反逆の狼煙
あれから数日もしないうちに、バベルの感染者は急増していった。更なる地域がバベルによる汚染を受け、原罪者の安全に暮らせる場所は狭まっていく一方だ。元々、日本列島がバベルに侵食されることは時間の問題だったが、それにしてもこの短期間で被害が急加速するのは異常である。
まるで、何らかの外的要因が作用しているかのようだ。
いまだかつてない異常事態だ。風音はバールを手に持ち、無数の化け物と戦う。
(ここ数日、やけに感染者が多いな。一体全体、どうなってやがる……)
三百六十度――――周囲のどこを見渡しても、彼女の目には何体もの化け物が映る。いくら風音が強いとは言っても、さすがにこの数を捌き切るのは難しいだろう。いつもは力任せに立ち振る舞う彼女も、この時ばかりは知恵を使った。
「全員まとめて片付けてやる……!」
先ずは軽やかなフットワークで感染者たちを挑発し、その全員を自らの近くに引き寄せる。そして彼らが加えてくる攻撃を、可能な限り紙一重でかわすのだ。無論、周囲の逃走経路を余すところなく阻まれている風音が攻撃を避ける方向は――――
――――真上である。
彼女が高く跳躍した直後、化け物たちの強靭な肉体は激しくぶつかり合った。感染者の血に交じり、巨体と巨体の狭間には火花が散っていた。風音はそのすぐ真横に着地し、次の攻撃に備える。
(いくら肉体が頑丈な化け物でも、流石に目ン玉は脆いはずだ。そっから失血させて、息の根を止める!)
とても感染者に黙とうを捧げていたとは思えない発想だ。しかし、今は怪物に慈悲をかけている場合ではない。彼女は弾丸のような速さで辺りを駆け回り、バールを使って次々と化け物たちの両目をえぐっていった。
「すまない……人間ども」
罪悪感を言葉にしつつ、風音は近くに落ちていた赤い容器を拾い上げた。彼女は中に入っていたガソリンを周囲にまき散らし、ポケットからマッチを取り出す。それから彼女はマッチに火を点け、それをその場に投げ捨てた。
「本当は、もっと安らかに眠れそうな場所で火葬してやりたかったが……背に腹は代えらんねぇな」
物憂げな眼差しが向けられている先で、両目を奪われた化け物たちは火の海に溺れるように衰弱していく。風音は前よりも効率的な手段で感染者を駆除しているが、バベルの被害者はそれを上回る速さで増え続けている。
***
同じ頃、彼女のいる場所とは遠く離れた街も感染者に食い潰されていた。そこはあくまでも「別の街」だが、見える景色はほとんど同じだ。化け物の大群に侵略されたが最後、ビル群も住宅街も瞬時に瓦礫の山と化してしまう。彼らの駆除に手を焼いている軍隊には、もはや反逆の会を相手にしている暇などなかった。
化け物の巣窟と化した街には、宮間雄造も駆け付けていた。この男もまた感染者の駆除に駆り出されたらしく、今はまだ風音の首を取りにいけない状況だ。おびただしい数の怪物に包囲され、彼は闘志に燃えている。
「全く、ここはいつから猛獣のふれあい広場になったんだ? 動物愛護団体さんは、とうとう動物を檻に閉じ込めることを禁止しちまったらしいな!」
化け物が急増した理由は彼にもわからない。雄造はただただ目に入る敵を葬っていくだけだ。数多の戦いを経た彼は、確実に高圧電流のコントロールに慣れてきている。それぞれの手から放たれる電流は、化け物の心臓を容赦なく貫いていく。この男は敵を誰一人として寄せ付けず、当然のように無傷だ。
「これがゲームか何かだったら間違いなくスコアアタックだな! 少なくとも、あの化け物全てを片付けることはまず想定されねぇよ! 何ならスコアがカンストしちまうんじゃねぇのか?」
かつてない地獄絵図を前にしてもなお、雄造はいつも通りである。しかし、他の軍人には他愛ない冗談を聞いている余裕などない。
「クソッ……急所の一点じゃないと弾丸が通らない!」
「つくづく思いますよ……もしあの女が原罪者だったら、この上なく心強かったと!」
「ああ、反逆の会のアイツか! アイツや相良風音が敵なのは、俺たちにとって最も不運なことだぜ!」
瓦礫の陰に身を隠しつつ、彼らは一心不乱に発砲し続けた。軍人たちはまだ、真に警戒すべき人間が誰であるかを知らない。羽柴朱朔という男に秘められた危険性は、まだベールをまとったままである。




