第30話 大っ嫌いでありんす
舞台から離れ、屋敷へ向かうこととした土御門光雄、舩坂和馬少尉、立花美由紀の三人です。夜嵐の原田が白里様を付け狙っている以上、そばには鳥目と河津がいるはずです。律儀な性格の舩坂少尉は、河津と交わした約束が気になって落ち着かない様子。
「光雄、屋敷へ行って誰に会うつもりなんだ。さすがに白里様に会うわけにはいかんだろう」
「んー、そうだねぇ。鳥目に会いに行ってみてもいいかもな。赤黒の出自も聞いてみたい気がするし、鳥目の御尊顔も拝したいところ」
「相変わらず、ふらふらと方針の定まらん奴だな。しっかりせんか」
「和馬には言われたくないぜ。のらりくらりの僕に舵を任せてさ」
「任せているわけじゃない。流されてしまっているだけだ」
「いいじゃないか。流されてみることも選択のひとつだろう。抗うばかりが能じゃなし。ほれ、流れが向こうからやってきたぞ」
楽しそうに笑う光雄の視線の先には短髪に丸眼鏡、背の低い書生風の若い男。おかしな廓言葉の真似事で話す心水教の金庫番、斉藤です。神経質そうな様子で、きょろきょろと周囲を窺いながら歩いてきます。光雄らの姿を認めるや顔を顰め、避けて通ろうとしますが、
「斉藤さん、斉藤さん」
と大きな声で呼び止められてしまいました。物怖じせず声をかけたのは立花美由紀です。
「いま避けて行こうとしたでしょう。挨拶ぐらいしましょうよ。はい、こんにちは」
ぺこりと頭を下げました。間をおいて、
「……こんにちは」
と気の進まない返事です。美由紀の後を受けて、光雄が軽薄な物言いで。
「今日は、本物かい?」
問われて、これまた嫌そうな斉藤です。
「本物でありんす。原田の一件からこっち、頰を叩かれたり引っ張られたり、散々な目に遭わされております。勘弁しておくんなんし」
「はは、では、引っ張るのはやめておこう。代わりにいろいろ聞いてみたいことがあるんだが。天狐ってのは……」
「嫌いでありんす」
と被せ気味の返答に面白がりながら、光雄が言葉を続けます。
「ふぅむ、そういうことではないのだけれど。まあいい。じゃあ、赤黒は……」
「嫌いでありんす」
「鈴木久吾」
「嫌いでありんす」
「では、白糸嬢の……」
「嫌いでありんす」
「河津は」
「大っ嫌いでありんす」
「沙希ちゃんは……」
「嫌い、……でも御座りんせん」
「ふむふむ、沙希ちゃんは嫌いじゃない。しかし、河津は大っ嫌いか。どうしてなんだい?」
「どうもこうも、嫌いなものは嫌いでありんす。理由なんぞいりんせん」
首を振って不快そうに黙り込んだ斉藤の代わりに、ひひひ、と嗄れた声が応じました。むろん、白里様で御座います。
「ひひひ、理由はあるさ。河津が嫌いなのは女衒だからだろう?」
珍しく一人で出歩いていたようです。
「今日は加減が良くてねぇ。斉藤、おまえがおかしな廓言葉を使いたがるのは、好いた女を忘れぬためであろう」
「その通りでありんす。間違っていようが気色悪かろうが、わっちはあの人のことを忘れたくない。たとえ白里様でも……」
「良い良い、好きなように話すが良い。ただし、おまえには知るべきことがある。わしが死ぬ前に伝えておかねばな」
神妙な様子の白里様です。それを聞いて、光雄が口を挟みました。
「何の話を? 外した方がよろしいかな」
「良い良い、そのまま聞きやるが良い。斉藤はな、金がすべてと執着しておる。だが、その根っこにあるのは人への思いよ」
「白里様!」
との抗議の声を身振りで黙らせます。ひひひ、と話を続けるのでした。
「斎藤の想い人は幼馴染の娘であったが、女衒の手で吉原へ売られたのよ。一度、大門をくぐったが最後、容易に生きては出られぬ。好いた女と引き裂かれ、といって身請けなど到底叶わぬ夢だ。ならば諦めるか? いや、ひとつだけ手はあるのだ。それが心中さな」
「左様でありんす。此の世で添い遂げられぬなら、せめて彼の世で。然れども、わっちは死に損ないました」
肩を落とす斉藤に、ゆっくりと話しかける白里様です。
