想いなど知る由もなくキラキラと輝いていた。
土気サマーフェスティバルの花火は是非一度体験して欲しいです。
ツイッターに去年の花火の画像をアップするので見て下さい。
https://x.com/inuinununui9973
サマーフェスティバルは2025年から10月になったので興味のある方は是非。




