1 なぜか魔王に監禁されています
私は今、魔王の部屋に拉致監禁されている。
人気の少ない夜道を歩いていたのが、運の尽きだったのだろう。背後から冷たい風が吹いたと思った次の瞬間、私は意識を失い、気づけばこの部屋に連れ去られていた。
そして、目の前にいたのが魔王である。
魔王は、やたらと端正な顔立ちをしていた。
陶器のように白い肌。夜闇を溶かしたような長い黒髪。竜のような角。
そして、こちらの心臓を射抜くような金色の瞳。
拉致監禁されているという状況さえなければ、一目惚れしていてもおかしくない美丈夫だった。
いや、もちろんしていない。
なぜなら私は今、拉致監禁されているので。
(普通、こういうのって聖女様とかお姫様とかじゃない? なんで私?)
正直まったく心当たりがない。
私は今まで平凡に村娘Bとして生きてきたはずだ。
何かの特別な能力も、過去もない。美貌も……ない。
なのになぜか私は魔王の部屋に閉じ込められている。
魔王は部屋にいないことも多かったが、帰ってきたときは本を読んだり、魔道具をいじったりしていた。
私はというと……完全に放置されていた。
(……無理矢理連れてきたくせに放置って、どういうことよ)
最初は、いつ殺されるのかと怯えていた。
魔王が本のページをめくるたびに肩を震わせ、彼がこちらを一瞥するだけで全身の血が冷えた。
けれど、人間というのは不思議なもので。
何日も何もされないと、恐怖にも少しずつ慣れてくる。
今も私は魔王と同じ部屋にいた。
魔王はソファに腰かけ、本を読んでいる。
私は魔王からできるだけ距離を取り、部屋の隅に座ってぼんやりしていた。
ああ、暇だ。
ああ、退屈だ。
あまりにもすることがない。
「ふぁ……あ」
静かな部屋に、私のあくびが響き渡った。
(やば……!)
そう思った瞬間には、もう遅かった。
金色の瞳が、私をじっと見ている。
「……退屈か」
「ひいっ!? いえいえいえ、そんなまさか! 大変居心地よく過ごさせていただいております、はい!」
初めてまともに聞いた魔王の声は、低く、冷たく、やたらと耳に残る声だった。
私は反射的に背筋を伸ばした。
殺される。あくびで殺される。
そんな最期は嫌だ。
しかし魔王は、ソファに座ったまま黙って私を見ていた。
怒っているのか、考えているのか、表情からはまるで読めない。
「あの……?」
恐る恐る声をかけた、次の瞬間。
――シュン!
魔王の姿が消えた。
「えっ」
私が混乱していると、今度は頭上から何かが大量に降ってきた。
「ひいっ……!」
私は慌てて頭を抱えた。
床に、ぽんぽん、ころころ、ぱらぱらと音を立てて、色とりどりのものが散らばっていく。
恐る恐る顔を上げると、そこには大量のおもちゃがあった。
木馬。積み木。人形。からくり仕掛けの鳥。
そして、黒と白の駒が並ぶチェス盤。
私は床一面に広がったおもちゃを見つめ、それから、いつの間にか戻ってきていた魔王を見た。
魔王は何も言わない。
ただ、先ほどと同じように本を読んでいる。
いや、ちょっと待って。
何事もなかったような顔をしないでほしい。
(……どういうこと? なんでおもちゃ?)
というか、まさか。
(……私が退屈そうにしていたから?)
