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エピローグ なぜか魔王に溺愛されています

 魔王城の朝は、思っていたよりも騒がしい。


 黒い石造りの廊下を、角の生えた魔族たちが行き交う。

 誰かが書類を抱えて走り、誰かが朝食の支度をし、誰かが「魔王様はどちらに!?」と半泣きで叫んでいる。


 私はその声を聞きながら、寝台の上でゆっくりと目を覚ました。


 目を開けると、まず視界いっぱいに黒髪が映った。


「……」


 さらさらとした夜色の髪。

 その奥で、金色の瞳がじっと私を見つめている。


 近い。


 ものすごく近い。


「……おはようございます」

「ああ、おはよう」


 魔王は、私の顔を見つめたまま短く答えた。


 いや、返答が短いのはいつものことだ。

 問題は距離である。


「あの……魔王様」

「なんだ」

「近いです」

「そうか」


 そう言いながら、魔王は一ミリも離れなかった。

 そうか、じゃない。


 私は半分諦めた気持ちで息を吐く。


「……朝からずっと見ていたんですか?」

「ああ」

「いつから?」

「お前が眠ったときから」

「それは、朝からではなく昨夜からという意味では?」


 重い。愛が重い。

 いや、わかっている。


 千年待った相手がようやく目の前にいるのだから、多少重くなるのは仕方ない。

 仕方ないのだが、寝顔を一晩中見守られる側の気持ちにもなってほしい。


「眠ってください」

「眠った」

「いつ?」

「お前が三回寝返りを打ったあと、少し」

「数えてたんですか?怖っ」


 正直な感想が口から出た。

 そこで扉の向こうから、控えめな咳払いが聞こえた。


「魔王様。朝議のお時間です」


 魔族の側近の声だった。


 魔王は答えない。

 私を見ている。


「魔王様」


 再び呼ばれる。

 魔王は答えない。

 私を見ている。ダメだこの人。


「魔王様。今日の朝議では、北方領の復興支援と、人間との休戦協定についてご判断をいただく必要がございます」


 休戦協定。あれから魔王はなるべく人間と戦わない道を選ぶようになった。だが、長年の軋轢はそう簡単には解決しない。勇者にも逃げられてしまったらしく、行方不明の状態だ。解決すべき問題は山積みである。

