〜彷徨い人と、迷い猫 1 〜
…夢を見た。
はっきり最初から夢だと分かるそれは、眩しい光の中、幼かった僕を映し出す。
その光が朝焼けなのか、夕焼けなのかは分からない。
ただひたすらに眩しい光は焼けたような橙に辺りを染めていて、だから朝焼けか夕焼けかという想像ができる感じで。
『あの時』、どちらだったかは覚えていないんだ。
そう、これはきっと、過去の僕だ。
今より随分若い、幼いとすら言える出で立ちの少年。
これは、僕自身だ。
光で全ての輪郭がぼんやりと焼かれた世界の中で、僕である少年は何かを握りしめている。
光がそれに当たるとギラギラと反射し、それがいかに禍々しい、背筋が凍るような冷たいものであるかを物語る。
金属質の長いそれは……刀だ。
全てを断ち、全てを切る事ができるから、ギラギラした反射光が本能的に恐ろしいものだという事を教えてくれている。
僕は、それをギュッと握りしめて立ち尽くしている。
目の前に、倒れている2人の人影がある。
もう、その2人に命の灯火はない。
調べなくても分かる。
だって…僕が、『殺した』んだ。
そう、僕がこの2人を、殺した。
この、全てを断ち、切る刀で、2人の命を、僕が断ち切ったんだ。
…何で、殺したんだろう。
そこは余りよく覚えていない。
多分、とても大切な部分のはずなのに、余りよく覚えていないんだ。
でも、殺したのは確かだ。
その証拠に、僕が握りしめている刀には、べったりと紅い血が流れている。
…いや、これは…僕自身の血なのか?
どうだったかな。それも、余り覚えていない。
僕が殺したんだ。
僕が、この2人の命を奪った。
…僕の、『お父さん』と、『お母さん』だったモノ。
僕はただ、その2人だったモノを、じっと見つめている事しかできなかった。
…そうする事しか、その時はできなかったんだよ。
「……ッ!!」
目が覚めると、もうそこには僕しかいなかった。
今度は…現実だな、これは。
まだ本当に現実かどうかは自信がなくて、それを確かめる為にも、僕は部屋のカーテンを開ける。
今日も、昨日と同じように太陽が街を照らし始めている。
街を照らすのと同じように、光はカーテンを開けた僕にも降り注ぐ。
どうしてだろう、どちらも光であることに変わりはないのに、夢の中の光は不安でしかなくて、現実の光の方がずっと安心できる。
街が、少しずつ起きていく。
色んな人が行き交い始め、色んなモノが動き出す。
…着替えよう。
何故なら、僕は基本寝る時はパンツ1枚だから、この恰好で窓際にずっといるのは余り良くない。
今も、僕は『C・クレイン』のダークグレーのボクサーパンツ1枚だ。
決して変態というわけではなくて、裸でベッドに入っているのが好きなんだ。
寝具って、やたら肌触り良くできている物が多いから、裸だと凄く気持ち良いんだよな。
僕は、そういう優しいモノが好きなんで。
…嫌な夢だったな。
また、あの時の夢だ。
頭にぼんやり感がまだ残っているのは、トラウマともいえるそんな嫌な夢を見たからだろう。
さっさと洗面所へ行き、顔を冷水で洗う。
鏡に写る自分は、少しだけ疲れて見えた。
…まだ朝なのにね。
1日が、これから始まるというのに。
スキンケアの為の化粧水で軽く顔と、上半身を潤わせ、僕は身支度を整える。
ややタイトな、ヒュージの白いワイシャツに袖を通し、いつも着ている仕事用の黒いスーツに身を包む。
細いモノトーンのナロータイを締めると、気分はちゃんと切り替わってくれて、『外向き』の僕のアイデンティティがちゃんと降りてくる。
肩まである髪を、つむじ辺りで無造作に縛れば、ほら、いつもの僕の完成だ。
もう一度鏡を見る。
そして、鏡の自分に笑いかける。
僕のトレードマークは、笑顔だ。
決して角は見せない。鋭い空気も、気分も心の中に仕舞うんだ。
そして、きちんとそこに鍵をかける。
