〜彷徨い人と、迷い猫 7 〜
僕に、両親は居ない。
ずっと前に、僕が『殺した』。
みんなは違うと否定しているけど、僕自身は、僕が殺したと考えている。
その罪を背負って、それでも僕は生きていかなければいけない。
生きる事そのものが僕の償いでもあり、罰でもあるからだ。
宗茂も、その件に絡んでいる。
だから僕は宗茂を手放す事はできない。
手放してはいけないんだ。
通話を終え、僕は御手洗課長の元へ戻った。
「すみません」
「いや、いいよ。じゃあ依頼についての話をしようか」
御手洗課長は自分のデスクにゆっくり腰を降ろした。
「山王グループは知ってるよね」
「ムラクモの出資をしてくれてる、旧財閥ですね」
「うん。そこからの直々の依頼だ。内容はまだ伏せられているんだけど、多分感じからして、事件性の高いものではないみたいだ」
山王グループ。
ムラクモに出資し、会社の立ち上げから関わっているという大家だ。
歴史で学ぶような古くからの富豪で、ムラクモが『やらかす』と、真っ先に文句を付けに来る事もある、ちょっとめんどくさい所。
それだけ由緒があり、秩序を重んじている家系であるということなんだろうけど。
ムラクモにとっては大切な相手。顧客であり、身内ともいえる。何よりムラクモの大株主だ。
「実際、最初は四季守くん辺りにお願いすることも考えたんだけど、彼女は今や盾役も前衛もこなせる万能選手だからね。余り外したくはなくて」
「なるほど。じゃあ前衛を外された僕にはちょうどいいって事ですかね」
「…ごめんね、まぁそういう事になるかな」
近く、山王家に依頼内容を直接伺いに行かなければならないらしい。
礼儀正しく、冷静に、穏やかに対応できる者しか山王家は敷居を跨がせない。
だから僕が適任、という事らしい。
「分かりました。では僕が伺う事にします」
「うん。日程は追って知らせるよ。また決まったら書類を回しておくから」
「了解です」
山王家か。
近衛家とも古い付き合いの所だ。
一度、僕が近衛家の『一員』に正式に決まった時、ご挨拶に行った事があったっけな。
面識が一応あるから、尚の事僕が行くのが好ましいだろう。
近衛家は、実は山王家に負けないくらいの結構な名家だ。
山王家と肩を並べられる由緒正しい家系で、近衛の本家も勿論ムラクモに出資しているし、株主でもある。
その繋がりのおかげで、僕は近衛家の『養子』になれた部分もある。
僕が養子に入った近衛家は、本家とは少し離れた分家だ。
さっきの通話相手…『近衛チヅル』さんが本家の血筋なのだが、他家の男の人と結婚した為、本家を外れている。
けど、近衛の名を少しでも多く残す為に、その男性…旦那さんに近衛の方に婿養子に入ってもらい、近衛の苗字を名乗っている。
本家は本家で男系の嫡子がいる。そちらが正式に近衛本家を継ぐ事になっているから、チヅルさんは近衛の名でありながら分家、という訳だ。
チヅルさんは近衛家でも相当異質な存在だったらしい。
名家でありながら、その慣習やしきたりを嫌い、豊かな生活を捨ててでも普通の人になろうとし、結果、普通の血筋の人と結婚した。
旦那さんであるシゲルさんは名家でも何でもない一般家庭の人で、いわゆる『逆玉』というやつだ。
もちろん近衛家からは猛烈な反対を受け、チヅルさんは駆け落ち同然で本家から出て行ったらしい。
その後なんやかんやあって和解し、一応は近衛の者としてもう一度受け入れられ、和解の証拠として、シゲルさんが婿養子になるという形で近衛の苗字を名乗る事を許された。
…と、僕はチヅルさんからは聞かされている。
まあ、色々あったんだろうな。
さっきの通話でも分かる通り、ハツラツとしてて元気な人だけど、同時に凄く頑固で、自分のなかに真っ直ぐ過ぎるくらいの芯があり、曲がった事は大嫌い。
僕の正義感の根底は、あの人に影響されて出来上がっているといっていい。
そんな人だから、名家ならではのしがらみや筋の通らない事が我慢ならなかったんだろうな。簡単に想像できるよ。
でも、同時にそんな人が僕の養母である事はとても誇らしく思ってる。
自分のワガママに自分でとことん付き合えるというのは、何よりの『強さ』だと思うから。
数時間後。
僕は書面を以て正式に3課前衛を外れ、山王グループの依頼を1人で担当する事になった。
1人でホントに大丈夫なのかという不安はあるけど、内容は山王家を訪ねないと分からない。
それは明日に回すとして、今日久々に実家に顔を見せに行く事にした。
「今日?オッケー、じゃあ急いで準備しとくね!」
