一報
カイルが育て始めた斥候たちは、日を追うごとに腕を上げていった。
しばらくしてカイルを隊長にして、信頼でき腕のいい数名を辺境伯領との境界付近へ密かに派遣していた。
「戻りました」
カイルが緊張した面持ちで報告に現れる。
「境界の向こう、明らかに兵が集まっています。柵や物見台のようなものも、急ごしらえで組まれていました」
「防備を、固めているということか」
「そう見えます」
リオネルは、その報告を、静かに書き留めた。
やはり、辺境伯側も、こちらの動きを察している。予想していたことではあったが、実際に確認できたことで、緊張が一段と増した。
*
その数日後、王都から急使が届いた。
「内務卿様より、正式な通達です」
急使は、そう告げると、書状を差し出した。
「――追討令、か」
書状に目を通したリオネルは、思わず息を呑んだ。国王の名の下に、辺境伯ダグラス・ケインへの正式な討伐が、ついに発令されていた。
「ここに至るまでの経緯も、お伝えするようにと言付かっております」
急使は、続けて詳細を語り始めた。
「辺境伯殿は、国王陛下からの査問に、最後まで応じなかったそうです」
「応じなかった……」
「グレイン王領以外の、辺境伯領と境を接する別の貴族領でも、以前から禁忌キノコの被害が確認されていたそうですが」
急使は、さらに続けた。
「その撒いていた者たちが、辺境伯の息のかかった者だったという証拠が、新たに見つかったとのことです」
「――うちの領地で作られていたものが、そんなところにまで……」
リオネルは、地図上の、辺境伯領を囲む複数の領地に目をやった。自領で栽培されていた禁忌キノコが、密輸ルートを通じて辺境伯の手に渡り、さらに別の領地にまで撒かれていたのだ。その繋がりの広さに、あらためて驚かされる。
「加えて、その貴族領の境界付近から、人工のダンジョンらしきものも発見されたとのことです」
その報告に、リオネルは拳を握った。
自分たちが摑んだ真実は、決して局地的なものではなかった。辺境伯の企みは、グレイン王領だけでなく、複数の領地を巻き込んでいたのだ。査問拒否という態度そのものが、もはや疑いようのない証となり、追討令発令への最後の一押しとなったのだろう。
*
その知らせが届いた日、リオネルはエリオットを呼び、これまでの経緯を、初めて詳しく伝えた。
「――そういうことだったのですね」
エリオットは、話を聞き終えると、深く息をついた。
「実は、王都から戻られてから、ずっとどこか様子がおかしいとは思っていました。モンスターの再襲来への備え、というだけでは、説明のつかない緊張がありましたので」
「すまなかった。国王陛下からの密命だった。誰にも、話すわけにはいかなかった」
リオネルは、率直に詫びた。
「いえ、ご事情は理解しております」
エリオットは、静かに首を振った。
「これから、もっと忙しくなる。頼りにしている」
「はい。承知しております」
エリオットは、あらためて気を引き締めるように、姿勢を正した。
その上で、リオネルは、これまでとは違う、はっきりとした指示を出した。
「兵糧の囲い込みを始める。それと、兵士・斥候の正式な募集も」
「ついに、公にできるのですね」
エリオットの声に、これまでの緊張が、わずかに緩んだような響きがあった。
「ああ。もう、隠す必要はない」
村々への告知が、その日のうちに出された。表向きには「モンスターの再襲来」だった名目が、今度こそ本当の脅威――辺境伯討伐に向けた、正式な戦の準備として、堂々と語られるようになった。
*
フィーナは、相変わらず、机に突っ伏していた。
「今週も、また届きました……」
新しい書物の重みに、げんなりとした声を漏らす。
「もう、何冊目でしたっけ……」
それでも、手を止めることはなかった。人工のダンジョンについての記述が増えるほど、フィーナの中で、断片的だった知識が少しずつ繋がっていく感覚があった。
*
一方、マルタは、これまでとは違う忙しさに追われていた。
追討令の一報が、あっという間に村々へ広がり、住民たちの間に、隠しようのない不安が広がっていた。
「戦になるんですか、本当に」
「うちの息子も、駆り出されるんでしょうか」
マルタは、一つ一つの村を回り、集まった住民たちの前で、静かに語りかけた。
「不安なのは、皆同じです。ですが、これは、これまでの理不尽を正すための戦いです」
説法という形を借りながら、マルタは、動揺する心を鎮めるための言葉を、丁寧に紡いでいった。これまでの「平静を装う」段階とは違う、事実を伝えた上で、なお人々の心を支える難しい役目だった。
それだけではなかった。
夜明け前、まだ皆が寝静まっている時間に、マルタは一人、祭壇の前で長く祈りを捧げていた。これから訪れるであろう、より過酷な戦いに備え、加護の質を少しでも高めておきたいという、誰に頼まれたわけでもない務めだった。
昼間には、カイルを相手に、模擬戦を重ねる時間も作っていた。
「参った、参った!」
カイルが、両手を上げて後ずさる。メイスの重い一撃を受け止め続けた腕が、既に痺れていた。
「大丈夫ですか」
マルタが、駆け寄って腕を確かめる。
「治癒の加護が、かかればいいんですが……」
そう呟きながら、マルタはカイルの腕にそっと手を添えた。
次の瞬間、カイルが、不思議そうな顔をした。
「あれ……なんか、痺れ、楽になってきたような」
「気のせいじゃないですか?」
マルタ自身、まだ半信半疑だった。治癒魔法が使えないことは、自分が一番よく知っている。
「気休めはいいですよ。でも……そう言ってもらえるだけでも、嬉しいです」
カイルは、笑いながらそう言った。
「いや……勘違いじゃないと、思うんだけど」
マルタは、自分の手のひらを見つめながら、小さく首を傾げた。何が起きたのか、自分でもうまく説明がつかない。それでも、確かに何かが働いたような、そんな感覚だけが残った。
「もう一本、お願いします」
気を取り直すように、マルタは息を切らしながらも、なおも木製の得物を構え直す。
「いや、もう十分鍛えてますって。休みましょう」
「まだ足りません。もっと強くならないと」
マルタは、譲らなかった。
「皆さんを、守りたいんです」
その一言に、カイルは苦笑しながらも、渋々もう一度得物を構え直した。
*
村々に、隠しきれない緊張が満ちていく。
だが、それは、もはや後戻りのできない一歩でもあった。
リオネルは、地図を見つめながら、静かに気を引き締めた。
いよいよ、本格的な戦の足音が、すぐそこまで近づいていた。




