第31話 越年祭 前段
大晦日までの間、原田の動きもなく、まさに嵐の前の静けさでしょうか。何事もなくとも時は過ぎて行きます。むしろ早くに過ぎてしまうようにも思える。
すでに年末となり、心水教の越年祭に呼ばれて来た光雄らは、その盛況なことに驚くばかりです。各地の信徒が集い、夜店を出し、一般の客も途切れることがありません。
この祭を仕切るのが信徒頭の鈴木久吾でした。元々が香具師をしていた男で、仕切り事はお手の物で御座います。
仮装というわけではないけれど、心水教の御使は狐であり、多くの信徒が狐面をつけて祭りを楽しんでおりました。あちらを見ても狐、こちらを見ても狐、狐、狐の群れで御座います。
狐面の下は善良な信徒たち。いずれも人の子であるはずですが、斯様な時には、あるいは人でない者も紛れ込んでおるやもしれません。なにせ、面を取るまでは、それが人であるか否か誰にもわからぬのですから。
どん、どん、どんと太鼓の音が響き、笛の音が聞こえてきました。越年祭の目玉となる催し、荒く削り出された木造りの舞台での奉納舞の始まりです。
ちょうど年の変わり目に幕を閉じる算段で練られた物語でもあります。いやはや、昨日と言い今日と言い、旧年と言い新年と言う。妙に区切りを付けたがるのは何故であろうか。何も変わりはない筈であるのに、世の人々が一斉に呪いにでもかけられているような。
黒山の人だかりを掻き分けて、信徒の案内で舞台の正面に出ました。白里様の席と並べての特別扱い。土御門光雄、舩坂和馬少尉、立花美由紀の三人です。
舞台の上では神道系らしく、御幣が振られ、祝詞が奏されております。演者の沙希は白い小袿姿で扇と鈴とを手にしていました。黒装束の天狐二人とは対になるような姿です。赤黒の二匹いや二人は、普段と同じく全身に晒しを巻いており、御幣や祝詞に頓着することなく舞台の上を縦横に飛びかわしておりました。
物語が演じられるまでに、馬鹿と頑固と単純の三人組に向かって白里様が笑いかけました。
「ひひひ、よく来たの。いつ死ぬかいつ死ぬかと思いながら今日まで生き永らえてしもうた。今宵、わしに二代目を見せてくれるとか。楽しみじゃのう」
「ええ、御満足いただけるかと」
にこりと応じた光雄です。それにしても、と神妙な顔になって続けます。
「それにしても盛大な祭りですね。毎年このような越年祭をされておるのですか」
「いや、今年は特別よ。わしが死ぬ、あるいは殺められると言われての年、二代目御披露目の年、蛙と熊の供養の年じゃからな。
そも御魂を慰めるのが祀りであり祭り。盛大にやってこその供養じゃわい。ひひ、派手好きの夜嵐のこと、彼奴も来るであろうさ。なにやら河津も本気の様子、返り討ちにしてやろうでないか。のう軍服殿」
不意に声をかけられた舩坂少尉ですが、動じることなく、ああ、と低く応じました。その目は舞台の上に向けられたままです。
演者とともに大切な役割を果たすのが奏者であります。白糸嬢が篠笛を手に取り、河津の太鼓に合わせて吹き鳴らします。さらに地から湧くか天から落ちるか、鳥目のゆったりとした歌声が響き、演目も動き出したのです。
台詞もなく舞踏と音楽とで語られるのは白里様の物語であるとか。であれば、それを演じる沙希を護る赤黒は誰々であり、襲い来る天狐は誰々であるのか。終幕で、滝壺を模した奈落へ突き落とされる姿は何を示すのか。
最後には滝壺から救い出され、助け出す役目の奏者兼演者の白糸嬢が霊水を飲ませて命を繫ぎ止める、そうした流れのようです。そこで心水教の新年最初の霊水を信徒に配るらしい。若水として、常以上の霊験を持つと信じられておるのです。
ところが、事はそう上手く運びませぬ。
三郎と四郎と名乗った天狐の二人が、滝壺を模した奈落へ沙希を突き落とす段に入った時のこと。天狐同士が相争ったかと思うと、一人が沙希を抱えて舞台を飛び降りたのです。
どちらも同じ狐面で、いずれが三郎でいずれが四郎か、傍目には区別がつきません。どんと落ちた先が白里様や光雄らのいる席でした。
沙希を抱えた天狐を追って、残った方の天狐も白里様の元へ飛び込んできました。沙希を庇うように立つ相方に向かって、芝居じみた所作で短刀を差し向けます。
これが、原田でした。
「うふふ、どうやらばれちまったらしい。盛り上がった場面で沙希の首を掻き切って、高く掲げてやろうと思ったが。
奈落とは良く名付けたもの。華やかな表と仄暗い裏の世界、わずか板一枚の区切りにすぎないわけだ。さて、狐男よ、おまえさんは三郎か四郎か、どちらだい?」
「三郎」
短く答え、同時に沙希を退がらせます。白里様の隣にいる光雄と美由紀とが沙希を受け取りました。まだ狐面をつけており、沙希の表情はわかりません。
筋書きの出来事かどうかと聴衆が騒ついて見守る中、大きく木組みで囲まれた白里様の席には、舞台から赤黒と河津も降りてきました。白里様の前には三郎、傍らには軍服姿の舩坂少尉が立ち、原田は前後から挟まれた格好です。
危うい状況を気にするでもなく、原田は三郎の背後の白里様を見つめているようです。苦々しげに、河津が声をかけました。
「原田、いつから化けていた?」
「舞台が始まる時には入れ替わっておりました。面などなくとも化けられますが、天狐に化けるのは簡単です。自分というものを殺し、ただ一匹の狐たらんとする。
おまんの教えだろ、河津。おかげでわては、楽に取って代わっておれたわい。かかか、これが心水教の御使だとすれば緩いもんだ」
「四郎はどうした」
押し殺したような問いかけに、にやりと笑って答えました。
「殺したよ。そも死んだも同然の男で御座んした。代わりに片目を潰されやしたがね。河津くん、きみに世話になったらしいが、彼が敵わぬ相手に向かってきたのは沙希ちゃんのためでしたぞ。てめぇの為じゃねぇや」
「違う!」
叫んだのはもう一人の天狐、三郎でした。
「俺たちは河津さんに拾われて生かされた。誰よりも河津さんの為に動く。この人が望むのは、自分よりも沙希ちゃんの幸せだ。だから、そのためなら。俺たちも、河津さんよりも沙希ちゃんのために動くのだ」
「はん、つまらないな」
唾を吐くように言う原田に、三郎が飛び掛かっていきました。それを合図に、呪縛が解けたか、白里様の隣に立つ舩坂少尉を残して、鳥目も赤黒も河津も一斉に仕掛けます。




