出立の準備
王都を発つ前日、アーヴェント家の屋敷では、リオネルとカイルがそれぞれの荷造りを進めていた。
一週間、世話になった自室を整理していると、父が書斎から、二つの包みを手に姿を見せた。
「戻るそうだな」
「はい。モンスターの流入を、断ちに参ります」
父は、しばらくリオネルを見てから、手にした包みの一つを差し出した。
「持っていけ」
布を解くと、細身の剣が現れた。今まで屋敷で振っていた剣より、明らかに軽い。柄も、片手で素早く扱えるよう、細く仕立てられている。
「レイピア、ですか」
「地図を描き、地形を読みながら動き回るお前には、重く長い剣は向かん。身軽に動けて、咄嗟の一撃を外さない――そういう得物の方が、お前には合っている」
リオネルは、剣を軽く構えてみた。手に吸い付くような、驚くほどの軽さだった。
「これなら、地図を片手に持ったままでも、扱えそうです」
「そのために選んだ」
父は、それだけ言うと、裏手の使用人の住まいへ向かうカイルを呼び止めた。
「お前にも、渡すものがある」
「え、俺にもですか」
カイルが目を丸くする。
包みの中から出てきたのは、鞘に収まった短剣だった。柄には控えめな装飾が施され、刃には、素人目にも分かる上質な光沢があった。
「これは……随分と、いい品じゃないですか」
「正面から斬り合う戦士としてなら、いささか中途半端な得物だ。だが、お前のように、隙を突いて仕留める狩人には、ちょうどいい大きさだろう」
カイルは、しばらくその短剣を見つめていた。
「……ありがとうございます」
「弓の腕は、変わらず磨いておけ。それとは別に、いざという時の備えだ」
父は、そう言うと、二人の顔を交互に見た。
「無理はするな。だが、やるべきことからは、逃げるな」
短い言葉だった。だが、そこに込められたものは、以前よりも、少しだけはっきりと伝わってくる気がした。
「行って参ります」
リオネルとカイルは、揃って頭を下げた。
*
同じ頃、フィーナは魔法学校の校長室で、アルバート校長と向き合っていた。
「一週間、よく持ちこたえたな」
机の上には、フィーナが徹夜続きで書き上げたレポートが置かれている。
「古代語、死ぬかと思いました……」
フィーナは、げっそりした顔で答えた。
「だが、内容は悪くない。卒業を認めよう」
アルバート校長は、引き出しから、小さな腕輪を取り出した。
「これは、倉庫の奥に眠っていた品だ。精霊の声を聞き取りやすくする効果がある」
「わあ……!」
フィーナは、目を輝かせて腕輪を受け取った。
「王都でも、これがあれば少しは……」
「卒業の証、ということにしておこう」
フィーナが喜びも束の間、アルバート校長は、もう一つ、別の品を机に置いた。
円形の、複雑な紋様が刻まれた陣だった。
「ただし、まだレポートとしては粗い部分が多い。精霊魔法の系統は、これで語り尽くせるものではないからな」
「え……これは?」
「転移の陣だ。この学校の書庫から、精霊魔法に関する古代語の文献を、お前の元へ定期的に送るために使う」
「はあ」
「毎月、レポートを書いて寄越すように」
フィーナの表情が、一瞬にして固まった。
「え、ええっ! 卒業したのに、まだ課題があるんですか!?」
「今まで、どれだけ赤点を重ねてきたと思っている」
アルバート校長は、静かに、しかしぴしゃりと言い返した。
「今回のことで、ようやく卒業の体裁が整った、というだけだ。まだ『仮卒業』のようなものだと思っておきなさい」
「仮って……」
「本当の意味で一人前と呼べるようになるには、これくらいの精進を続けて、ようやくだ。もっと励みなさい」
「うう……」
「毎月、待っている」
アルバート校長は、涼しい顔でそう言い切った。
フィーナは、腕輪と転移の陣を両手に抱えたまま、しばらくその場に立ち尽くしていた。
喜びと、げんなりした気持ちが、同時に押し寄せてくる。
「……頑張ります」
絞り出すように、そう答えるしかなかった。
*
マルタは、出発の朝、神殿を訪れ、エルンスト神殿長から祝福を受けた。
「道中、無事であるように」
エルンストの手が、マルタの額に軽く触れる。
柔らかな光が、一瞬、マルタの身体を包んだ。
「お前が授かった神具も、きっと力になる」
「はい。大切に使わせていただきます」
「また、何か分かれば知らせよう。禁忌キノコの噂も、内務卿殿の様子も、こちらで気にかけておく」
「ありがとうございます」
マルタは、深く一礼した。
静かな祝福の中、旅立ちの準備が整っていった。
*
宿の前に、四人が再び集まった。
リオネルの腰には、新しいレイピアが。カイルの帯には、上質な短剣が。フィーナの腕には、精霊の声を聞き取りやすくする腕輪が、そして荷物の中には、ずっしりと重い転移の陣が。マルタの身体には、静かな祝福の余韻が残っていた。
「準備は、整ったな」
リオネルが、三人の顔を見渡した。
「ええ、いつでも」
カイルが、短剣の柄に軽く触れながら答える。
「私も、大丈夫です。……毎月のレポートのことは、考えないようにします」
フィーナが、遠い目をしながら呟いた。
「準備、できています」
マルタが、静かに頷く。
まさに出立しようというその時、リオネルの懐で、小さな光が灯った。
持参していた、対の転移箱――エリオットに預けたものと繋がった品だった。
箱を開けると、中に一枚の手紙が納まっていた。
「エリオットからか」
急いで開くと、簡潔な文字が並んでいた。
『グレイン王領内にオークの群れ出現。至急のご帰還を』
リオネルは、その一文に目を落としたまま、しばらく動きを止めた。
「オークの、群れ……」
「まさか、こんなタイミングで」
カイルが、短剣の柄を強く握り直した。
「モンスターの流入は、今も続いている――辺境伯の言っていたことは、本当だったのかもしれません」
マルタが、静かに呟く。
「急ぎましょう」
フィーナも、表情を引き締めた。
リオネルは、手紙を折りたたみ、懐へしまった。
「行くぞ」
その一言で、四人は馬車に乗り込んだ。
辺境伯の告発、途切れないモンスターの流入、そしてまだ姿を見せない黒幕――解決すべき問題は、何一つ片付いていない。それどころか、今この瞬間にも、事態は動き出していた。
馬車は、グレイン王領へ向けて、王都の門を、急ぎ足で出ていった。




