川辺の礼拝所
フィーナが領主館で働き始めて、数日が経った。
もともと田舎で魔力を見込まれて
王都の魔法学校に行ったものの、
あまりそこでは水があわず、
一人ぶつぶつ話していると怖がられていたらしい。
確かにあの天真爛漫さからすればさもありなんだ。
本人は気にしてなさそうだが。
だが、辺境のこの地に来て、自然と触れ合っているうちに、
周りの自然となんとなく意思疎通ができるようになってきているらしい。
「リオネル様、少しよろしいでしょうか」
朝の報告の場で、エリオットが控えめに切り出した。
「ベルネの外れ、川沿いの墓地なのですが……
夜になると、人魂が出るという話がございまして」
「人魂、か」
「住民の間では、ここ半月ほど噂になっているようです」
書棚の陰から、ゴルドの声が割り込む。
「墓地の近くを、夜に歩きたがる者などおりません。
見間違いか、気の迷いでしょう。
捨て置いてよろしいかと」
「毎回、同じ場所か」
リオネルはエリオットに尋ねた。
「はい……今はあまり使われていない礼拝所の裏手あたり、
と聞いております」
同じ場所に繰り返し現れる。
それが単なる噂であれば、場所までは揃わない。
「見ておこう」
「――は」
ゴルドが小さく息を吐いたが、それ以上は何も言わなかった。
昼のうちに、リオネル、カイル、フィーナの三人で川辺へ向かった。
墓地は町から少し離れた、川沿いの低い土地にあった。
隣には、長らく使われていない小さな礼拝所が建っている。
屋根板は所々剥がれ、扉は蝶番が緩んで傾いていた。
墓地までの道は踏み固められた跡もなく、草に覆われている。
「ここ、しばらく人が来てないですね」
カイルが草を踏み分けながら言った。
墓石の並びに近づくと、湿った土の匂いが強くなる。
いくつかの墓石には、色の変わった帯状の跡が残っていた。
「これは……水位の跡か」
リオネルは屈み込み、墓石の表面を指でなぞった。
「過去に、この辺りまで川が上がったことがあるようだ」
手帳を取り出し、川岸の高さ、跡の位置、
墓地と町との距離を書き留めていく。
ここで深く調べるつもりはない。
ただ、覚えておくべきことのように思えた。
「フィーナ、何か感じるか」
尋ねると、フィーナは地面に手をかざしたまま、
しばらく黙っていた。
「……なんだか、土が苦しそうです」
「苦しそう?」
「うまく言えないんですけど……この下、変な感じがします。
それに、なぜか水に苦しんでる感じもして」
「水に?川はここからでは見えないが」
「はい……でも、そう感じるんです。理由は分かりません」
フィーナは困ったように眉を下げた。
森で覚えた感覚とも、これまでの何とも違う。
自分でも説明のつかない感覚に、戸惑っているようだった。
礼拝所の前まで来たところで、三人は足を止めた。
傾いた扉の脇に、僧衣の上から簡素な鎧を纏った女性が立っていた。
腰には、大ぶりのメイスが下げられている。
旅装のまま、荷物もまだ背負っている。
「あ――どなたか、いらっしゃると思いませんでした」
女性は少し驚いた様子で、それでも丁寧に頭を下げた。
「申し遅れました。マルタ・セインと申します。
本日ここに到着しました」
「リオネル・アーヴェントだ。
先日、この土地を預かることになった」
「領主様……! 失礼いたしました」
マルタは慌てて姿勢を正した。
「本来であれば、
真っ先に館へご挨拶に伺うべきところなのですが……
今日、この町に着いたばかりで」
「館より先に、ここへ?」
「はい。その……変な話に聞こえるかもしれませんが」
マルタは礼拝所と、その裏手の墓地へ目をやった。
「町に入ってすぐ、
この辺りが、少しざわついているように感じたんです。
何と言えばいいのか……落ち着かない、というか」
「ざわついている?」
リオネルはその言葉を繰り返した。
フィーナが口にした感覚と、
方向は違うが、どこか重なる響きがある。
「うまく説明できないのですが、
放っておけない気がして。
それで、館へ伺う前に、まずこちらへ」
「わたしも、なんだか気になってます」
フィーナが小さく手を挙げた。
「土が苦しそうな感じと……
あと、なぜか水に苦しんでる感じもして」
「あなたも……?」
マルタはフィーナへ目を向け、
それから少し驚いたように瞬きした。
「私が感じているものとは、また違うようですね。
私の場合は、感情のようなものを読み取るのが得意で。
この場所には、何かが留まっている感じがするんです。
怯えているような……あるいは、怒っているような」
「わたしのは、そういうのとも、ちょっと違う気がします」
「そう、かもしれません」
二人は顔を見合わせ、互いの言葉を確かめるように頷き合った。
土地そのものの様子を感じ取るフィーナと、
そこに残る感情を読むマルタ。
似ているようで、まったく違う力だった。
リオネルは手帳を開き、
住民やマルタから聞いた目撃場所を簡単な地図に落としていった。
墓地全体ではない。
目撃地点は、礼拝所裏手にある古い一角に集中していた。
「今夜、ここに残って確かめる」
「私もご一緒します」
マルタが即座に申し出た。
「弔うべきものが弔われていないのなら、
放ってはおけません。
それに……このまま館へ向かっても、
落ち着かない気がしますので」
日が沈み、あたりが青く沈んでいく。
風もなく、静かな夜だった。
しばらくすると、礼拝所裏手の暗がりに、青白い光がゆらりと浮かんだ。
「――来ました」
マルタが低く呟いた。
人魂は、揺れながらその場に留まっている。
何かを訴えるように、あるいは何かに怯えるように。
「敵意は感じません。ただ……怖がっています。とても」
マルタがそう言った直後だった。
古い墓の一つで、盛り上がった土が音を立てて崩れた。
黒ずんだ腕が、地上へと突き出される。
「――ッ」
続けて、周囲のいくつかの墓でも土が動き始めた。
「人魂が、私たちを脅していたのではありません」
マルタがメイスを抜いた。
「あれを、怖がっていたんです」
古い墓の土を突き破り、黒ずんだ腕が地上へ伸びた。