急な話だったろうに、チヅルさんは嫌な声一つ出さず、受け入れてくれた。
例え本当の親じゃなくても、親が居る家ってのは良いものだ。
正直、メンタルにダメージ負ってたから、早く行きたかったというのもあるかも。
自分しかいない所へ帰るより、見知った誰かの近くに居たい。
そんな気持ちもあったかも知れない。
受け入れてくれる事への信頼や安心感。
実家はそれが必ずあるから。
僕は本当は孤独ではないはずなのに、心が弱ってくると天涯孤独なのではないかといつも不安になる。
こんなに多くの人が僕を支えてくれているのに。
僕は、そういう意味では身勝手な人間だ。
一路、バイクを実家へと走らせる。
孤独というのは不思議なもので、例えば今バイクを走らせている僕は一人なんだけど、その孤独は嫌じゃない。
内省したり、気持ちを反芻させたりできる孤独はむしろ気持ち良い所もあるのに、心が弱っている時に大勢の中で感じる孤独感は耐え難いものがある。
ホント、勝手だよな、僕って。
…いや、人間そのものがみんなそうなのかも知れないな。
僕の実家である近衛家は、本家のような大豪邸ではない。ムラクモのある都心部からは離れた、半分くらい田舎の街にある。
ごく普通の一軒家で、ちょっと庭が広いくらい。
庭の手入れは定期的に庭師の人が来て整えてくれているけど、それにしたってめちゃくちゃ大きいわけでもなく、庭木の手入れとかをする程度だ。
その端にはガレージがあり、そこはシゲルさんの趣味の場所になっている。
車のパーツやらキャンプセットやらが置かれていて、シゲルさんがアクティブなタイプだというのが伺える雰囲気。
その更に端にバイクを停め、僕は久しぶりに育ての実家へ帰って来た。
僕が帰ることは伝えてあるからか、玄関の扉は鍵が掛かってなくて、するりと開いた。
…なんて言えばいいのかな、第一声は。
「えーっと!…何て言えばいいのかな」
すぐにチヅルさんがぱたぱたと玄関へ走ってきた。
もうすぐ50代に入る女性とは思えない、艷やかさと女らしさを感じさせる出で立ちに、端々から出ているエネルギッシュ感。
髪はショートカット、お母さん感溢れるエプロン姿だけど、全然女らしさは失われてなくて、寧ろ彼女の小顔を更に強調し、ただならぬ美魔女の雰囲気を醸している。逆にエプロンが似合ってないくらいだ。
「そういう時は『ただいま』でしょ、キヨマル!」
「あー、何か照れ臭くて。…ただいま、です」
「おかえり、キヨマル。アンタの好きな唐揚げ、ちょうど今揚げてる所だから。あがってゆっくりしてて!」
すぐに踵を返し、チヅルさんはキッチンへと戻っていく。
…久しぶりだからか、何だか気恥ずかしいな。
他人の家とまでは言わないけど、思ったより落ち着かない。
僕はおずおずとあがると、リビングへと向かう。
「…久しぶり」
リビングには、既に1人、ラフな部屋着姿の女の子がソファに寝転がって携帯をいじっていた。
Tシャツに運動用のショートパンツ姿。むき出しの脚は、少女と女の間って感じのラインを描いている。
チヅルさんの実子、ナツキちゃんだ。
多分中学…2年くらいかな?全然会ってないからもう歳もあんまり覚えてない。
でも、めちゃくちゃ見た目変わったな。
前見た時はちっちゃくて可愛らしい少女だったのに、今は思春期特有の神経質さをまとった女の子になってる。
チヅルさんに似て、よく整った可愛い顔はそのままに、女らしさが少しずつ出てきている。
でも、そのくりっとした瞳がこちらを見る事はなく、携帯の画面をただ追っているだけ。
時折ちょこちょこと、自分のショートカットの前髪をいじっている。
気難しさが溢れてるな。
なんて声を掛けたらいいんだ。
「…あー、た、ただいま」
「うん。…座りなよ」
「あ、そうだね、うん」
おかしいな。
癒しを求めて久しぶりに実家に来たはずなのに、落ち着かないな。
心の中で苦笑いしながら、ソファの隅っこに少し小さくなって座る。
ナツキちゃんは特に気にもせず、携帯から目を反らすこともなく。
「…何かやらかしたらしいね」
「えっ」
いきなりその話題かぁ。ほんと落ち着かないな。帰ろうかな。
ナツキちゃんも難しい心の時期だろうし、僕の行動が気に食わないんだろう。
「…あー、まぁ、ね。自分としては最善を尽くしたはずなんだけど…」
「いい気味だよ」
初めて、ナツキちゃんがふふんっと笑った。
昔はにぱっと明るく笑う子だったのに、今彼女の口元に浮かんでるのは人を小馬鹿にしたような皮肉っぽい笑みだ。
「…ごめん」
「は?何が?」
