第28話 河津と沙希 後段
河津というのは、融通の効かぬ頑固な男です。此の世を優しさだけで渡って行かれぬことをよくわかって御座る。常に厳しく在ろうとする、狡く在ろうとする。自らの心を傷つけ、苦しめながら。救いを求める一匹の鬼であり修羅であり狐であった。
その河津が女衒として最後に買ったのが沙希なのだという。もう商売から手を引こうとしていた頃、馴染みの何某から良い話があると声をかけられたのです。
「おう、河津じゃねぇか。聞いたぜ。悪さがばれて追い込まれたらしいな」
「うるせぇな。いいんだよ、んなこたぁ」
「へへ、商売の方はどうなんだ。良い話が入ってるんだがな」
「……もう女衒は辞めた。買わねぇよ」
不貞腐れたように横を向く河津でしたが、続けて、
「仕方ない。他に持っていくか」
との呟きを聞いて、思わず、
「待て。あっしが買う」
と応じてしまったのでした。
力なき身の忸怩たる思いか、切り捨てられぬ悔いか。自分が買わずとも、どこかの悪党が買う、それならば、それならばやはり。
まだ幼いが、器量良しで引き込みになれそうな娘だという。とはいえ、売り手の言葉だけに話半分に聞くべきでしょう。
あまり期待もせずに買い付けに行った河津ですが、良くも悪くも鍛え上げた鑑定眼、引き出されてきた娘の上質なことに驚いたものでした。幼いながら将来の華を感じさせ、愁いを帯びた風貌は並ではない。
河津が訪ねて行った先は地方の豪農で、とても子供を売るような家には思えません。沙希を連れて出てきた主人も、人の良さそうな小綺麗な壮年の男でした。
ただ、その男が饒舌に話す一方で、これから売られようというのに無表情に黙ったままの娘の様子が気になります。
男の言葉も右から左へ流して聞くに、流行病で親を亡くした娘を引き取ってやったが、当家も見た目ほどの余裕はなく、十分に食わしてやれない。器量も良いし生まれも悪くないから吉原の方が幸せになれるだろう云々。
問われもしないのに滔々と喋り続ける男を制して、河津が端的に問います。
「売る理由なんぞ、どうでもいい。いるのは金だ。いくらだ?」
男が示した額面を鼻で笑って断ります。
「高いな。せいぜい片手止まりだ。物は言えぬ、痩せて無愛想。くわえて生娘に非ず」
「な、何をそんな。器量良しとはいえほんの子供ですよ。そんなことは……」
「はん、悪さがばれちゃ困るから売っちまえってんだろう。それとも奥方にばれて、売るよりほかなくなったか。
あれやこれや理屈をつけて、自分は悪くないとの言い立て。恥知らずなもんよ。自分の嘘に自分が騙されてりゃ世話はない。その娘、まさに水揚げに失敗した新造みたいだよ。水揚げの妙も知らずに、くずやろうめ」
河津が金を投げ付けます。同時に、お札を貼り付けるようにして男を殴り飛ばしました。ごろんごろん、手毬のように土間を転がっていき、沙希も目を見開いておりました。
「こいつは割り増しの支払い分よ。遠慮はいらねぇ、とっときな」
そうして沙希を買い取り、話を持ってきた馴染みのところへ連れて行くこととした。ですが、沙希の無表情さが気にかかり、随分と迷ったといいます。話しかけても応じず、喋ることもない。耳が聞こえず口も利けぬのか。
いくら器量良しでも、それでは芸事もできない。困惑しながら馴染みのところへ戻ったところが、そこでは、河津を的にかけた連中が待ち受けていたのです。どうやら半殺しでは足りなかったようで。
馴染みの何某も、ただ馴染みというだけのこと。人を売り買いする忘八の手先で御座います。河津を売る方が金になるとなれば、当然のことでありました。
その場は何とか切り抜け、沙希も守り切って逃げ出した河津でしたが、無傷ではいられませんでした。途中、名もなき御堂に隠れたところで力尽きたのです。
気を失い、目覚めた時には沙希の姿はなく、逃げ出したものと思えば然に非ず。荒れた御堂に残されていた椀を手に、河津のために水を汲んできていた。あちこち体の傷も、不器用ながら手当てしてくれていたらしい。
幼い頃に土蔵に置き忘れてきた何かを思い出したような、そんな気がしたといいます。春先の話ですが、夜は冷え込みました。名もない荒れた御堂では外で寝るのと変わりもなく。
御堂の隅で震えて丸まっている沙希を引き寄せ、抱えるようにしてやりました。寒さのせいだけでなく震えの続いていた沙希でしたが、やがて落ち着き、少しは温まりもしたか、眠りに落ちたのでした。
夜半、例によって魘されて目覚めると、沙希も隣で魘されていたらしく、河津は沙希の手を握ってやりました。その手は温かく、逆に自分の手を握られているような気がしてくるのです。許されているような、救われているような。かぼそい蜘蛛の糸のような温かさでした。
そんな二人の様子を見守るのは、御堂に残され、祀る者とてない一対の木彫りの像のみであります。荒々しく彫り込まれた顔は磨り減り、目鼻立ちもわかりませぬ。




