新たな敵
由奈が絶命したあの日以来、風音はバベルの感染者を駆除することをためらうようになっていた。あれからすでに一週間が経過していたが、彼女は相変わらず落ち込んでいた。
(ダメだ……アイツらを殺そうとすると、由奈のことを思い出しちまう……)
かつては感染者たちをただの化け物だと思っていた風音も、彼らが元々は人間であるということを意識せざるを得なくなっている。かといって、破壊の限りを尽くす怪物と化している感染者を野放しにするわけにもいかない。彼女は今でも化け物の駆除を続けているが、以前のような勢いはもう失われている。
感染者を殺しては友人の最期を思い出し、また感染者を殺しては友人の最期を思い出す。風音はそんな日々を過ごしていた。
(来る日も来る日も、オレはバベルの感染者を殺し続けてる。まるで、出口のない迷路にでも迷い込んだかのように……)
かつては希望を信じて戦ってきた獅子も、今となっては牙を抜かれて衰弱しつつある。半ば生きる意味を失ってもなお自らの体を動かし続ける様は、死にかけた昆虫のようでもあった。生き残ろうとする本能だけが体を突き動かし、彼女の唯一の取り柄である身体能力だけが猛威を振るっていく。
「チクショウ! チクショウ!! コンチクショォォォォ!!」
この日も、風音は目の前に現れる化け物を次々と撲殺していた。その一撃一撃は感情に身を委ねており、敵の攻撃を避けようとすらしない彼女は血まみれだった。それは己の血と返り血の入り混じったものであり、怒りと悲しみに淀んだ薄汚い液体だった。一通り周囲の化け物を倒し終わった後は、己の掌を見つめながら感傷に耽る。
「血と痛みだけが、今のオレの全てなのか? これは人を殺してきた罰なのか? それとも、アンタを守れなかった罰なのか? 教えてくれよ……由奈……」
周囲には誰もいない。風音の独り言は、読んで字のごとく風の音に過ぎなかった。
***
そんな彼女の生活に小さな変化が訪れたのは数日後のことだ。羽柴朱朔の忠告していた通り、国家はインダルジェンスを標的とした集団殺戮を開始していた。当然、風音も防護服を身にまとった軍隊に命を狙われ始めたわけだが、それは彼女にとっては「小さな変化」にすぎなかった。言ってしまえば、軍人が銃を構えて束になったところで、せいぜい化け物を数体倒すのがやっとなのだ。いくら体を鍛え上げている彼らでも、風音を前にすれば有象無象の集まりに等しいのである。
腹部の弾痕から血を流しつつ、風音は言う。
「目を覚ましたら仲間に伝えておけ。オレを倒すことは諦めた方が賢明だとな」
流石の彼女でも、無数の銃弾を避けきることは難しかったようだ。しかし、銃に撃たれてもなお平然としているその姿は、軍隊に威圧感を与えるには充分すぎるほどである。風音が脱兎のごとく辺りを駆け回るや否や、軍人たちは眠りに就くように意識を失っていった。彼女が彼らの命を奪わなかった理由は、大きく分けて二つある。
(オレを殺すことは出来ねぇと理解した奴らを殺すのはもったいねぇからな。アイツらには、己が目の当たりにした力量差を他の軍人にも伝えてもらわねぇと困る。それに、オレだってむやみに人を殺したくはねぇからな)
一つは自分のため、もう一つは良心ゆえだ。ところが、風音の行動が状況を改善することはなかった。彼女の行動を目にしてきた軍隊が得たものは、力量差による絶望感ではなくむしろ勝算だったのだ。
その日の夜――――彼女のいない場所で、五人の軍人が話し合いをした。
「あのガキには俺たちを殺すつもりがない。つまり、防護服を身に着けている限り我々の身の安全は保障されているも同然だ!」
「殺すつもりがないというのは、どういうことでありますか!?」
「アイツの目的は、我々を諦めさせることだ! 我々が生き残れば、これから戦に赴くであろう仲間に『アイツを倒すのは不可能だ』と伝えることができるからな」
案の定、彼らは風音の思惑に気づいていた。
「なるほどな。つまり、アイツが死ぬまで発砲し続ければ良いということか!」
「しかし、我々が束になっても奴を止めるのは難しい……それは紛れもない事実だ! 弾を何発撃ち込めば勝てるのかも検討がつかないからな」
「あの女……不死身でありますか……」
「インダルジェンスを追うのも良いが、バベルに感染した化け物どもを駆除しておくことも忘れないようにな」
「了解!」
緊迫した空気の中で、軍人たちの士気は着実に高まっていた。