鏡に写る自分は、もう人当たりの良い、外面の良いいつもの自分だ。
うん、ちゃんとイケメンだな。
正直、僕は顔の作りは整っている方だ。自覚はあるし、実際周りもみんなそう言ってくれる。
それをひけらかす気はないけど、かといって謙遜し過ぎるのも角が立つ。
だから、自分はある程度整った見た目をしている事を自覚するのは大切だ。
整った見た目の人間には、それなりに必要な立ち振る舞いというものがある。
何より、この外見も僕の武器なのだ。
この、クソったれな世界で上手くやっていく為に与えられた武器だ。
今日も、僕は僕として、みんなのイメージを覆さないように生きていくんだ。
家を出る前、玄関に置いてある縦に長い袋を手に取る。長柄の箒くらいのサイズだ。
持つだけで伝播する、緊張感と安心感の同居した不思議な感覚。
袋には長めの紐が付いていて、僕はそれをたすき掛けに肩に掛けた。
中に入っているのは、刀だ。
夢の中で僕が握りしめていた、あの禍々しい刀だ。
僕は、こいつから離れる事はできない。いや、許されないと言った方が的確かも知れない。
刀の方も、僕なしでは只の危険物でしかない。
僕だけが、こいつを操れる。
僕がこいつを支配しているのか、こいつが僕を支配しているのか。
いまだによく分からない。
当然、普通の人間がこれを持ち歩いていたら警察のお世話になるだろう代物だ。
それを僕は持ち歩く事ができる。
勿論、刀と分かってしまえば警戒されるし、色々面倒な事になる。
それをカバーする為、防護袋で包んでいる。
何せ、結局は只の刃物なのだ。無闇やたらに見せびらかす物じゃないし。
そんなモノを、普通に持ち歩ける人間が僕だ。
そう、僕は普通の人とは少し違う立場の人間なのだ。
『魔象使い』。
僕達は一般的にそう呼ばれている。
能力は扱う者によって多種多様。
ファンタジー世界の『魔法使い』みたいに、炎や風といった俗に言う『四大元素』を操る者。
あるいは主の意志に忠実に従う『魔動人形』を操る者。
『傀儡』と呼ばれる、操り主と魔象の糸で繋がり、操り主の操作によって動く兵器を使う者。
『妖術』みたいな何とも言えない、超能力みたいなのを使う奴もいれば、『忍術』を使う『忍者』みたいな奴もいる。
そういうのを全てひっくるめて、『魔象』という。
『魔象』を扱える魔象使いは、だいたい人口の1%未満。
だから、珍しいと言えば珍しい。
普段から当たり前に目の当たりにしてると、珍しいとかそういった感覚はもうない。
でも、人口が増えて、それに合わせて魔象使いも増えたとはいえ、社会的にはまだまだ珍しい。
だから、法整備や色々なシステムがまだまだ追い付いていない。
魔象の力は当然強力なもので、強力な力を持った人間はたいてい二つの選択肢を迫られる。
その力を、良い方に使うか、悪い方に使うか。
人間は良い奴ばかりじゃないから、当然魔象による凶悪な犯罪も増えてくる。
それこそ、警察じゃ対処しきれないくらいに。
警察も、ただ指を咥えて傍観してる訳じゃない。
有能な魔象使い、優秀な人材を集めようとはしている。
けど、いかんせん上手く進んでいない。
何故なら、給料が安いから。
安い給料で公僕になろうなんて奇特な人、なかなかいない。
正義感の強い、使命感のある人は警察に就職したりもするけど、決して多くはない。
僕だって、その選択は取らなかった。
業を煮やし、警察は別の一手を打った。
『国家のバックアップによる、警察の補助機能を持つ企業の創設』
だ。
警備会社やシークレットサービスのように、魔象を使った悪事も専門に扱える会社を作ってやろう、と考えたんだ。
警察のように取り締まる権利は持ちながら、一般企業のようにある程度自由に動ける組織。
それを目標に掲げて、いくつかの『魔象企業』が生まれた。
その中の一つ、『㈱ムラクモエージェンシー』。
