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ここから先はエピローグ。
音楽で言えば「余韻」に当たる。
——大きな事件は終わりを告げて、世界は再び平和になった。
傷ついた街は少しずつ、かつての活気を取り戻し。
焼け跡の中でさえ人々は、明日への希望を見出していく。
被災地の仮設住居に子どもたちの笑い声が響く頃には、
もはやヒーローの出る幕はない。
細々とした、けれど愛しいその営みを語る口調に、
オーケストラの演奏のような「激しさ」は不釣り合いなのだろう。
誰かが誰かのために奏でる、
優しいピアノの調べのように。
——日々は穏やかに語り継がれる。
(わたしの胸の嵐を他所に……)
……白状すれば、この章は。
「あってもなくてもいい」ものなのだ。
ここに述べるはすべてわたしの、
「飛鳥マークⅡ」による極めて私的な想いの告白であり、
ひとつの節目を迎えてなお、わたしの中に残り続ける、
「名残惜しさ」の記録である。
題するなら——
「その後のシープマンについて」。




