12 なぜか勇者が現れました
血の気が引く。
振り返ると、木々の間に人影が立っていた。
銀色の髪。青い瞳。
勇者だった。
だが、未来で見たときよりもひどい姿だった。
衣服は裂け、頬には傷があり、瞳は焦点が合っていない。
まるで長い間、暗闇の中をさまよっていたようだった。
「やっと、見つけた」
勇者は私を見て笑った。
その笑みは、壊れていた。
「君を探していたんだ。あのとき、突き飛ばされて……僕だけ別の場所に流れ着いた。でもよかった。これでやり直せる」
「ゆ、勇者様……」
「大丈夫。今度こそ君を救うよ」
剣が、月明かりを裂いた。
次の瞬間、熱いものが胸を貫いた。
「……え」
声が漏れた。
何が起きたのか、わからなかった。
痛みより先に、衝撃が来た。
視線を落とす。
私の胸元から、赤い血があふれていた。
勇者の剣が、私を刺していた。
「……あ」
勇者の顔が、目の前にある。
青い瞳が大きく見開かれていた。
けれどそこにあるのは後悔ではなく、どこか安堵に似た歪んだ光だった。
「これで」
勇者が震える声で言った。
「これで、逃げられないね」
ぞっとした。
痛みよりも、その言葉の方が怖かった。
「君はいつも、僕の手をすり抜けていくから。魔王を庇って、魔王を助けようとして、魔王の方へ行ってしまうから」
「勇者、様……」
「大丈夫」
勇者は私を抱きしめながら、まるで子どもをなだめるように言った。
「元の時代に戻ったら、聖女に傷を治してもらうから。少しの辛抱だ」
勇者の手の中で、時巡りの石がまばゆく光った。
その瞬間、私の身体が淡く透け始めた。
「……え」
自分の手を見る。
指先が、光の粒になってほどけていく。
腕も、髪も、服の端も。
少しずつ、少しずつ、この世界から消えていく。
「やめて、私は、まだ……!」
その瞬間。
「触るな」
低い声がした。
次に何が起きたのか、私にはわからなかった。
ただ、黒い影が弾けた。
夜そのものが牙を剥いたように、魔力が爆ぜる。
勇者の身体が、木々をなぎ倒しながら吹き飛んだ。
鈍い音が響く。
「が……っ!」
勇者は地面に叩きつけられ、何度も転がった。
握っていた時巡りの石が手から離れ、草の上を跳ねる。
私は息を呑んだ。
彼が、立っていた。
さっきまで私を抱きしめていた彼が。
黒い角を生やし、爪を伸ばし、金色の瞳を獣のように光らせて、夜の中に立っていた。
魔王。
その言葉が、頭に浮かぶ。
「行かせない」
声が震えていた。
「お前を奪わせない」
勇者はよろめきながら身体を起こした。
口元から血が落ちる。
それでも、彼は笑っていた。
「……ほら」
勇者が、かすれた声で言う。
「やっぱり、こいつは化け物だ。 君が救う価値なんかない、ばけも――」
その言葉が終わるより早く、魔王が地面を蹴った。
見えなかった。
ただ、次の瞬間には勇者の目の前にいた。
魔王の腕が振るわれる。
剣を構える暇もなく、勇者は横殴りに吹き飛ばされた。
岩に叩きつけられ、崩れた石が周囲に散る。
「ぐっ……!」
「化け物でいい」
魔王が歩く。
一歩ごとに、足元の草が黒く枯れていく。
「化け物でも、悪魔でも、何でもいい」
勇者が剣を拾おうとする。
けれど、黒い影がその手首を縛った。
魔王が指を動かす。勇者の身体が宙に吊り上げられた。
「だが」
魔王の声は静かだった。
静かなのに、とても怖かった。
「お前だけは許さない」
黒い魔力が勇者を地面へ叩きつけた。
一度。
二度。
三度。
そのたびに土がえぐれ、木々が揺れ、空気が軋む。
「彼女を傷つけた」
また叩きつける。
「彼女を奪おうとした」
さらに叩きつける。
「私の前から、消そうとした」
勇者が咳き込み、血を吐いた。
それでも彼は、狂ったように笑う。
「君には……渡さない……」
魔王の瞳がさらに暗く光った。
「渡す?」
低い声。
「最初から、お前のものではない。私のものだ」
勇者の身体が再び吹き飛ぶ。
今度は木の幹に激突した。
太い幹が折れ、枝葉がざわめきながら落ちる。
「待って!」
私は叫ぼうとした。
けれど、声はかすれた息にしかならなかった。
身体が消えていく。
指先が、足先が、光の粒になってほどけていく。
それに気づいた魔王が、はっとこちらを振り返る。
怒りに染まっていた顔が、一瞬で崩れた。
「……っ」
彼は勇者を放り捨てるように影から解放し、私のもとへ戻ろうとした。
けれど、時巡りの石の光は消えない。
むしろ最後の力を放つように、白く輝いた。
「待て!」
魔王が叫ぶ。
私の身体が、完全に光へほどけ始める。
「行くな!」
彼は手を伸ばす。
けれど届かない。
「私は…っ…本当は……未来から来たんです!」
私は、消えかけた手を伸ばした。
「だから…大丈夫……必ず」
彼の頬に触れたかった。
けれど、届かなかった。
「あなたに、会いに行くから」
世界が白く染まる。
そして、世界が砕けた。




