第29話 狐狼の舞
御堂での寒い夜を経て、売られた物と買った者との関係ではなく、さりとてどういう関係でもなく、ただ共にいることが自然なこととなり、あてどなく諸国を巡っておりました。
その間、河津が悪さをしなかったとは言いませぬ。悪党は所詮悪党。ですが、……いや、やめておきましょう。理由などはどうでも良い。必要なのは金なのですから。
やがて流浪の時を経て、虎狼狸の夜に至ったわけです。河津がどこまでの話を語ったか、土御門光雄と舩坂和馬少尉が何を知ったか、それは兎も角、たちばなで飯を食い、河津と沙希が帰った後の話です。
爪楊枝を齧りながら、気軽な調子で光雄が切り出しました。
「さて、明日にも心水教を訪ねて行こうか」
それを聞いて驚いたのは舩坂少尉です。河津に昔話をさせる代わりに、心水教の件からは手を引く、そういう話だったのですから。
「ちょっと待て、光雄。おまえ、手を引くと約束したじゃないか」
「僕は嘘つきだからね。それに向こうだって嘘をついているよ。それならこちらもさ。そもそも白里様を訪ねていくことはない、そう約束しただけだ。即ち、他の誰かを訪ねて行く分には何も問題ないわな。よしんば、そこでうっかり白里様に会おうと致し方なし」
そう言って楽しそうに笑います。その様子を見て呆れ顔の舩坂少尉ともう一人、不満顔の立花美由紀でした。
「なによ、あたしだって河津さんと沙希ちゃんの話、聞きたかったのに。あたしだけ仲間外れなのね。どんな話をしてたのよ?」
「いろいろとね。でも、世の中には知らなくて良いこともあるんだよ。可愛い美由紀ちゃんには聞かせたくない、触れさせたくない、そんなことがさ」
いつになく真面目な声音で告げられて、何やら照れ臭いような気のする美由紀でした。
「ふーんだ。子供扱いして!」
と、そっぽを向くのが精一杯。困惑げな美由紀と何故か寂しそうな光雄なのです。
さて、左様なことがありつつ、舞台はまた廻りまして、翌日、上野界隈、不忍池西側に所在する心水教で御座います。
河津に見つかれば何を言われるか分かったものではありませんが、素知らぬ風にぬけぬけとやってきた馬鹿と頑固と単純の三人組です。
案内のない訪いに、赤門が閉まっているかと思えばさにあらず。夜嵐に狙われているというのに、押せば開く不用心さでした。と言っても門扉ひとつで防げるわけでなし、そういうものやも知れませぬ。
どこへ向かう宛てもなかったようですが、犬も歩けば何とやら。竹林の一部を切り拓いて、以前は無かった物がありました。
荒々しく削られた木造りの舞台です。
その舞台の上で、狼と狐が戯れておりました。むろん、本物の獣ではない。狼の如き跳躍と身のこなしの赤黒と、狐面をつけた二人の天狐です。もう一人、舞台中央に立つ少女は沙希でしょうか。狐面をつけて微動だにしない。
柱のような沙希を巡って、相争っているかのよう。飛んで跳ねてしても音もなく。人ならざる者たちの静かな宴であります。
そこへ笛の音が響いた。
光雄らの方を見て、にこりとしながら笛を吹き始めたのは白糸嬢でした。舞台袖で奏でられる旋律にあわせて演じられるのは、ひとつの物語です。人柱の言い伝えでしょうか、最後は少女が滝壺に投げ込まれる場面で終わりとなるようです。
白糸嬢が笛を置くと同時に、舞台の上の張り詰めた空気も崩れました。赤黒は四つ足で伸びをしたり欠伸をしたり。天狐の方も心なし穏やかな雰囲気で、沙希のそばに立っております。
光雄が大きく拍手を送り、倣って美由紀と舩坂少尉も拍手です。演者の赤黒、天狐、沙希らは、警戒するような、あるいは面に隠されて表情もわからぬといった按配。代わりに、白糸嬢が、つつっと前へ出ました。
「どうだった? まだ練習中だけど」
「いや、なかなかどうして。思わず見入ってしまったよ」
と応じる光雄の言葉を聞き、口元を袖で隠して嬉しそうに笑います。
「あは、嬉しいね。大晦日が本番なんだ。観に来てちょうだい。それまでに……」
そこまで言って不意に口籠るも、無理やりという風情で言葉を繋ぎました。
「……それまでに、もっと上手くやれるようにしとくから。演じられているのは、白里様の物語なんだって。沙希が白里様役ね。獣の情と人の業、人柱にするのもされるのも人外の者なんだってさ。面白いねぇ」
「人柱か。白里様に、いったい何があったのだろうな」
「さあ、しーらない」
けらけらと笑う白糸嬢をおいて舞台に近付くと、図々しく上がり込みました。弛緩していた空気が、もう一度、ぴりりと固まります。光雄が声をかけたのは天狐の二人でした。
「やあやあ、素敵な舞だった。やはり武を極めると体を自在に動かせるのかね」
しかし、無言のままの二人です。それにめげず、狐面の奥を覗き込むようにして。
「僕は土御門光雄だ。きみたちにも名前はあるだろう。なんと言うのかね?」
問われてなお無言。ですが、狐面の二人が顔を見合わせて頷くと、どちらともなく言うのでした。
「名は三郎と四郎、それのみです。外の方との会話は禁じられています故、失礼」
頭を下げると、それ以上の応えはありませんでした。次に赤黒の方を向いてみても、ぐるると唸るばかりで会話が成り立つようにも思えません。諦めて舞台を降り、代わりに白糸嬢に問うてみました。
「天狐ってのは何者なのかね」
「さあ、河津が拾ってきた子供らの成れの果てだって聞いたことがあるけれど。何も考えず、自分の意思なんてない方が苦しまずに済む。そういう輩なんだって。でも、沙希といる時は嬉しそうに見えるなぁ」
「それはきみも同じじゃないかい?」
「あは、そう見える?」
白糸嬢が、けらけらと笑ってみせました。その顔は笑いながら泣いているようにも見えたといいます。
舞の練習を続ける沙希や白糸嬢らと別れ、屋敷へ向かう途中、次に出会ったのは、おかしな廓言葉の真似事で話す男。
心水教の金庫番、斎藤で御座います。




