↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

2/16

2 なぜか魔王になでられました

 魔王とのチェス勝負に敗北してから、数日が経った。

 私は今も、魔王の部屋に拉致監禁されている。相変わらず助けは来ない。

 ただ、ひとつだけ変わったことがあるとすれば。

 私は、魔王とチェスをするようになった。


 (……なんでこんなことに?)


 拉致監禁してきた相手とチェスをするなんて、冷静に考えると相当おかしい。

 おかしいけど、することがないのだ。


「うーん、どうしよう」


 私は部屋の隅で、チェス盤を前に唸っていた。

 敗北が悔しかったのだ。

 しかも、ただ負けたわけではない。


 『弱いな。こんなの暇つぶしにもならない。だが……自信に満ちた顔が崩れる瞬間は、なかなか愉快だったぞ』


 そう言われた。


 (……許せないぃいいいい)


 私がチェス盤の前で唸っていると、視線を感じた。


「……」

「な、何ですか」


 魔王が本から視線を上げ、こちらを見ていた。

 私は慌てて盤面を隠す。


 (研究中の手がバレちゃう……!)


 魔王は何も言わなかった。

 ただ、少しだけ目を細める。


 鼻で笑われた気がした。腹立つ。


 (……次こそコテンパンにしてやる!)


***


 そんなことをしているうちに、日が暮れてしまった。

 魔王は本を閉じ、立ち上がる。いつものように出かけるのだろう。

 私は魔王には目もくれず、チェス盤を見ていた。

 そして、気が抜けていたのか、言ってはならないことを口走ってしまった。


「いってらっしゃい」


 扉へ向かいかけた魔王が、足を止める。


 (やば……!)


 なぜ言った。私。


「あ、あの……! 違うんです! その、家族への癖で……!」


 気まずい沈黙が落ちる。

 魔王はしばらく私を見ていた。

 今度こそ本当に殺され――


「……行ってくる」

「へ? いまなんて?」


 聞き間違いじゃなければ、いってきますって言ったこの人?


「あ、あの……!」


 何とか確かめたくて声をつむぐ。だが彼の姿はもうなかった。

 部屋の中に、私ひとり。

 私はしばらく扉を見つめた後、深く息を吐いた。


「……いってらっしゃい、って何よ」


 おかしい。絶対におかしい。

 これはきっと、監禁生活による精神的な混乱である。

 私は自分に言い聞かせるように頷いた。


***


 夜、眠れなかった私は、窓の方へ歩いていった。

 おもたいカーテンを少しだけ持ち上げと、窓の外には薄気味悪い魔王城の森が広がっていた。


「……帰れるのかな」


 返事はない。ただの魔王城のようだ。

 カーテンを戻そうとした、そのときだった。

 庭の奥に、黒い影が現れた。


(魔王だ……!)


 いつもなら朝方まで帰ってこないのに、今日はやけに早い。

 そう思った瞬間、私は息を止めた。

 魔王の黒い服が、赤く濡れていた。

 血だ。魔王は、血まみれだった。


「……え」


 頭が真っ白になった。

 怪我をしている? あの、世界最強の魔王が?

 歩き方は変わらない。倒れそうには見えない……けど。

 あの血の量は普通じゃない。


 そして、しばらくしても魔王は戻ってこなかった。

 

(もしかして、どこかで倒れたのかな)


 そんな考えが頭をよぎって、私はぞっとした。


(このまま魔王が帰ってこなかったら、私も餓死することに……!)


 嫌な想像が駆け巡り、私はしばらく動けなかった。

 やがて、扉の向こうから足音が聞こえた。


 重い扉が、静かに開く。


 そこに立っていた魔王は、いつも通りだった。

 黒髪。金色の瞳。白い肌。乱れのない黒い服。

 血は、どこにもついていない。

 さっき見た姿が嘘みたいに、きれいだった。


「……」


 魔王は何事もなかったように部屋へ入ってくる。

 そのまま椅子へ向かおうとした。


「待ってください!」


 思わず声を上げた。


 私は魔王に駆け寄った。

 近くで見ると、やはり血の匂いはしない。

 でも、私は見たのだ。

 血まみれで帰ってくる魔王を。


「怪我は!?」

「……見たのか」


 怒っている、のだろうか。

 でも、ここで引いたらいけない気がした。


「大丈夫なんですか?」


 言ってから、私ははっとした。

 何を言っているのだろう。

 なんでこの人を、心配しているのだろうか。


「怪我はない」

「でも、血が……」

「洗った」

「そういう問題じゃないです」


 しまった。やらかした。

 魔王に向かって、ツッコミを入れてしまった。

 今度こそ殺される。死因:ツッコミ。


 けれど魔王は何も言わなかった。

 ただ、私の顔をしばらく見ていた。


 それから、血の気の引いた私の頬に、そっと手を伸ばす。

 そして……ゆっくりと、頭を撫でられた。


「……え」


 私は固まった。

 魔王は無言のまま、ただ、不器用に私の頭を撫でている。


 さっきまで血まみれだった人に頭を撫でられるという状況は、普通に考えればホラーでしかない。

 なのに、その手つきは驚くほど優しかった。

 まるで、壊れものに触れるみたいだった。


「騒ぐな」

「……はい」

「私は簡単には死なない」

「……」


 魔王は私の頭から手を離すと、何事もなかったように椅子へ向かった。

 そして、いつものように本を開く。


 (もしかして、本当に慰めようとした……?)


 そう思って、すぐに首を振る。


 (絆されるな、私。向こうは拉致監禁犯だ)


 私は部屋の隅に戻り、膝を抱えた。


***


 魔王は、静かに立っていた。

 足元には、動かなくなった者たちが転がり、あたりは血の臭いでいっぱいだった。


 魔王は血に濡れた外套を脱ぎ捨て、手についた血を洗い流した。

 自分の血ではない、その血を。

 少女の部屋へ戻る前に、すべて消さなければならなかった。


 血。匂い。そして、自分の罪を。


「……また洗わねばならないな」


 その声は、誰にも届かなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。