「いや…僕としては相手を傷つけないように退かせようと、自分なりに考えてあの行動に至った訳なんだけど、確かに悪戯心もあったというか…ちょっと相手にムカついてたのもあったのは事実で」
「…あぁ、違うよ。キヨ兄に『いい気味』って意味じゃないから」
「えっ」
「あの、エマキャットとかいうクソ女。私、前からあいつ嫌いだったから、キヨ兄が恥かかせてくれて良かったよ。めっちゃ爆笑したもん」
「…そうなの?」
「うん。たまたま生配信見ててさ。キヨ兄だなぁって見てたら、あの展開でしょ?友達はみんな怒ってたけど、めっちゃ私は笑えてきてさ」
「…そっか」
「そうそうー。学校から帰ってくるなり、『見てみて、キヨ兄めっちゃカッコいい!』ってスクショ見せて来たよねー」
料理を並べに来たチヅルさんの言葉に、それまで無表情だったナツキちゃんは慌てて飛び起きる。
「ちょっと!余計な事言わないでよ!」
「この子、今日だってあんたが帰ってくるって聞いたら慌ててシャワー浴びて髪まで洗ってさー。そんなカッコしてつまんなそうにしてるけど、絶対楽しみにしてるじゃん、って」
「もうッ!それ以上はほんっとに黙ってて!!」
「はいはい、ごめんねー」
ナツキちゃんの怒鳴り声にチヅルさんは肩をすくめ、料理を置くとまたキッチンへ戻っていく。
……えっと、そうなんだ。
……でも、これはこれで…またちょっと別の意味で気まずいというか…落ち着かないな。
ナツキちゃんは軽く顔を赤面させ、うつむいている。もちろん、僕からは目を反らしたまま。
「えーっと、…うん、ありがとね。正直それで叩かれまくって、ちょっとメンタル的にも萎えてたからさ」
「…うん」
目は反らしたまま、呟くようにナツキちゃんが言う。
「キヨ兄は、ウチ尊敬してるからさ、絶対間違ってないよ。だから、大丈夫だからね」
それだけ言うと、小走りにリビングから去っていった。2階へ続く階段をとんとんと上がる音がした後、ぱたんとドアが閉じる音。
…うーん、ずっと気まずいな。
でも、さっきよりは悪い気分はしないけども。
「…あら、部屋に戻っちゃった?私悪い事しちゃったかな」
様子を見に来たチヅルさんが、困ったように溜め息をついた。
「素直に全部言えばいいのに。あの子、あんたの大ファンなんだから」
「…そうなんですか」
「ええ。あの子陸上部に入ったんだけどさ、こないだ大会で2位になって、都大会の本選出場決まったのよ。それも言えって言ったのに」
「そうなんだ、凄い」
「でしょ?私には嬉しそうに賞状持ってきたのになぁ」
「…難しい年頃ですからね、きっと」
「…そうかもね。私にはそんな時期なかったから、いまいち分かってあげられないのかも」
ナツキちゃんくらいの時期が、人間が心身共に一番育つ時期。
そう考えると納得はいくんだけど、実際大人になってしまうと、かつて自分たちにもそんな時期があった事などすっかり忘れてしまう。
だから、あのくらいの年頃の子の行動が奇異に見えてしまうのかも知れないな。
「…あ、それでさ、話あるって言ったじゃん、私」
「そうでしたね」
「山王家、知ってるよね?」
チヅルさんからも話が出るのか、山王家の。
「あ、ちょうど会社からも山王家の話ありました」
「それ!多分その話だわ。山王さんから、キヨマルの会社に依頼するって言ってたから」
「チヅルさんにも話が行ってるんですか?」
「あぁ、大した事じゃないのよ。山王さんが困った事があるって話があってね、どうせならキヨマルがいるムラクモに頼もうかなって言ってて。ちょうどいいから今日その事話そうかなって思ってたの」
「結構大きな案件なんですか?」
「そんな事ないわよ。山王家の依頼だからって大きくなってるだけじゃない?」
チヅルさんは家事が一段落ついたのか、エプロンを外して隣に座る。
義理の母親だとは分かっていても、女性ならではの空気と充分過ぎるくらい残っている色香のようなものに、少しドキッとする。
…いや、育ての親だとは分かってるんですけどね。
「だって、只の猫探しですもの」
……うん?
猫……探し?
「…それ、わざわざムラクモに…?」
「そう。便利屋とか、探偵とかに頼めばいいのにねぇ。山王さんは、信頼できない人間に頼むよりは、きっちりやってくれそうな人間に頼みたかったみたい。まあ近衛家と山王家は古くからの付き合いだし、近衛的にも無下にはできないからね、言われたら」
そうか。…うん、まぁそうなんだけど。
案件的に大きなものを想定していた僕は、内心ずっこけていた。
…探しもの……しかも猫……。
ムラクモに頼む必要、あったのかな、それ…。




