準備
王都から戻ったリオネルは、その日のうちにエリオットを呼んだ。
「街道沿いの村々、兵の配置を見直したい」
地図を広げながら、リオネルは切り出した。
「モンスターの再襲来、ということですね」
エリオットが、確認するように言った。
「ああ。オークにせよ、ゴブリンにせよ、また出てこないとも限らない」
リオネルは、それ以上、詳しい理由を語らなかった。密命の内容は、まだ誰にも明かせない。
エリオットは、特に疑う様子もなく、地図に視線を落とした。
「では、以前の山狩り隊の拠点を中心に、配置を組み直しましょう」
「頼む」
二人は、村ごとの兵力、警戒すべき方角を、丹念に詰めていった。
兵糧の課題も、あらためて浮かび上がった。
「モンスターが再び現れれば、籠城や長期の防衛戦になる可能性もあります。その際、他領から兵糧を買い付け、運び込む算段をつけておきたい」
リオネルは、そう切り出した。
「グレイン王領は、王都から見て上流に位置します。川を使った輸送は、できません」
エリオットが、地図上の水路を指しながら言った。
「陸路で運ぶしかない、ということか」
「はい。ただ、それだと、時間も人手もかかります」
リオネルは、腕を組んで考え込んだ。
「今すぐには、答えが出ないな」
「もう少し、検討させてください」
エリオットも、頭を悩ませながら答えた。この問題は、まだ解決の糸口が見えないまま、宿題として残された。
*
カイルは、領内のハンターたちを集め、斥候としての訓練を始めていた。
「モンスターの再襲来があれば、いち早く気づくのが俺たちの仕事だ」
カイルの言葉に、集まった若い狩人たちが頷く。
「山狩りの時みたいに、また役に立てるってことですね」
「ああ。気配の読み方、足跡の見分け方――今のうちに、しっかり鍛えておこう」
カイル自身、その訓練の裏に、もっと大きな理由があることを知っていた。だが、それを口にすることはなかった。
*
フィーナは、屋敷の一室で、一冊の書物と向き合っていた。
「うう……古代語、なかなか頭に入りません……」
机に突っ伏しながら、うめき声を漏らす。
学校から届く書物には、新しい精霊呪文についての記述だけでなく、人工的にダンジョンを構築する技術に関する記録も含まれていた。どちらも、これまでにない難解さで、一冊読み解くだけでも、かなりの時間を要する。
だが、問題はそれだけではなかった。
「月一のはずだったのに……最近、週に一回くらいのペースで、次の本が届くんですけど……」
フィーナは、げっそりした顔で呟いた。一冊を読み終えるか終えないかのうちに、次の書物と、その分のレポートの催促が、容赦なく送られてくる。
「校長先生、絶対楽しんでますよね、これ」
それでも、これを読み解くことが、コアの謎に迫る唯一の手がかりでもある。
「頑張らないと……」
フィーナは、気を取り直すように、再びページをめくり始めた。
*
マルタは、いつも通り、村々を巡っていた。
祭壇の前で祈りを捧げ、村人たちの相談に耳を傾ける。特別なことは、何もしなかった。
「最近、少し物々しいですね」
ある村の老婆が、そう声をかけてきた。
「兵の配置が、増えているようで」
「モンスターの備えです。ご心配なさらず」
マルタは、努めて穏やかに答えた。
「マルタ様がそうおっしゃるなら、安心です」
老婆は、それだけで納得したように微笑んだ。
いつも通りの祭事を、いつも通りにこなす。それこそが、平静を保つための、マルタなりの務めだった。
*
村を回る合間、マルタはカイルに声をかけていた。
「少し、稽古に付き合ってもらえますか」
「マルタさんが? 珍しいですね」
「これから、もっと厳しい戦いが待っています。少しでも、強くなっておきたくて」
マルタは、静かにそう告げた。密命の内容を知る者として、これから訪れる戦いの重さを、誰よりも実感していた。
「――分かりました。付き合いますよ」
カイルは、深くは聞かず、木刀を手に取った。
その日から、二人は人目を避けるようにして、密かに打ち合いを重ねるようになった。
*
夜、リオネルは執務室で一人、地図と向き合っていた。
街道の配置、兵糧の課題、斥候の育成――やるべきことは、山積みだった。だが、肝心なことが、まだ何も分かっていない。
いつ、どれほどの規模の軍勢がやってくるのか。
その知らせを待ちながら、リオネルは、静かに時が過ぎていくのを感じていた。
水面下では、確実に準備が進んでいる。だが、表向きには、いつもと変わらぬ日常を装い続けなければならない。
その二つの間で、リオネルは、静かに気を張り続けていた。




