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15 なぜか魔王と結ばれました

 暗闇の中で、声が聞こえた。

 泣いている声だった。


 ああ、泣かないでほしい。


 お前の涙を見るのは、どうにも苦手だ。


 千年前から、ずっとそうだった。

 お前はいつも勝手だった。

 私の部屋に突然現れて、勝手に話しかけて、勝手に笑って、勝手に私の世界を変えた。

 私は何も望んでいなかった。


 何も知らなければ、孤独のままでいられた。

 何も知らなければ、暗闇を暗闇だと思わずに済んだ。

 何も知らなければ、失う苦しみなど知らなかった。


 だが、お前が来た。


 チェスの駒を動かす指。

 おもちゃを並べる横顔。

 くだらない絵本に真剣に衝撃を受ける顔。

 夜景を見て、目を輝かせた姿。


 そのすべてが、私の世界になった。


 お前が消えた後、私は何度も思った。


 知らなければよかったと。

 幸せなど、知らなければよかったと。


 だが、それでも。

 もし千年前に戻れたとしても。


 私はきっと、またお前に出会いたいと願う。

 たとえ、その先に千年の孤独が待っていたとしても。


 私は、お前のいる一日を選ぶ。


 私の光。

 私の呪い。

 私の、ただひとつの幸福。


 お前が生きるなら、それでいい。

 お前が泣きながらでも、明日を迎えるなら、それでいい。


 私はもう、十分だ。


 お前がくれた一日で、私は千年を生きた。


 だから。

 どうか、もう泣くな。


 今度こそ、自由に――。


***


「――魔王様!」


 声がした。

 魔王は、ゆっくりと目を開けた。


 最初に見えたのは、見慣れた天井だった。


 高く、暗く、黒い石で造られた天井。

 そこから吊るされた魔灯が、ぼんやりと揺れている。


「いったい、なぜ……」


 死んだはずだった。

 少女に命を分け与え、自分は消えたはずだった。


 そう思った瞬間、胸の奥が冷たくなる。


 少女は。

 あの少女は、どこに。


 魔王は起き上がろうとした。

 だが、身体に力が入らない。


 そのとき、すぐそばから慌てた声がした。


「よかった! 本当によかった……!」


 魔王の息が止まった。


 そこに、少女がいた。


「……お前も、死んだのか」


 魔王の声が震えた。


「違いますよ。生きてます」


 少女は笑った。

 泣きそうな、けれど今度こそ安心したような笑顔だった。


「あなたのおかげで」


 魔王は手を伸ばした。


 少女が、その手を両手で包む。


 温かい。

 生きている。


 それだけで、胸の奥が痛むほど満たされる。


「だが、私は……」

「魔族の皆さんが助けてくれたんです」


 少女が、そっと振り返る。


 部屋の隅には、何人もの魔族たちがいた。


 角を持つ者。

 翼を持つ者。

 鱗に覆われた者。

 獣のような耳を持つ者。


 かつて人間から恐れられ、追われ、居場所を奪われた者たち。


 魔王が集めた民たちだった。


「少しずつ、命を分けてくれて」


 少女の声に、魔王は目を見開く。


「なぜだ」


 かすれた声が落ちる。


「私は、お前たちを……」


 利用した。

 戦争のために。 自分の目的のために。

 少女を探し、取り戻し、奪われない世界を作るために。


 魔族の王などと言いながら。

 本当はずっと、自分の孤独しか見ていなかった。


 だが、魔族のひとりが前に出た。

 傷だらけの老いた魔族だった。


「魔王様が、別の目的を持って戦っていたことは、我々も気づいておりました」


 魔王は言葉を失う。


「ですが、それでも」


 老いた魔族は深く頭を下げた。


「魔王様のおかげで、我々は住む場所を得ることができた。家族を守ることができた。人間に追われるだけだった我々に、帰る城をくださった」


 別の魔族が続ける。


「あなたがいなければ、私は子を失っていました」

「あなたがいなければ、我々はとっくに滅びていた」

「あなたは我々の王です」

「命の恩人なのです」


 魔王は、ただ黙って彼らを見ていた。


 自分は、そんな立派なものではない。

 救い主などではない。

 王などと呼ばれる資格もない。


 ただ、ひとりの少女を求めて狂っただけの怪物だ。


 けれど。

 彼らは、魔王を見ていた。


 恐怖ではなく。

 憎しみでもなく。


 確かな敬意と、親愛を込めて。

 少女が、魔王の手を握り直した。


「あなたは孤独じゃなかったんですよ」


 その言葉に、魔王の顔が歪んだ。


 千年間、ずっと誰かを信じきれなかった。

 信じた途端、失ってしまったから。


 だが今。


 少女がいる。魔族たちがいる。

 自分のために命を分けた者たちが、ここにいる。


「私は……」


 魔王は声を絞り出した。


「私は、王と呼ばれる資格など……」

「それでも、皆さんにとっては王様なんです」


 少女は少しだけ笑った。


