濁流の先
カイルが細い紐を結んだ矢を放った。
矢は狙い通りの軌道を描き、
リオネルが指定した地点を通って倒木の枝へ引っかかる。
直後、流された領民が川の曲がりへ差しかかった。
流された男の身体が,
予測どおり紐の張られた位置へ運ばれてきた。
伸ばした手が紐に触れ男は反射的に握りしめた。
「本当に、あそこへ来た……」
カイルが驚きながらも、すぐに次の動きへ移る。
リオネルの指示で、
細い紐を伝って岸から太いロープが送られた。
男はどうにかロープを身体へ巻きつけたが、
カイルと住民たちが引いても水の力が強すぎてほとんど動かない。
無理に引き寄せようとするほどロープが軋んで張り詰めていく。
「真っすぐ引くな」
リオネルが止めた。
「川に逆らえば、ロープが切れる」
下流に目をやると水深の浅くなっている場所があった。
「下流へ流しながら、浅瀬へ寄せるんだ」
住民たちがロープを引く向きを変える。
男の身体は少しずつ岸へ近づいていくが、
途中に突き出した岩へぶつかりそうになっていた。
その時、フィーナが川岸へ進み出た。
目を閉じ、水と風へ向かって強く念じる。
だが、嵐の中では声も混乱しており、
普段のようには応えてくれない。
「全部止めなくていいんです!
少しだけ、あの人を岸のほうへ押してください!」
フィーナが濁流へ向かって叫んだ。
一瞬だけ、男の周囲の流れが緩んだ。
風も岸側へ吹き、身体がわずかに浅瀬へ近づく。
だが、それだけでは、まだ岩まで届かない。
マルタが腰に命綱を結び始めた。
「待て」
リオネルがその手を止めようとする。
「何も君が飛び込まなくても。
君まで巻き込まれたら――」
その忠告に対して、マルタは命綱の結び目を確かめながら、
迷いなく言った。
「私は、傷を治せません。
だから、怪我をする前に助けるしかないんです。
今、動かなければ、あの人は助けようがなくなる」
それは、リオネルへの返事というより、
自分自身へ向けた言葉のように聞こえた。
マルタは自分の身体へ加護を重ね、
筋力と安定を強化すると、
リオネルの返事を待たずに濁流へ踏み出し、
フィーナが作った隙へ迷わず飛び込んだ。
「いけるか?!」
皆が緊張の面持ちでその姿を眺めるなが、
見事に水を掻き分け流された男の腕をつかんだ。
だが、二人分の重さが再び濁流に引かれ始める。
リオネルは水面を見つめた。
上流からひときわ大きな波が二人へ近づいてくる。
今引けば、波の力をまともに受ける。
「まだ引くな!」
カイルと住民たちがロープを握ったまま堪える。
波がマルタたちを覆いそのまま下流へ抜けていった。
水の勢いが、一瞬だけ弱まる。
「今だ、引け!」
カイルと住民たちが一斉にロープを引いた。
フィーナも風へ呼びかけ二人の身体を岸側へ押し出す。
マルタが水底を蹴り男を抱えたまま浅瀬へたどり着いた。
両者が、住民たちの手で岸へ引き上げられる。
男は意識を失っていた。
いマルタはそれでも慌てず呼吸を確かめ、
身体を横へ向けて水を吐かせる姿勢を取った。
しばらくして、男が激しく咳き込み、口から水を吐き出す。
周囲に、どっと安堵の声が広がった。
リオネルはすぐに、川辺の作業方法を改めさせた。
命綱をつけない者は近づかせない。
交代要員を配置し残った流木は
岸から安全な位置で取り除く。
やがて雨は弱まり水位も下がり始めた。
墓地と礼拝所の周辺は浸水したものの、
住宅地への大きな被害は防がれた。
避難していた住民にも、死者は出なかった。
助けられた男が毛布に包まれたままリオネルの前で頭を下げた。
「ありがとうございました、領主様」
リオネルは首を振り、カイルとフィーナ、そしてマルタ、
作業に加わった住民たちへ目を向けた。
「私一人では、助けられなかった。
礼なら、ここにいる全員へ言ってくれ」
カイルが疲れたように笑う。
フィーナはその場へ座り込み、
マルタも濡れたまま静かに息を吐いていた。
町の人々が、着任したばかりの若い領主と、
その仲間たちを見る目はもう以前とは違うものになっていた。