私は散らばった玩具を見下ろして、呆然とした。
***
「なぜ、退屈そうにしている」
「ひいっ!?」
魔王のいない間にうっかり昼寝をしていたら、声が上から降ってきた。
目を開けると、魔王が私を見下ろしていた。
心臓に悪い。
この人はもう少し、普通に入室するということを覚えてほしい。
私は慌てて起き上がった。
「お、おはようございます……?」
魔王は返事をしなかった。
ただ、床に散らばった玩具を見ている。
そしてもう一度、私を見る。
「玩具は与えただろう」
「だ、だってこれ、子供向けですし、チェスは一人じゃ遊べませんし……」
あなた、こういうの遊んだことないんですか。
そう言いかけて、私は口を閉じた。
(この人、友達とかいないのかもしれない)
魔王は黙っていた。
長い沈黙だった。
まずい。今の沈黙はまずい。
もしかして、心の声が顔に出ていたのだろうか。
それとも、魔王には心を読む力でもあるのだろうか。
あり得る。
魔王だし。
魔王はゆっくりと視線を下げた。
床に落ちていたチェス盤を見つめる。
それから、無言でチェス盤を拾い上げた。
「……?」
魔王は部屋の中央にある低い卓へ向かう。
そして、何も言わずにチェス盤を置いた。
黒と白の駒を、ひとつずつ並べていく。
その手つきに迷いはなかった。
私はぽかんとした。
(え。やるの? 私と?)
拉致監禁してきた魔王と、チェスを?
魔王は最後の駒を置くと、椅子に腰を下ろした。
そして、向かいの席を見た。
座れ、ということらしい。
私はしばらく動けなかった。
逃げられるなら逃げたい。
けれど、そもそも逃げ道はない。
それに、断ったらどうなるのかもわからない。
結局、私は恐る恐る席についた。
チェス盤を挟んで、魔王と向かい合う。
(何、この状況……)
魔王は白の駒をこちらへ向け、黒の駒を自分の側へ引いた。
私が先手らしい。
「あの……」
魔王は黙っている。
「本当に、やるんですか?」
魔王は答えない。
ただ、金色の瞳で私を見る。
やるらしい。
私は白のポーンに指を伸ばした。
正直に言うと、チェスには少し自信がある。
昔、父が好きだったのだ。
子供の頃から相手をさせられていたせいで、そこらの相手にはそう簡単に負けない。
相手が魔王だろうと、チェス盤の上では関係ない。
いや、ないはずだ。
たぶん。
魔法で駒を吹き飛ばされたりしなければ。
(私が魔王に勝つ初めての人間になるかもしれない……!)
私は慎重にポーンを動かした。
かつん、と小さな音がした。
魔王はすぐに黒の駒を動かした。
それから数手。
私は盤面を見つめながら、魔王の様子をうかがった。
不思議な人だと思った。
私をさらって、閉じ込めている。
けれど、退屈そうにしていた私に玩具を与えた。
一人では遊べないと言えば、何も言わずにチェス盤を並べ始めた。
怖い。
それは間違いない。
でも、駒を扱う指先は驚くほど丁寧だった。
ひとつひとつ、まるで壊れやすいものに触れるように置いていく。
魔王なのに。
拉致監禁犯なのに。
そんなところだけ、妙に静かできれいだった。
私はつい、盤面よりも魔王を見てしまった。
長い角。黒くて長い髪。
そして、伏せられた金色の瞳。
この人は、何を考えているのだろう。
なぜ、私をここに連れてきたのだろう。
そしてなぜ、チェスに付き合ってくれているのだろう。
(もしかして、ちょっといい人だったりして、なんて――)
――かつん。
静かな音がした。
魔王が駒を置いた。
私ははっとして盤面を見る。
そして、固まった。
「……えっ」
数秒、理解できなかった。
いや、理解したくなかった。
でも、どう見ても逃げ場がない。
私のキングは、完全に追い詰められていた。
「もしかして……チェックメイト?」
魔王は黙っている。
だが、その沈黙が答えだった。
私は盤面を見下ろしたまま、じわじわと悔しさがこみ上げてくるのを感じた。
待って。今のは違う。実力ではない。
私が少し考えごとをしていただけだ。
断じて、普通に負けたわけではない。
「い、今のは……」
言い訳しかけた私を、魔王が見る。
金色の瞳が、わずかに細くなった。
「弱いな。こんなの暇つぶしにもならない」
「……」
「だが……自信に満ちた顔が崩れる瞬間は、なかなか愉快だったぞ」
「なっ!」
低い声で、淡々と告げられた。
少し前まで、もしかしてこの人は思ったより悪い人ではないのかもしれない、などと考えていた自分が恥ずかしい。
前言撤回。
この人、めっちゃ嫌なやつです。
※数年前に某サイトで連載していた小説のリブート版です。