「それに、私にとっては……」


 そこで言葉を切り、頬を赤くする。


「あなたは、私の大切な人です」


 魔王の金色の瞳が揺れた。


「千年前のあなたも、今のあなたも。間違えて、傷つけて、たくさん遠回りしてしまったけれど」


 少女は、彼の手を自分の胸元に引き寄せる。


「それでも私は、あなたに生きていてほしい」


 魔王は、震える手で少女の頬に触れた。

 そして、目を伏せる。

 長い沈黙のあと、低く呟いた。


「私は、また間違えるかもしれない」

「そのときは、一緒に考えましょう。たくさん悩んで、話して。これからはずっと一緒ですから」


 魔王は、わずかに目を丸くした。


 そして、笑った。

 それは静かで、頼りなくて、けれど確かに幸せそうな笑みだった。


 魔族たちの間から、安堵したような息が漏れた。


 長い長い夜が、ようやく明けていく。


 窓の外では、魔王城を覆っていた黒雲が少しずつ流れ、遠い空に朝焼けが滲んでいた。


 魔王は少女を見つめる。


 千年前から探し続けた少女。

 自分を救い、自分を壊し、自分をもう一度救った人。


 もう二度と手放したくない。


 けれど、今ならわかる。


 愛するとは、閉じ込めることではない。

 奪うことでも、縛ることでもない。


 そばにいることだ。


「……私は、お前を愛している」


 魔王が言った。


 千年分の孤独を越えて。

 今度は呪いではなく、祈りのように。


 少女は目を潤ませ、それでも笑った。


***


「……私は、お前を愛している」

 

 そう言われて、私は 胸の奥が、じんと熱くなる。


 あまりにも不器用で、あまりにも遠回りで。

 それでも、たしかに私へ向けられた言葉。


 だから私も、ちゃんと返したかった。


 逃げずに。

 ごまかさずに。

 この人の目を見て。


「……私も、愛しています」


 言った瞬間、頬が熱くなった。


 恥ずかしくて、少しだけ視線を落とす。

 けれど、どうしても彼の反応が気になって、私はそっと顔を上げた。


 魔王は固まっていた。


 金色の瞳を大きく見開き、まるで聞き間違いを疑うように私を見ている。


「……え?」

「え?」


 思わず、私も同じ声を返してしまった。

 いや、待ってほしい。

 ここは、感動的に抱き合う流れではなかったのか。


 それなのに魔王は、信じられないものを見るような顔をしている。

 魔族たちまで、なぜか息を呑んで固まっていた。


「あの……なんですか、その反応」


 つい、素の声が出た。


 魔王はしばらく沈黙したあと、低い声で言った。


「お前が好きなのは、勇者だったんじゃないのか」

「……はい?」


 今度は私が固まる番だった。


「千年前に言っていただろう。助けたい人がいると」

「え。それはあなたのことですけど……」

「……」

「……」

「……」

「……待ってください」


 私は、ゆっくりと魔王を見た。


「ずっと勇者様のことだと思ってたんですか?」

「……」


 魔王は答えなかった。


 けれど、その沈黙がすべてを物語っていた。


「それで嫉妬して、あんな暴挙に……?」

「……やめろ」


 魔王が低く呻く。


 珍しく、視線を逸らした。


「しかも嫉妬する相手、自分?」

「……やめてくれ」


 その声があまりにも切実で、私は一瞬だけ黙った。

 でも、無理だった。


 だって。

 だって、そういうことではないか。


 魔王は千年前の私が言った「助けたい人」を勇者だと思い込み、千年越しに勇者へ嫉妬し、私を奪われまいとして暴走していた。


 そして首絞め放置事件勃発。

 しかし実際のところ、私が助けたかった相手は。

 目の前の、この人だった。


「魔王様って、心の声は読むくせに、大事なことは鈍いんですね」

「……うるさい」


 魔王は苦々しげに眉を寄せた。

 その表情が、いつもの冷酷な魔王ではなく、千年前の彼に少し似ていて。

 胸が、きゅっと苦しくなった。

 私は彼の手を握り直した。


「あなたです」


 魔王が、ゆっくりと私を見る。


「私が助けたかったのは、ずっと、あなたですよ」


 今度こそ、魔王は完全に言葉を失った。

 金色の瞳が揺れる。


「愛してます」


 その言葉は、今度こそ最後まで届いた。

 魔王は私を抱き寄せる。

 私もまた、その背に腕を回した。


 傷だらけの二人だった。

 間違いだらけの二人だった。


 それでも。


 千年前、暗い部屋で出会った孤独な青年と。

 未来から迷い込んだ少女は。


 長い時を越えて、ようやく同じ朝を迎えた。


 もう、ひとりではない。


 魔王城に朝日が差し込む。


 金色の光が、二人を静かに包んでいた。

 千年の呪いは、ここで終わる。


 けれど、二人の物語は。

 ここから、ようやく始まる。

※2話更新/次話エピローグです。

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