11 なぜか魔王とおでかけしました②
「そうだ! 街に行きましょう!」
それからしばらくして、私は彼を外に連れ出そうとした。
「……街に?」
「はい。誕生祭には、おいしいものを食べるものですから」
「だが……私は」
「大丈夫ですよ。みんなおにーさんのお誕生日の準備で忙しいんで。少しくらいいなくたってバレませんよ」
彼は呆れたように私を見る。
だが、私に抵抗しても無駄だと気づいたのか、観念したようだった。
***
城下町は、思っていたよりも賑やかだった。
露店が並び、人々の声が飛び交い、焼きたてのパンの匂いが風に乗ってくる。
彼はこんな大きな街を歩くのは初めてで――。
「わっ!?」
「あ、ちょっと!」
人にぶつかってばかりだった。
「っ、いたたた! どこ見てるんだい!?」
どん、と衝撃がしたと思ったら、女性が尻もちをついていた。
金切り声が耳に響く。
「す、すまない」
「謝ってすむと思ってんのかい。ほら、金を出しな」
「……金? 金貨十枚で足りるだろうか」
「き、金貨!?」
私はまずいと思い、彼の手を引いた。
「い、行きましょう! 逃げますよ!」
「おい!金は払わなくていいのか?」
***
「あれは当たり屋って言って、田舎から出てきた鈍くさい人間にぶつかったふりをして、お金を稼いでる人たちなんですよ」
「……そんな狼藉を働く者がいるのか。街は恐ろしいな」
「大丈夫です。私が案内しますから。ほら」
私は彼に手を差し出す。
「手を繋ぎましょう。こうしたらはぐれませんから」
彼はその手を見た。
しばらく迷うようにしてから、そっと握る。
冷たい手だった。
私はその手を引いて、街を歩いた。
そして、露店の前で足を止めた。
そこには、串に刺さった小さな焼き菓子が並んでいた。
私は息を呑む。
未来で魔王がくれたものとよく似ていた。
魔王城から連れ出され、街へ行ったとき。
彼が私に買ってくれた焼き菓子。
あのときは、彼がどうしてこれを選んだのかわからなかった。
けれど今、わかった。
「これ、二つください」
私は焼き菓子を二つ受け取り、ひとつを彼に渡した。
「はい」
彼はそれをじっと見た。
「前に食べたとき、すっごくおいしかったんです。おすすめですよ!」
私は先にかじった。
さくり、と軽い音がする。
すると。
「まっず……」
ほんの少しだけかじって、無言になる。
「なに、これ。あのときはあんなにおいしかったのに!?」
まずすぎた。
前に食べたとき、というか、未来で食べたときはあんなにおいしかったのに。
未来のお菓子との差分を思い出してみる。
「……砂糖だ。砂糖がまぶしてないんだ」
私はおそるおそる店主に聞いた。
「大将、すみません。お砂糖ってありますか?」
「あるけど、なんのつもりだい」
「これにまぶしたら絶対おいしくなると思うんですよ!」
「なんだい。俺の味にケチつけるつもりかい。確かに売れ筋はよくないが……」
「私を信じてください! 砂糖をまぶしたらきっと、千年続く名店の味になりますから!」
「そこまで言うなら……」
店主は観念して、砂糖をお菓子にまぶした。
そして――。
「……うまい! うますぎる!!! たしかにこれは千年続く名店の味だ!」
「でしょう……! ほら、あなたも食べてみてください」
彼もおそるおそる口に運ぶ。
「……たしかにこれは、うまい」
「でしょう!!」
彼はもう一口食べた。
その横顔を見て、私はなぜか泣きそうになる。
未来の彼は、これを覚えていた。
千年後まで。
こんな何でもない焼き菓子の味を。
私と手を繋いで歩いた街のことを。
彼はずっと覚えていた。
そう思うと、胸が苦しくなった。
夕暮れが近づく頃、私は彼を山の方へ誘った。
街外れの道を抜け、木々の間を歩く。
やがて、山の上に出た。
そこからは、街が見えた。
ぽつぽつと灯る明かり。
煙突から上がる煙。
遠くに見える城の影。
私は、息を止めた。
千年後の世界で、魔王が私を連れてきた場所だった。
未来では、もっとたくさんの明かりがあった。
街は広がり、夜景は宝石をこぼしたように美しかった。
でも、今は違う。
明かりは少ない。
暗い場所の方が多い。
未来と比べると、ひどくささやかで、心細い。
でも。
「きれいだな。こんな綺麗な場所は初めてだ」