僕は、そこのエージェントをやってる。
この刀は、そこで生き抜く為の相棒だ。
勿論、簡単な仕事じゃない。
何よりまず危険だし、色んな事が起きるから対応能力が常に試される。
それでも、僕はここを辞める事はできない。
『魔象使い』は、その危険な能力ゆえに、国に管理・監視される存在だ。
『魔象企業』で働いていなければ、もっと国に縛りつけられる事になる。
魔象を使って国に貢献する事と引き換えに、僕らは少しだけ普通の人間のような『自由』を謳歌できる訳だ。
それだけ、『魔象』というのは危険物扱いされているんだ。
僕にとっては、会社で働く事で得られる対価、給料なんてのはおまけでしかない。
ムラクモで働く事、国に貢献する事が、僕の生きていく道そのものなんだ。
幸いにも、ムラクモは俗に言うような『ブラック企業』ではない。
ホワイトかと言われればそうとも言い切れないが、僕にとってはムラクモは、僕という存在の輪郭をはっきりさせてくれる会社だ。
僕は、そのムラクモの『魔象3課』に所属している。
本当に優秀な人材を厳選した少数精鋭の『1課』、
組織行動と能力の平均化、ある意味『兵隊』の『2課』、
バックアップや非戦闘的支援に特化した『4課』
に対して、3課は簡単に言ってしまえば
『半端者のごった煮』。
所属している他の皆には悪いけど、各々尖ってるんだよね、ステータスやら性格やらが。
魔象使いだから、というのもあるかも知れないけど、おそらく3課の誰もが、普通の企業ではやっていけないだろう。
でも、だからこそ上手く噛み合った時のシナジーは半端ないものがある。
だから、僕は3課が好きだ。
ぶっ飛んだ行動も、激しい言動も、『3課だから』という事で済む事も多い。
ちょっと情けない気もするけど。
世間的にも破天荒な部署だと思われてるって事だからね。
でも、僕もそれで何度も助けられている。
お世辞とかじゃなく、いい会社だと思うよ、ムラクモは。
ムラクモが無かったら、僕はどうなっていたんだろう。
…本当に。
会社へは、基本バイク通勤だ。
理由は、顔が隠せる事。
特にバイクに興味があるとか、好きって訳じゃない。
フルフェイスのヘルメットで顔を隠せるから、面倒事が少なくて済む。
以前は公共交通機関で通ってたけど、凄く声をかけられる事が多くて、会社に着く前に疲れてしまってたんだよ。
やれ芸能界へのスカウトやら、モデルへのスカウトやら、ホストへの勧誘やら、女の子に待ち伏せされたりとか。
いやー、イケメンは困るね(笑)。
みんな顔が整ってるってだけでよく声をかけられるもんだよ。
心の中には何を飼ってるか分かったもんじゃないのにね。
目に見えるものなんて、たかが知れてるのになぁ。
「おはようございます、キヨ先輩」
会社のエントランスで、声をかけられる。
あ、これはスカウトじゃないよ。さすがにエントランスまで入ってきたら警備を呼ぶかな。
「おはよう、ミサちゃん」
振り向くと、視界の下の方に、眼鏡をかけた可愛らしいたぬき顔。
僕よりだいぶ小柄な彼女も、3課の社員だ。
『四季守 ミサオ』。
小さくて可愛い、けど3課の次期エース候補。
今日もきちんとしたボルドーのパンツスーツ姿で、彼女の几帳面かつお洒落な性格をよく表している。
「今日もオシャレだね、ミサちゃんは」
頭をぽんと撫でようとした僕の手を、彼女は優しくはたき落とした。
「すぐスキンシップ取るの、良くないクセですよキヨ先輩」
「あ、ごめん。ミサちゃん小さくて可愛いから、ついね」
「私の事、小動物かペットだと思ってません?」
見た目を武器にしてるから、ついクセですぐ異性にボディタッチしてしまうのは僕の悪い所だな。
ミサちゃんは無表情のまま、僕と3課オフィスまで同行する。
「まったく。只でさえキヨ先輩は目立つんですから。いくらイケメンだからって、人によってはセクハラと捉えますからね」
