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第32話 越年祭 後段

 天狐てんこの格好をした原田に、同じく天狐の三郎、鳥目、赤黒、河津と一斉に仕掛けました。


 しかし、原田は強いだけでなく、何かがおかしい。鳥目の羽矢が刺さっても動きが止まらず、赤黒に手足を噛み砕かれても倒れない。疲れる風もなく軽くあしらうのです。

 もとより対等に組み合えるのは河津だけ。その河津も腹の傷が癒えておらず万全ではない。数の上では負けるはずのないところ、次第に囲む側が劣勢となって参りました。


 仰向けに倒された三郎を原田が抑えつけ、その首を搔き切らんとします。横一文字に振られた短刀の通り過ぎた後に血飛沫ちしぶきが上がりました。しかし、喉から血を吹きながら三郎の両手が動いたと思うと、ぱん! 大きな柏手かしわでの音です。原田の耳を潰すように両手で激しく打ったのでした。


 身をひるがえした原田ですが、わずかながら足元が覚束おぼつかない。どうやら三郎の一撃に耳をやられたようです。


 赤黒と鳥目が隙をついて攻め立てる中、三郎の元に駆け付けた河津で御座います。それと認めて三郎が、ひゅーひゅーと喉を鳴らしながら狐面を外すと河津に手渡しました。無言で受け取り、立ち上がった河津は一匹の天狐。

 今宵の太鼓叩きの装束は天狐らと同じ黒装束で、そこに狐面をつければ、なんらの違いもありませぬ。


 背後では赤黒が張り飛ばされ、鳥目が印字で撃ち落とされておりました。


 すっくと立ち上がった河津が原田の前に立ちます。いつぞやは河津が二人いるような有様でしたが、いまは二匹の天狐が向かい合っております。ほんの刹那、動きもなく音もなく。


 次には激しくぶつかりあっておりました。


 上になり下になり、聴衆の間に入り込み、抜け出ては組み合いかつ離れて。目まぐるしく入れ替わります。どちらがどちらか。

 しかし、よく見ると片方の天狐は少し足元が怪しい。三郎に一撃を喰らった原田のようです。さらに片目をやられたというのは右目だったのでしょうか、右側がよく見えていないようでした。


 じわじわと原田を追い詰めていく河津でしたが、これが最後の一撃というところで邪魔が入ってしまいました。

 人知れず降りてきていた白糸嬢です。

 気配もなく幽鬼のように天狐の間に割って入り、にこりと笑う顔の凄まじき。どこまで堕ちても女子供に手をあげることのなかった河津の動きが止まりました。


 その隙を逃す原田ではありません。河津の腹の傷跡をしたたかに突きまして。血の滲む腹を押さえてうずくまった河津に向かって、


「腹の傷が、そう簡単に塞がるものか!」


と笑ってみせると、一飛びに白里様の前に立ちました。


「さあ草庵での続きだ。遅くなったが、死んでくれろ」


 言って短刀を突き出します。


 白里様を庇って立つ少尉に、赤黒も鳥目もその場に向かおうとしています。しかし、人の思いや気持ち、自分の言葉を裏切るのが原田という男です。息を吐くように嘘をつく。


 目線をやりもせず投げられた原田の短刀が向かったのは、立花美由紀が抱きかかえる沙希の胸元でした。沙希の持つ鈴が地に落ち、ちりんと音を立てました。

 狙い過たず、結果を見るまでもない。胸元から血を滲ませ、白い小袿を赤く染めた沙希の姿がある。そんな気持ちで目を転じた原田が驚いたことには、血に濡れた沙希の代わりに、フーッ! と警戒するような息を吐く獣じみた娘がそこにいたのです。

 原田が投げた短刀を歯で受けたか、口にくわえて唸るのは立花美由紀でした。沙希を抱きしめたまま、化け猫の姿です。


 ちりん、再び鈴の音が。


 沙希が落とした鈴を手に、そばに立つのは土御門光雄。予想外の出来事に驚く原田に向かって揶揄からかうように言います。


「さしもの夜嵐も驚いたようじゃないか。化け猫を見るのは初めてかな。だが、呪いを見るのは初めてではなかろう。

 叶うなら、きみを救ってやりたく思う。一族の不始末によるものであれば」


「救う? 不始末? 馬鹿野郎め。生まれ落ちた時から救いなどなきに決まっておったのよ。刑場に生まれ落ちた兄妹に先はなく救いもない」


「そうかもしれん。だが、そうでないかもしれん。此の世にあるのは起きた出来事のみ。起きるべきことなどない。きみは、誰かにおかしな蟲を飲まされたのではないかね」


「うるさい。うちらの生き様はうちらの物。腐れた外道も、自ら選んでこそ価値があらぁ。化け猫だろうが陰陽師だろうが官憲だろうが、邪魔をするならねじって捨てるまでのこと」


 吼える原田の肩に、誰かが手をかけました。それは、腹から血を流したままに立つ河津でありました。


「ならば、九郎助稲荷くろすけいなり御使みつかいはどうだ。外道も外道、苦界の怨念にまみれた狐も捻って捨てられるかよ」


野暮やぼな人だね。しつこいと嫌われますよ。何者であれ、捻って捨てて御覧に入れましょう」


「それはどうだかね。もう腹を庇うのはやめでさぁ。人のままで勝てぬなら、あっしは今一度人をやめる。九郎助の狐になろう」


「狐風情が嵐に勝てるか!」


 二匹の天狐が揉み合い揉み合いしながら聴衆の間に飛び込みます。悲鳴が上がり、河津の腹から血飛沫ちしぶきが舞う。互いに血に塗れて、拳を突き、蹴りを放ち、投げては掴み、掴んでは投げる。白里様の眼前に飛び出てきた時には、どちらが河津でどちらが原田か、瞬時に判断がつかぬところです。が、これまで動くことのなかった舩坂少尉が軍刀を抜き、気合いとともに振り下ろしました。


 一匹の天狐が頭から股下まで真っ二つ。左右に割れた狐面が落ち、現れ出た顔は美貌の青年、原田でした。

 さらにその顔も割れ、下から、目も鼻もないぬるりとした無地の顔です。口があるべき場所に筋が入り、断ち切られた縦の筋と合わせて十字に開いた口から血が吹き出します。


 表情とてないのっぺらぼうながら、崩れ落ちそうな体を支えて無言の問いかけ。どうして俺が原田とわかった?


 その問いに舩坂少尉が答えます。軍刀の血糊ちのりを拭き取り鞘に収めると、原田の向こう、河津に駆け寄る沙希を見ながら、


「河津からは冷たく澄んだ水の匂い、貴様からは腐った溝川どぶがわのような匂いがする」


と言って目をつぶりました。答えを聞いた原田の方は、合点がてんがいったように、筋となった口だけで、にっと笑って崩れ落ちます。


 その後、騒ぎ立てる聴衆をなだめ、白里様が霊水を招致しました。それを井戸に落として、混ざり合った井戸水を若水なりとして配ることで一区切り。


 屋台が出ての祭り自体は数日続くとのことで、まだまだ賑やかなりし心水教であります。

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