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10 なぜか魔王と絵本を読んでいます

 彼とチェスをするようなってしばらくたったある日、やたらと城があわただしかった。


「にぎやかですね。何かお祭りですか?」


「兄上の誕生祭だろう」


「……誕生祭」


 ぽつりと呟いてから、胸の奥がきゅっと痛くなる。


 この部屋には、誕生日らしいものなど何もない。


 花も、菓子も、祝いの言葉もない。

 使用人も見張りもいない王子の部屋。

 広くて立派で、けれど誰にも祝われない、閉じ込められた部屋。


「あの」


「何だ」


「私たちもやりませんか? 誕生祭」


「兄上のか」


「いいえ。あなたのです」


 彼の動きが止まった。


「私の誕生日は、まだ……」


「誕生日じゃなくたっていいんです。私がお祝いしたいので。今までの分、派手にやりましょう!」


「めちゃくちゃだな」


 彼は呆れたように言った。ただ、私の圧に負けて、観念したようだった。


「何か欲しいものはありませんか?」


「欲しいもの?」


「はい。誕生祭ですから。私に用意できるものなら、何か」


 正直に言うと、用意できるものなど限られている。

 私はこの時代の人間ではないし、お金もろくに持っていない。


 それでも、聞きたかった。


 彼が欲しいものを。


 彼が、誰かに望んでもいいのだと知ってほしかった。


 彼は何も言わなかった。


 ただ、私の顔をじっと見つめていた。


 金色の瞳が、まっすぐに私を映している。


 あまりにも長く見つめられるので、私はだんだん落ち着かなくなった。


「あの……? 私の顔に何かついてます?」


「……」


 やがて、彼は視線をそらした。


「ない」


「ないんですか?」


「ああ」


「本当に?」


「ない」


 短い答えだった。


 けれど、その横顔が少しだけ苦しそうに見えた。


 私はそれ以上、追及できなかった。


「……そうですか」


 何もいらないと言われてしまった。


 しかし、はいそうですかと引き下がるわけにもいかない。

 誕生日なのだ。

 何かを贈りたい。

 誰かに祝われる日なのだと、ちゃんと残したい。


 私は部屋を見回した。


 そして、ふと思い出した。


 未来の魔王が大切にしていた、あの古びた絵本のことを。


 未来の魔王城で、彼が私に触らせまいとした本。

 ひどく古くて、何度も読まれた跡があって、それでいて彼が大切にしまいこんでいた本。


 あれだ。


***


「はい、お誕生日おめでとうございます」


「……何だ、それは」


「知り合いがとっても大事にしていた絵本なんです。だから、きっと面白い内容に違いないはずです」


 自信満々に言った。

 彼は少しだけ眉をひそめる。


「読みましょう!どんな内容か気になります!」


 私たちは長椅子に並んで座った。


 彼が絵本を開く。

 私は横から覗き込む。


 最初のページには、勇ましい勇者の絵が描かれていた。


 私は期待した。


 もしかしたら、すごく面白い冒険譚なのかもしれない。

 孤独な王子の心を救うような、優しくて、温かくて、何度も読み返したくなるような。


 しかし。


「……何これ、めちゃくちゃつまんない」


 内容としてはこうだ。


 勇者が旅立とうとする物語だ。

 魔王を倒しに行くのかと思いきや、今日は天気が悪いのでやめる。

 次の日は靴紐が切れたのでやめる。

 その次の日は朝食がおいしかったので昼寝する。


 そしてついに……勇者は旅立つのかと思いきや、『勇者はいつか旅立つことにしました。めでたしめでたし』という雑な終わり方だった。


「いや、そこは旅立って終わりなさいよ!」


 私は怒りのあまり叫んだ。


「あんなに大事にしていたのに!? こんな内容!? え、嘘でしょう!?」


 あの魔王が。

 未来の魔王が。

 あんなにも大事そうにしていた絵本。

 読ませまいとしていた絵本。


 何か深い意味があるのだろうと思っていた絵本。


 それが。


「勇者が、ただただ惰眠をむさぼるだけ……!」


 私があまりにも真剣に打ちひしがれていたからだろうか。


 隣から、小さな息の漏れる音がした。


「……ふ」


 私は顔を上げる。


 彼が口元を押さえていた。


「……ふ、く……」


「え?」


「くく……」


 彼の肩が震えている。


 最初はこらえるように。


 けれど、次第に抑えきれなくなったように。


「は……ははっ」


 彼が笑った。


 声を出して、笑った。


 私は呆然と彼を見る。


 彼は絵本ではなく、私を見ていた。


「そんな顔をするほどのことか」


「しますよ! だって、すごく特別な本だと思ったんです!」


「勇者がだらだらするだけの本だったな」


「そうです! 勇者がだらけるだけの絵本でした!」


「それを、あまりに深刻な顔で読むから」


 彼はまた笑った。


 私はその顔を見て、何も言えなくなる。


 笑うのだ、この人は。


 こんなふうに。


 それがなんだか嬉しくて、でも悔しくて、私は絵本を彼の膝に押しつけた。


「笑わないでください。こっちは本気で衝撃を受けているんです」


「知り合いが大事にしていた本なのだろう?」


「そうです。だから余計に衝撃なんです」


「お前の知り合いは、かなり変わっている」


「……そうですね。かなり変わっていると思います」


 私がむっとしながらそう言うと、彼はまた笑った。


 つられて、私も笑ってしまう。


 笑い声が、部屋に広がる。


 この部屋で、こんなふうに笑い合う日が来るなんて思わなかった。


 ひとしきり笑ったあと、彼は絵本を見下ろした。


 その表紙を、指先でそっとなぞる。


「つまらない本だな」


「はい。びっくりするくらいつまらないです」


「だが、大切にする」


 私は瞬きをした。


「え?」


「初めてもらった誕生日の贈り物だからな」


 その言葉が、胸に刺さった。

 さっきまで笑っていたのに、急に喉の奥が詰まる。


 彼は絵本を抱えるように持っていた。


 私は何も言えなかった。


 未来の魔王城で見た古びた絵本を思い出す。


 あの本が、どうしてあんなにも大切にされていたのか。


 今ならわかる。


 物語が面白かったからではない。

 きっと、内容なんて関係なかったのだ。


 初めて祝われた誕生日に。

 初めてもらった贈り物で。

 初めて誰かと一緒に笑った本だったから。


 彼は絵本を胸に抱えたまま、静かに言った。


「ありがとう」


 その声は、本当に小さかった。


 でも、たしかに聞こえた。


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