最下層:知恵あるオーク
沼地の奥、乾いた地面の先に、下へ続く階段があった。
休息を終えた四人は、装備と魔力を確かめ直し、その階段を降りていった。
「また、雰囲気が変わりますかね」
カイルが、半ば冗談めかして言った。
「沼の次は、何が出てきても驚かないですけど」
「驚かない準備だけは、しておけ」
リオネルがそう返したところで、階段が終わった。
*
足元に伝わる感触が、変わった。
湿った泥ではない。角の揃った、よく磨かれた石畳だった。壁も同じく、継ぎ目が見えないほど丁寧に仕上げられ、等間隔に並んだ支柱には、浅い彫刻が施されている。
「……これは」
フィーナが、光精霊の明かりを少し高く掲げた。淡い光が、磨かれた石の表面を滑っていく。
「ゴブリンの洞窟の、あの三層と同じです」
マルタが、低い声で言った。
リオネルも、頷いた。長く伸びる通路の幅、支柱の間隔、天井の高さ。見覚えのある寸法だった。あの時、豪華すぎる造りに違和感を覚えたことを、はっきりと思い出す。
「ここが、最下層だな」
根拠は、言葉にするより先に、体で分かっていた。石畳の質も、空気の重さも、これまでの階層とは別物だった。
「あの時と同じなら、通路の先に、大きな広間がある」
*
そのとき、マルタが、ふと足を止めた。
「どうした」
「……いえ」
マルタは、自分でも確信が持てない様子で、眉を寄せた。
「気のせい、かもしれません。誰かの気配が、ずっと遠くで、揺れているような」
「敵か」
「分かりません。敵意というより……もっと、薄くて、弱いものです。すぐに、他の気配に紛れてしまって」
マルタは、少し間を置いて、首を横に振った。
「今は、はっきりしません。ただ、覚えておいてください」
「分かった」
リオネルは、それ以上は追及しなかった。今、確かめる手立てはない。ただ、頭の片隅に、その一言を留めた。
*
「先に、見てきます」
カイルが、音もなく通路の先へ消えた。
しばらくして、同じように静かに戻ってくる。
「広間があります。かなり広いです。入り口は、柱が何本も並んでいて、その陰からなら中を見られます」
「数は」
「全部で15頭ほどですが、ただ……」
カイルは、少し言い淀んだ。
「普通じゃないです。見てもらった方が早いです」
フィーナが、光精霊の明かりを、そっと消した。暗さの中、四人は壁際に身を寄せ、カイルの先導で、広間の入り口へと近づいていった。
柱の陰から、そっと広間を覗き込む。
天井の高い、広大な空間だった。壁には松明が据えられ、揺らめく炎が、整然とした床を照らしている。
その奥に、オークの一団がいた。
前列に、横一列。盾と槍を構えたオークが、八体。木と鉄板を継ぎ合わせたような粗末な盾だが、全員が同じ高さに掲げている。槍の穂先も、乱れなく揃っていた。
その後方、一段高くなった床の上には、石を山のように積んだ一団。投石役だろう。数は、五体ほど。
そして中央の奥に、一回り大きな体躯のオークが、腕を組んで立っていた。分厚い体毛に覆われ、周囲の個体より頭一つ分、背が高い。
誰も、騒いでいない。唸り声一つ上げず、ただ、じっと、入り口の方角を向いて待
っていた。
「……待ち構えてる」
カイルが、息を殺して呟いた。
「こっちが来るのを、知ってるみたいに」
「感情を、読みます」
マルタが、目を閉じた。
しばらくして、静かに目を開ける。
「乱れが、ありません。怒りも、飢えも、ほとんど感じられない。あるのは、ただ……整った、敵意だけです」
「整った?」
「誰かの号令を、待っているような。これまでの個体は、感情そのものが荒れていました。でも、ここは、全員が同じ方向を向いています」
その説明に、リオネルは、広間の様子をあらためて観察した。
*
「あの盾と槍」
リオネルが、声を落として言った。
「誰が持たせた」
「……山で戦ったオークは、棒きれ一本、持っていませんでしたね」
カイルが、思い出すように答える。
「素手で、ただ突っ込んでくるだけで」
「ああ。二層で連携を見せた時、これが本来の姿かもしれないとは思った」
リオネルは、柱の陰から目を離さずに続けた。
「だが、これは、そんな程度の話じゃない。武器を持ち、隊列を組み、役割を分けている。完全に、軍の形だ」
「これまで私たちが戦ってきたのは……」
フィーナが、言葉を探すように呟いた。
「本来のオークじゃなかった、ということですか」
「その可能性は、高い」
リオネルは、静かに頷いた。
荒れ狂うだけの群れと、規律を持った部隊。どちらが本来の姿で、どちらが、歪められた姿なのか。
その答えを、今、この場で出すことはできなかった。
*
その時だった。
広間の奥で、指揮官格のオークが、わずかに首を動かした。
鼻が、ひくりと動く。視線が、ゆっくりと、こちらの柱の方角へ向けられた。
「下がれ」
リオネルが、声にならない声で告げた。
四人は、息を潜めたまま、一歩ずつ、柱の陰から後退した。足音を殺し、通路の脇、ちょうど支柱が重なり合って死角になっている一角へ、身を滑り込ませる。
しばらく、誰も動かなかった。
広間の方から、気配が追ってくる様子はない。ただ、重く、じっとりとした静けさだけが、通路に満ちていた。
「……気づかれては、いないようです」
カイルが、小声で告げる。
「だが、時間の問題かもしれない」
リオネルは、壁に背を預けたまま、頭の中で、見てきた陣形を整理していった。
前列は、槍と盾の壁。後方には、石を構えた投石役。そして、それらすべてを束ねる指揮官格。
あの密度で、あの規律だ。正面から踏み込めば、槍の穂先に押し返され、投石に足を止められる。ゴブリンの洞窟で見た陣形と、似ているようで、決定的に違っていた。
「正面から行くのは、危険だ」
リオネルは、静かに、しかしはっきりと言った。
「ここで、作戦を立てる」
三人が、無言で頷く。
四人は、物陰に身を寄せ、声を落として、額を寄せ合った。