 ただ、彼が、魔族が、人間と歩み寄ろうとしてくれたことが嬉しかった。

 私はそっと魔王の袖を引いた。


「行った方がいいのでは?」

「嫌だ」

「魔王様」

「お前から目を離したくない」

「ええー……」

「歩くと、まだ誰かとぶつかって怪我をするかもしれない」

「しません」

「窓から鳥が入ってくるかもしれない」

「入ってきません」

「床が抜けるかもしれない」

「この城、そんなに欠陥住宅なんですか?」


 私が思わず真顔で聞き返すと、魔王は少し黙った。


「……可能性の話だ」

「可能性を言い出したら、何もできませんよ」

「わからないだろう」


 魔王が低く言った。


「また、お前が消えてしまうかもしれない」


 その声が、ほんの少しだけ沈んだ。

 私は言葉を止める。

 魔王の金色の瞳が揺れていた。


 孤独な部屋。

 置いていかれた夜。

 探し続けた千年。


 それらは今も、彼の中に残っている。


 私は小さく息を吐いて、手を伸ばした。

 魔王の頬に触れる。


「消えませんよ」


 魔王が、わずかに目を見開いた。


「私はここにいます」


 私は彼の手に自分の手を重ねた。


「だから、魔族の皆さんが困ってますよ。朝議に行きましょう」

「……」

「魔王様」


 私がじっと見ると、魔王は黙った。

 そして、少しだけ目を伏せる。


「……わかった」

「はい。えらいです」


 私がそう言って頭を撫でると、魔王は目を細めた。

 普段は冷たく鋭い金色の瞳が、その瞬間だけ、ひどく穏やかになる。


 ずるい。

 こういう顔をされると、少しぐらい重くても許してしまう。


「……では、朝議に行く」

「はい」

「ただし」


 魔王は私の手を取った。

 そのまま、指先に唇を落とす。


「私の見える場所にいろ」


 低い声だった。

 命令のようで、祈りのようでもあった。

 私は少し困って、それから笑った。


「はいはい。見える場所にいます」

「はい、は一度でいい」

「魔王様は心配が百回くらい多いです」

「足りないくらいだ」


 扉の向こうで、今度こそ側近が深々とため息をついた。


「……朝から大変仲睦まじいことだな」

「昨日もお嬢様が庭に行ったら、魔王様が城の結界を三重に張り直しておられたぞ」

「その前は、お嬢様が茶菓子を喉に詰まらせないよう、菓子をすべて一口大に切らせていた」

「この前も――」


 廊下の向こうで、ひそひそ声が増えていく。


 私は顔が熱くなった。


「恥ずかしいからやめてください!」


 声を上げると、廊下が一瞬で静まり返った。

 魔王だけが、何も悪びれずに私を見ている。


「なぜだ。お前を大事にしているだけだ」


「大事にする方向性が少し過剰なんです」

「過剰ではない」

「過剰です」

「千年分だ」


 その一言に、私は黙ってしまった。

 魔王はときどき、こういうことを言う。

 責めるでもなく、甘えるでもなく、ただ事実のように。


 千年分。

 その重さを、私は全部受け止めきれるわけではない。

 きっと、これからも驚くし、呆れるし、困ることもある。


 それでも。

 彼がもう、ひとりで待たなくていいのなら。

 彼が私の寝顔を見て安心するくらいで済むのなら。

 少しくらいは、仕方ないと思ってしまうのだ。


「……焦らなくていいんですよ。これから長い時間をかけて、受け取りますから」


 私がそう言うと、魔王は目を細めた。

 笑った、というにはあまりに小さい。

 けれど確かに、彼は笑っていた。


 その顔を見た瞬間、私は胸の奥がきゅっと締めつけられる。


 ああ、だめだ。


 この人は本当に不器用だ。

 怖いくらい重くて、呆れるくらい心配性で、愛し方が少しどころではなく歪んでいる。


 でも。

 私を見る瞳だけは、ずっと変わらない。


 千年前から、今まで。

 まるで世界でたったひとつの灯火を見つめるように、私を見ている。


「魔王様」

「なんだ」

「朝議が終わったら、散歩に行きませんか」

「わかった。結界を張っておく」

「ほどほどにしてください」

「魔獣避けと、落石避けと、勇者避けと、鳥避けと、風避けを」

「風は避けないでください。散歩なので」


 また廊下の向こうで、魔族たちが小さく笑った。

 魔王は不満そうだったが、私が手を握ると黙った。


「一緒に行きましょう」


 そう言うと、魔王は私の手を握り返した。

 強く、けれど痛くない力で。


「ああ」


 彼は静かに答える。


「どこへでも」


 千年待った魔王と。

 やたら重たい愛情に囲まれながら。

 私は今日も、この城で生きている。


 手を繋いで、歩いていく。

 強く、強く。


 けれど今度は、閉じ込めるためではなく。

 失わないことを確かめるように。


 私はその手を握り返して、そっと笑った。


こちらにて完結です。活動報告にてあとがきと裏話を掲載しております。

前半に散らばった伏線が後半で収束していくような物語を目指して書きました。

伏線回収まで時間がかかる作品のため、最後まで読んでいただいた方には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

折を見て、勇者ifルートや後日談などを更新予定できればと思います。

改めて、ここまで読んで下さりありがとうございました!

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― 新着の感想 ―
面白かったです。村娘ちゃん図太かわいい。魔王様ピュアかわいい。勇者勘違いはあれど魔王討伐に一途かわいい、いやあれはちょっとこわい。 魔王様に幸あれ。村娘ちゃんの老衰はどうなるのかなとか魔王様の残り寿命…
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