「鴉の起請文にかけて、ともに死ぬと誓ったのであろう。だがな、だがしかし、おまえが生き残ったのは相手の望んだことなのだ。ともに死ぬつもりなどなかったのよ」
「好かねえことを言われる。そんなことは」
「あるんだよ。ひひひ、河津が九郎助稲荷の御使を気取っていたとは聞いたことがあろう。その時に、あやつが頼まれて心中の手助けをしたのさ。それが、おまえの話だったんだ。
河津が言うなというから黙っておったが、いつ殺されるかわからん。いまのうちに言うておかねばな。
よいか、女は梅毒で死にかけておったのよ。綺麗なうちにおまえと添い遂げたい、狂おしいほどの思いを死んで昇華したかった。だから、河津に、九郎助稲荷の狐に頼んだのよ。ともに死なせてくれと、だが、斉藤、おまえは助けてやってくれとな」
「嘘でありんす!」
叫んで、胸元から綺麗に畳んだ起請文を取り出して開きました。そこには、ともに死に、彼の世で夫婦になろうと書かれております。
「嘘さ。女の言葉こそが嘘だったのさ。ひひひ、遊女の言葉を信じちゃならないよ。嘘を嘘と見ず、粋に楽しんでこそ。一夜の夢さ」
「わっちはたしかに滝壺に身を投げました。それを救い出されたと?」
「その通り。女は、おまえには生きていてほしかったのだ。しかし、ともに死のうというだけの思いを見せてもほしかった。
おまえは一人生き残った。それが女の望み。その望みを河津が陰から叶えた。ひひ、わしはそのうち死ぬ。秘密は墓場まで持っていくなどと馬鹿をお言いさ。此の世のことは此の世に置いて行かせてもらうよ。あとは自分たちでなんとかしな」
口を動かしながら不意に手を躍らせて、斉藤の手から起請文を奪い取りました。そのまま千々に破き、空に撒きます。
それを待っていたかのように、ごうと風が吹いて。飛び去って行く紙片に手を伸ばすも届かず、斉藤が茫然と見つめておりました。そこへ、いつになく厳しい口調で、忘れよと。
「忘れよ。おまえの好いた女は、良き女であった。おまえを道連れにするを良しとせず、その上で潔い最期を飾ったのだ。捨て置かれるのが女の望み、忘れられるのが女の望みであれば、おまえはそれに応えねばならぬ」
「白里様、わっちは辛う御座います。優しき嘘こそが辛う御座います」
「ひひひ、泣くが良い。誰かのために吐く嘘こそが人の真実さ。おまえは惚れた女のために忘れる振りをせねばならん。忘れよ、忘れよ。それが鴉の誓いであるならば」
空の紙片を掻っ攫った風は、山のあなたへと吹き去って行きました。しんとした空虚さが後を埋めます。合わせて、すたすたと足音が響いて。白里様を探しに来た河津でした。
「白里様、一人で出歩くなど。鳥目とあっしの気苦労も察してくだせぇ」
「嫌だね。へばりつかれちゃ息が詰まるわい」
「そりゃそうでしょうが」
ふぅと息を吐いて斉藤の顔を見ました。涙の跡が窺えたのでしょう。
「どうした斉藤? なにかあったのか」
「なにも」
ふいと目をそらして黙ってしまいます。河津は、ぽりぽりと頭を掻いて、そうかい、と呟くと、それより、と続けました。
「あんたら、どうして此処にいやがる?」
睨め付けるような例の視線を三人にぶつけます。光雄と少尉と美由紀とです。さらりと応じて光雄の曰く。
「そりゃあ嘘つきだからさ。きみだって嘘をついているだろう?」
「なんのことか、わかんねぇな」
「ふふん、まあいいさ。僕が来たのはね、ようやく最初の依頼に応じられそうだからさ。失せ物探しの依頼、心水教の二代目教祖を今度こそ連れて参りましょう。その報告に来たんだ」
にこりとして告げる光雄とは対照的に、顔を歪めて応じる河津です。
「何を言ってやがる。白糸嬢なら向こうにいるはずだ」
「そうだね。さっき会ってきたところさ。だがまあ、今日のところは御報告のみ。準備万端整えて、大晦日の祭の夜に」
では白里様も息災で、と言い残して、くるりと踵を返したのです。不安な表情で見送る河津と、楽しげな様子の白里様でした。




