精霊魔法の書
王都の魔法学校を訪れるのは、久しぶりのことだった。
校門をくぐると、見覚えのある白亜の校舎が、記憶のままに建っていた。中庭の噴水、実技棟へ続く回廊、詠唱の失敗でよく煤だらけになった実習場の煙突。懐かしさに、フィーナはしばらく足を止めて見入っていた。
あの頃は、ここに馴染めなかった。魔法陣はうまく描けず、古代語の詠唱も何度も失敗した。それが今では、こうして少し誇らしい気持ちで校舎を眺めている自分がいることに、フィーナ自身、少し驚いていた。
*
校長室に通されると、アルバート校長は、机の向こうから穏やかな顔を上げた。
「ほう、フィーナか。久しいな」
「ご無沙汰しております」
「派遣先の領主館では、大変な目に遭ったと聞いている。まずは無事で何よりだ」
フィーナは、これまでの経緯を、順を追って話した。
辺境の地で、土や風の自然たちと少しずつ言葉を交わせるようになったこと。風や水を借りて、村を救う場に立ち会ってきたこと。そして今回、悪代官の企みを暴く旅の中で、その力が何度も役に立ったこと。
「まさか、自分が魔法使いとして役に立てるとは、思ってもいませんでした」
フィーナは、正直な戸惑いを口にした。
「魔法陣も描いていません。古代語の詠唱もしていません。それなのに、なぜあんなことができるのか、自分でもよく分かっていないんです」
最後に、洞窟の奥で見た人工的なダンジョンについても付け加えた。
「あんな技術、聞いたことがありません。人工的にダンジョンを作るなんて、可能なんでしょうか」
アルバート校長は、腕を組んだまま、しばらく黙って話を聞いていた。
「まず、一つ言っておこう」
ゆっくりと口を開く。
「お前が魔法使いとして、人を助ける力を発揮している。それだけで、私にとっては、とても嬉しい報告だ」
その言葉に、フィーナは少し肩の力が抜けるのを感じた。
「王都で自然の声が聞こえにくくなるのは、無理もないことだ。人が多く、人工物に囲まれた場所では、自然の化身、精霊たちも人目を避けて息を潜める」
「あの、校長先生」
フィーナは、少し身を乗り出した。
「わたし、詠唱もしてないし、魔法陣も描いてないのに、自然とお話しできて、力を借りられるようになったんです。これって……なんでしょうか」
「前に講義で少しは聞いているはずだが、忘れたのかね。」
「え、あ、えーっと、なんでしたっけ?」
アルバート校長はあきれた声で返答した。
「まったく、君という子は。精霊魔法だよ」
「あ、え、あ、なんかそういえば聞いたような聞いてないような」
「自然の声を聴き、魔力を糧に自然に力を借りる。それが精霊魔法だ」
「本当に、そんな魔法があるんですね」
「今の主流の魔法体系とは根本から異なる、古い系統だ」
「もっと、詳しく知りたいです。学ぶ方法、ありますか」
フィーナが、身を乗り出したまま尋ねた。
アルバート校長は、そう言うだろうと分かっていたかのように、小さく頷いた。
「精霊魔法は、詠唱にも魔法陣にも頼らず、精霊そのものと直接繋がる術だ。それゆえに体系立てて教えることが難しく、教える者もほとんどいなくなった。今では、ほとんど廃れてしまった魔法だよ」
「そんなに、ちゃんとした系統だったんですね……」
「お前が学校に馴染めなかったのは、お前に才能がなかったからではない。ここで教えられる魔法体系と、お前の資質が、根本的に違うものだったからだろう」
フィーナは、初めてその言葉を、実感を持って聞いた気がした。
「人工的なダンジョンの件だが――もしかすると、その精霊魔法の系統に、関わりがあるのかもしれん」
「精霊魔法が、ダンジョンを?」
「あくまで、可能性の話だ。だが、私の知る限り、地脈やモンスターの生態そのものに直接干渉する術は、今の主流の魔法体系にはない。だとすれば、失われた古い技術の中に、答えがあってもおかしくない」
フィーナは、思いがけない繋がりに、しばらく言葉を失っていた。
「ちょうどいい機会だ」
アルバート校長は、立ち上がりながら言った。
「図書館の奥に、古代語で書かれた蔵書が並んだ書架がある。精霊魔法についての文献も、そこにいくつか残っているはずだ」
「現代語で書かれた精霊魔法の本は、ないんですか?」
フィーナは、恐る恐る尋ねた。
「ない。精霊魔法は、ほとんど失われた技術だ。今の世代の学者が、わざわざ翻訳し直すような需要もなかった。残っているのは、当時のまま、古代語で書かれたものだけだ」
「うう……」
「お前は、古代語の単位が赤点だったな」
フィーナの顔が、みるみる曇っていく。
「一週間、王都に留まるそうじゃないか。ちょうどいい。あの書架の文献を読み込み、レポートにまとめなさい。それができれば、正式に卒業を認めよう」
「え、ええっ! 一週間で古代語の古文書を!?」
「無理だと思うなら、今のままでもいい。だが、卒業証書がないままでは、お前の実務経験も、正式な評価に繋がりにくくなるぞ」
「う、うう……。私、勉強嫌いなのにー……」
「嫌いなことこそ、今のうちに片付けておくものだ」
アルバート校長は、涼しい顔でそう言い切った。
フィーナは、しばらく唸っていたが、やがて観念したように頷いた。
「……やります。やりますけど、、、」
「期待している」
*
校長室を出たフィーナは、そのまま図書館へ向かった。
案内された書架は、普段の閲覧室からさらに奥まった一角にあった。古びた革表紙の書物が、埃をかぶって並んでいる。目当ての一冊を手に取ると、表紙にも中身にも、今まで避けてきた古代語の文字がびっしりと並んでいた。
「……絶対大変です、これ」
思わず声が漏れる。
それでも、腕に抱えた書物の重みには、単なる課題以上の何かが、確かに宿っているようにも感じられた。




