14 なぜか魔王と再会しました
人気のない夜道だった。
私は見覚えのある道を歩いていた。
いや、歩いているのは過去の私だ。
何も知らない私。
魔王のことも、時巡りの石のことも、千年前の彼の涙も、何も知らない私。
背後に、影が落ちる。
闇の中から、彼が現れた。
一歩、また一歩と彼は私に近づく。
彼の爪が、鋭く変貌する。
もう少しで殺される。
過去の私が、ようやく気配に気づいて振り返った。
「え……?」
その瞬間。
「ギャーーーー!!! お化け!?!?!?!?!」
私は、思いっきり叫んだ。
彼は私の声に驚いて、動きが止まる。
そしてその隙に買い物袋を投げつけた。
買い物袋が彼に当たった。
感触がある。
ということは……。
「おばけじゃない……?」
だが、こんな夜道に乙女の後ろを歩くなんて、勘違いされても仕方がないだろう。
「あの、大丈夫ですか」
「……っ……」
私が声をかけると、彼は小さく肩を震わせた。
そのまま彼は何も言わずに立ち去ろうとしたが、
「あ、ちょっと待って!」
私はなんとか彼を引き止めた。
「これ使ってください」
持っていたハンカチを差し出す。
「何を……」
いきなり差し出されたハンカチに、彼は困惑しているようだった。
おそらく、彼自身も気づいていないことなのだろう。
「だって、泣いているから」
そう、あのとき彼の頬には涙が伝っていた。
だから、彼に拉致られたあとも、なぜか彼を悪いようには思えなかった。
彼の、あの涙を知っていたから。
その後のことはよく覚えてないが、きっと彼に気絶させられて、記憶を失ったのだろう。
彼の中でどんな葛藤があったのかは知らないが、私は彼の城に連れてこられた。
そして、彼と私の奇妙な同居生活が始まった。
思えば、なんて不器用な人だったんだろう。
殺すつもりだったはずが、私を生かしてしまったのだ。
彼自身もどうすべきか困惑していたに違いない。
それでも、少しずつ彼と近づいていって。
私は、彼をもっと知りたいと思うようになった。
あのときはわからなかったけど、今ならわかる。
私を拉致した理由も。
彼が泣いていた理由も。
そして時間は、今へと進む。
***
目を開けると、そこは時巡りの石を使った場所だった。
岩は砕け、天幕は壊れている。
地面には黒い血と赤い血が混じり、まるで世界の終わりのようだった。
その中心に、彼がいた。
黒い髪は乱れ、金色の瞳は光を失いかけている。
身体には、数えきれないほどの傷があった。
魔王。そして、私が千年前に出会った、あの孤独な青年。
「……戻った、のか」
彼がかすれた声で言った。
私は答えようとした。
けれど、喉がひゅう、と鳴っただけだった。
痛い。
身体のどこが痛いのか、もうわからないくらい痛い。
それでも私は、彼の方へ手を伸ばした。
うまく笑えたかどうかは、わからない。
「ごめんなさい……」
声が、血に濡れてかすれる。
「たくさん、待たせてしまって……」
魔王の顔が歪んだ。
怒っているようにも、泣きそうにも見えた。
「……泣くな」
「だって……あなたは、ずっと」
ずっと探していた。
私を。
存在しないはずの私を。
千年前に出会い、突然消えた女を。
どこにもいない私を。
人間の街で。
魔族の荒野で。
戦場で。
血の中で。
孤独の中で。
ずっと、ずっと探していた。
「私のせいだったんですね」
言葉にした瞬間、胸の奥がぎゅっとした。
「私が……あなたを苦しませた」
救いたかった。
あの部屋に閉じ込められていた青年を、ひとりじゃないと伝えたかった。
おもちゃを並べて、チェスをして、絵本を読んで。
世界は憎むだけじゃないと、教えたかった。
なのに。
「私が、あなたを魔王にしてしまった」
魔王は私を見下ろしていた。
その金色の瞳に、千年分の夜が揺れている。
やがて彼は、低く笑った。
「そうだ」
その声は、ひどく静かだった。
「お前のせいだ」
私は目を閉じそうになった。
責められて当然だと思った。
恨まれて当然だと思った。
「お前のせいで、私の人生は狂った」
魔王の手が、私の頬に触れる。
「お前のせいで、私は千年も孤独に苦しむことになった」
涙がこぼれた。
もう泣く力なんて残っていないと思っていたのに。
それでも、涙は勝手に落ちていく。
魔王は私の涙を親指で拭った。
「だが」
彼は、わずかに笑った。
それは魔王の笑みではなかった。
千年前、つまらない絵本を読んで、私の反応を見て笑った。
あの青年の笑みだった。
「お前がいなければ、私は幸せを知ることもなかった」
息が止まりそうになった。
「暗い部屋しか知らなかった。誰も来ない部屋で、私はただ生きているだけだった。生まれた意味も、明日を待つ理由もなかった」
魔王の声が震える。
「そこに、お前が来た」
魔王は私を抱き寄せた。
「私は、初めて明日を待った」
傷だらけの身体同士が触れて、痛みが走る。
けれど、不思議と怖くはなかった。
「だから、謝るな」
「でも……」
「謝るな。私は、お前に謝ってほしいんじゃない」
彼の額が、私の額に触れる。
「ただ、会いたかった」
その一言で、すべてがわかった。
千年分の彼の思いが。
溢れる涙をこらえながら、私は必死に笑う。
「私も……会いたかったです」
やっと言えた。
過去で消えてしまった私が。
未来で監禁された私が。
ずっと逃げたいと思っていた私が。
それでも、最後に会いたいと思ったのは、この人だった。
魔王の瞳が細められる。
そして彼は、私の胸元に手を当てた。
金色の光が、そこからあふれ出す。
「なにを……」
「お前は死なせない」
魔王の身体から、魔力が流れ込んでくる。
熱い。
けれど、優しい。
まるで命そのものを注がれているようだった。
「やめてください……あなたが……」
「私はもう十分生きた」
光が強くなる。
「嫌……!」
私は彼の服を掴んだ。
「せっかく、会えたのに」
魔王の瞳が、苦しげに揺れる。
「そんな顔をするな」
「無理です……」
「泣くな」
「無理ですって……!」
魔王は困ったように笑った。
まるで、泣きじゃくる子どもをなだめるみたいに。
どこまでも愛おしそうだった。
「愛している」
その言葉が、静かに落ちた。
私は息を呑んだ。
魔王はずっと、私を探していた。
閉じ込めて、逃げるなと言って、私を自分だけのものにしようとした。
でも今、彼の愛は初めて、私を縛るためではなく、私を生かすために使われていた。
「私も……」
声が震える。
「私も、あなたを……」
最後まで言えなかった。
彼は、私を抱きしめたまま、静かに目を閉じた。
金色の光が弾ける。
身体の痛みが、少しずつ遠のいていく。
失われかけていた命が、胸の奥で再び鼓動を打ちはじめる。
代わりに。
私を抱きしめていた腕から、力が抜けた。
「魔王様……?」
返事はなかった。
「ねえ、魔王様、起きてください」
私は彼の頬に触れる。
冷たい。
「ほら、チェスをしましょう。千年も特訓してたなんて……ずるいですよ。勝ち逃げなんて……許しません。だから……だから起きてください」
返事はない。
「魔王様……!」
返事はなかった。
玉座の間に、私の泣き声だけが響いた。