「ごめんって」
発言からも分かるけど、彼女は真面目だ。
面と向かって僕に説教してくれる異性なんて、会社には滅多にいない。
だから僕は彼女が好きだ。
あ、でもLikeだから。Loveじゃなくて。
さっきの行動でも分かる通り、どうやら彼女は僕には余り興味なさそうだし。
だからこそ気兼ねなく付き合えてありがたいんだけど。
いかにも几帳面そうな、ぱっちりした天然の二重瞼の瞳を黒縁の眼鏡で隠し、ボブの艶感あるダークブラウンの髪。背筋を伸ばして歩いてるけど、やっぱりいかんせん小さくて、背伸びしてるチワワみたいだ。ほんと、ちまっとしてて可愛い。
けど、こう見えて彼女は3課の前衛を張る有能な社員。
勿論、彼女も魔象使いだ。
彼女は、『アザミ』という『傀儡』を操る、3課の盾役だ。
傀儡は、操手と魔象の糸で繋がることで動く、人型の魔象兵器の一つ。
アザミは傀儡の中でもやや大型に入るサイズで、高い防御力を備えている。
最近は防御だけじゃなく、とんでもない戦闘力があるという事が発覚し、社内での評価もそれをきっかけに高まっている。
だから、次期エース候補ってわけ。
ちなみに僕は3課では遊撃役だ。
まあ武器が刀だからね、刀なんて攻撃する為の物だから、必然的にそうなるよね。
僕らは、人も、『人ならざるモノ』も相手にする。
魔象には本当に様々な形がある。
たくさんの現場で、それこそ命を危険にさらす仕事。
そこには男も女もない。
力の強い者が残る、いわばサバイバルだ。
普段はこんなに平和なのにね。
オフィスへ歩く僕らは、そこらのビルの中でお勤めしているサラリーマンと何ら見た目は変わらない。
この温度差は、なかなか表現しにくいよ。
オフィスに着くと、既に何人かの社員が朝の準備に入っていた。
パソコンの電源を入れてる人、談笑してる人、書類を分けてる人。
3課はほとんどが魔象使いだけど、事務やデスクワーク専門の一般社員も何人かはいる。
今いるのはそういう人たちだ。魔象使い社員は、時間にルーズだったり、出張や不規則時間の業務だったりで時間通り出揃う事は少ない。
「私は書類整理があるので、ちょっと失礼します」
無表情のまま、ミサちゃんは早足で自分のデスクへ向かっていった。
魔象使い社員なのに、ちゃんと通常業務もこなしてるミサちゃん、偉いな。
僕なんてほとんど放置してるのに。
「近衛くん、ちょっと」
自分のデスクに腰掛けた僕に、また声がかかる。
今度は、くたびれた感じの男の人だ。
シワの寄ったジャケットに、少し曲がったネクタイ。ミサちゃんとは大違いだな。
顔は疲労なのか加齢のせいか、生気がない感じ。最近忙しかったのかも知れない。
いかにも冴えない感じのこの中年…いや壮年?男性、この人こそ3課の長、
『御手洗 ノブマサ』
課長だ。
3課の皆からは完全に舐められてるというか、良く言えば親しまれているんだけど、僕はこの人が相当な使い手なのは知っている。
かつては現場でも活躍し、『永字八法の御手洗』と呼ばれていた事も。
ま、あえて皆に言いふらす事でもないから、僕も皆と同じ感じで付き合わせてもらってる。
「あー、課長おはようございます」
「出社して早々悪いけどね、『芦屋』さんが呼んでるから、始業したらすぐ行ってくれないかな」
「…あー、了解です」
御手洗課長の言葉の意味を、僕は即座に理解した。
これは只の呼び出しじゃない。
『点検』だ。
『芦屋』という人物は、只のムラクモ社員の名前ではない。
きーんこーんかーんこーん。
しばらくして、始業のチャイムが鳴る。
いつもなら3課の朝礼に参加する所なんだけど、僕は席を立ち、その『芦屋』なる人物の元へと向かう事にした。
まあ、そういう理由で朝礼サボれるのはラッキーなんだけどね。
行き交う社員も少ない、上階の『特別会議室』。
僕が向かう先は、そこだ。