彼はとても感動しているようだった。
そんな彼を見て、私は微笑んだ。
「今も十分綺麗ですけど、千年後はもっとすごいですよ!」
「千年後?」
しまった。
口が滑った。
私は慌てて笑う。
「あ、いえ、その、千年後は綺麗だろうっていう予想です」
「お前は、千年後の世界を見たことがあるのか」
金色の瞳が、まっすぐ私を見ていた。
逃げられない瞳だった。
私は口を開きかけて、閉じる。
言っていいのだろうか。
私は未来から来た。
あなたは千年後、魔王になる。
私はあなたに拉致される。
そんなことを、どう言えばいいのだろう。
「行かないでくれ」
その言葉に、心臓が跳ねた。
「お前が初めて私のもとに現れたときのように、お前はどこかに消えてしまうんだろう」
声は静かだった。
けれど、泣き出しそうなほど必死だった。
「そばにいてくれ」
私は何も言えなかった。
言えなかったのだ。
そばにいたい。
この人をひとりにしたくない。
誰にも祝われなかった誕生日を、これからも祝ってあげたい。
つまらない絵本を一緒に笑って、焼き菓子を食べて、チェスをして、くだらないことで言い合って。
でも、私はこの時代の人間ではない。
ここに、ずっといることはできない。
帰らなければならない。
帰って、会わなければならない人がいる。
傷だらけで、孤独で、私を千年待ち続けてしまう人がいる。
「……ごめんなさい」
ようやく出た声は、自分でも驚くほど震えていた。
彼の瞳が揺れる。
「私には、やらなきゃいけないことがあるんです」
「……」
「どうしても、助けたい人がいるんです」
その瞬間。彼の表情が変わった。
夜風が止まったような気がした。
さっきまで不安げに揺れていた金色の瞳に、鋭い光が宿る。
「それは、誰だ」
私は答えられなかった。
答えられるはずがなかった。
あなたです、なんて。
未来のあなたです、なんて。
言えるわけがない。
黙り込んだ私を見て、彼の顔が歪んだ。
「……そいつは、お前を悲しませるんだろう」
私は息を呑む。
まるで魔王のことを知っているみたいな言い方だった。
「そいつのことをお前が話すたび、お前はどこか悲しそうな顔をする」
彼の声が荒くなった。
「ここにいろ。私を選んでくれ。私だけを見ろ。私なら、お前を傷つけない。泣かせたりしない。だから――」
金色の瞳が、夜の中で揺れている。
「そいつのところへ戻るな」
「……ごめんなさい」
私は、それしか言えなかった。
彼の顔が、絶望に染まる。
「お前は、いつもそうだ」
彼が一歩、近づいた。
私は反射的に下がろうとしたが、背後には崖へ続く斜面がある。
足がすくんで、動けなかった。
彼の声が低くなる。
怒り。嫉妬。
それから、置き去りにされることを恐れる子どものような、あまりにも剥き出しの痛み。
「私を見ているようで、どこか別の誰かを見ている」
「……」
「私に笑いかける。私に手を伸ばす。私に優しくする。だが、その奥で、お前はいつも別の誰かを見ている」
彼の金色の瞳が、私を射抜いた。
「……私は」
彼が、かすれた声で言った。
「私は、初めてだった」
私は顔を上げる。
「誕生日を祝われたのも。贈り物をもらったのも。誰かと同じ本を読んで笑ったのも。街を歩いたのも。焼き菓子を食べたのも」
ひとつひとつ、彼は噛みしめるように言った。
「全部、お前が初めてだった」
喉の奥が詰まる。
「なのに、お前にとって私は」
彼の瞳が、ひどく歪む。
「そいつの代わりなのか」
私は答えられなかった。
「……それでもいい」
不意に、声が落ちた。
怒りの熱が抜けたような、けれどもっと危うい声だった。
「え?」
「代わりでもいい」
胸が、凍った。
彼はまっすぐに私を見ていた。
あまりにも真剣な顔で。
あまりにも痛々しい瞳で。
「お前が見ているのが私でなくてもいい。お前の中に、別の誰かがいるのでもいい。そいつの影を、私に重ねているのでもいい」
「そんなこと……」
「それでもいい。だから、そばにいてくれ」
彼の手が、私の腕を掴んだ。
痛くはない。
でも、逃がさない力だった。
「私がほしいものは、お前だ」
彼が言った。
「お前がいれば、それでいい」
息が詰まる。
「……っ……私は、本当は」
私が言おうとした、次の瞬間。
「見つけた」
背後から声がした。




