8 なぜか魔王に出会いました
「……え?」
理解が追いつかず、私は周りを見渡した。
そして、あることに気づく。
ここは、魔王の部屋に似ている。
でも、よく見ると違う。
空気が違う。
窓の外に見える景色も、家具の古び方も、部屋に漂う匂いも、何もかもが少しずつ違っている。
私は混乱したまま、周囲を見回した。
勇者は?
さっきまで、勇者が石を持っていたはずだ。
魔王を弱らせて殺せる、と言っていた。
その石が光って、それから――。
「……あの石」
私は息を呑んだ。
そうだ。
あの石だ。
あの石が何かしたのだ。
ただの魔道具ではなかった。
勇者はあれを使って、魔王を弱らせると言っていた。
――でも、どうやって?
私は立ち上がった。
この部屋には、本棚があった。
私は暇つぶしに何度か覗いたことがある。
恋愛小説でもないかと期待して開いたら、魔道具の構造だの、魔力の流れだの、封印術の種類だの、びっしり難しい内容ばかりで、三行で眠くなった記憶がある。
私は本棚に駆け寄り、背表紙を必死に目で追った。
「魔力石……魔道具……どれ……?」
指先が震える。
何冊か引き抜いて、机の上に広げた。
『魔力石の扱い』
その文字を見つけた瞬間、私は息を止めた。
「これ……!」
厚い本を開く。
目次を追う。
見慣れない専門用語ばかりが並び、頭がくらくらした。
「うう……だからこういう本、苦手なんだってば……」
でも、今はそんなことを言っている場合ではない。
勇者の持っていた石。
手のひらに収まるくらいの大きさ。
内側に青白い光が揺れていた。
それらしい絵を必死に探して、私はページをめくった。
そして、見つけた。
『時巡りの石』
その文字を見た瞬間、心臓が嫌な音を立てた。
私は震える指で、その項目をなぞる。
『時巡りの石。特定の対象者に近づけて発動することで、対象者の過去へ渡る石』
「……過去」
声がかすれた。
対象者の過去。
勇者が石を近づけた相手。
魔王。
つまり、ここは魔王の過去なのだ。
私はゆっくりと顔を上げた。
この部屋が、魔王の部屋に似ている理由。
空気も、家具も、景色も違うのに、根本だけが同じ理由。
ここは、魔王が魔王になる前にいた場所。
未来の魔王城ではなく、彼の過去の部屋。
「……そんな」
足元がふらついた。
勇者が言っていた「魔王を弱らせる」という言葉。
その意味が、ようやくわかった。
今の魔王と戦って弱らせるのではない。
力をつける前の過去へ行く。
魔王になる前の彼を殺す。
だから、弱らせて殺せる。
「そんなの……」
私は本を握りしめた。
ずるい。
そんなの、あまりにも残酷だ。
未来でどれほど恐ろしい魔王になるとしても、過去の彼はまだ何もしていない。
まだ、誰も殺していない。
まだ、魔王ですらない。
そのとき、部屋の隅から声がした。
「……何をしている」
私はびくりと肩を跳ねさせた。
振り返ると、そこに彼がいた。
黒い髪。
金色の瞳。
人間の姿をした魔王。
鎖のついた首輪のような魔道具を嵌められ、部屋の隅に座っている。
彼は私を見ていた。
何も期待していない瞳で。
何も映していない瞳で。
「お前は悪魔なんだろう」
「え?」
胸が冷たくなった。
彼は淡々と言った。
「なら、さっさと殺せ」
「殺す……?」
「そうだ」
彼は自分の首に嵌められた魔道具へ、ゆっくりと指を伸ばした。
「私は悪魔に取り憑かれているらしい。いずれ国を滅ぼし、人を殺し、世界に災いをもたらす王子。そういう予言が出た」
私は何も言えなかった。
「だから、閉じ込められている。誰も近づかない。誰も話しかけない。誰も私を王子とは呼ばない」
彼の声は静かだった。
怒っているわけではない。
泣いているわけでもない。
ただ、もう何もかも諦めた人の声だった。
「お前がその悪魔なんだろう。なら早く殺せ。そうすれば皆、安心する」
「違います! 私は悪魔じゃありません」
「では何だ」
答えられなかった。
未来から来た。
あなたは将来、魔王になる。
勇者があなたを殺すために過去へ来た。
私はそれに巻き込まれた。
そんなことを言っても、信じてもらえるはずがない。
それでも、ひとつだけ言えることがあった。
「……私は、あなたを殺しに来たわけじゃありません」
彼は黙って私を見た。
その瞳は、空っぽだった。
まるで、私の言葉など最初から届かないと決めているみたいに。
未来の魔王は怖かった。
私を閉じ込めた。
たくさんの人を殺した。
けれど、目の前にいるこの人は、まだ何もしていない。
ただ、悪魔と呼ばれて、ひとりで閉じ込められているだけだ。
もし、この闇を晴らせたら。
(この人が魔王として覚醒する未来を、防げるんじゃないだろうか)
私はぎゅっと拳を握った。
「あなたを助けに来ました」
その瞬間、彼は初めて、理解できないものを見るような顔をした。




