実家
王都の一角、アーヴェント家の屋敷は、かつて何度も通った道の先にあった。
実家を出て、辺境の領地へ発ってから、まださほど長い月日が経ったわけではない。それでも、見慣れた道を馬車で進むうちに、リオネルの中に、懐かしさに似た感覚がじわりと広がっていった。
*
門をくぐると、家令が二人を出迎えた。
「リオネル様、カイル。お待ちしておりました」
通された広間には、当主である父が、書斎から出てきたまま椅子に腰掛けていた。
「戻ったか」
「ご無沙汰しております」
リオネルは、型通りに頭を下げた。
父は、しばらく黙ってリオネルを見ていた。値踏みするような視線ではない。ただ、久しく会っていない息子の様子を確かめる、それだけの間だった。
「王領の統治は、うまくいっているようだな」
「はい。おかげさまで」
「ダンジョンを見つけ、代官の不正を暴いたと聞いた。誰も引き受けたがらない土地で、それだけの働きをするとは、大したものだ」
言葉自体は、確かに賞賛だった。だが、その口調には、感情の起伏がほとんど感じられなかった。まるで、報告書の内容を、そのまま読み上げているかのようだった。
「マッパーの力が、思わぬところで役に立ったようだな」
父は、そう続けた。
「地図を読む力が、水路の不正や、隠されたダンジョンの構造を見抜くのに、そのまま活きました」
リオネルは、静かに言葉を返した。
「無駄な力ではなかった、ということだけは、お伝えしておきたく思います」
だが、それだけでは終わらせなかった。
「もっとも、それだけでは足りませんでした。ダンジョンの奥では、モンスターの群れとも、幾度となく刃を交えています。幼い頃に叩き込まれた剣の鍛錬がなければ、地図がどれだけ正確でも、その場に立ち続けることすらできなかったと思います」
父は、その言葉に、わずかに目を細めた。
「そうか」
それ以上、深くは触れなかった。だが、リオネルの耳には、先ほどまでの一言よりも、少しだけ、実感のこもった相槌に聞こえた。
*
カイルの両親は、屋敷に長く仕える使用人だった。住まいも、屋敷の敷地内、裏手の一角にある。
二人が出迎えに出てくると、その様子は、当主とのやり取りとはまるで違っていた。
「カイル! よく戻ったね!」
母親が、両手を広げて駆け寄る。
「元気そうじゃないか。ちゃんと飯は食えてるのか」
父親も、感慨深げにカイルの肩を叩いた。
「まあな。館の飯、結構うまいんだよ」
「リオネル様のお供で、ダンジョンまで行ったんだって?」
「ああ。俺の弓が、結構役に立ってさ」
「そりゃあ、大したもんだ」
母親は、何度も頷きながら、涙ぐみそうになっていた。
その様子を、少し離れた場所からリオネルは見ていた。
*
夕食までの間、リオネルは中庭へ足を向けた。
旅の間も、鈍らせるわけにはいかない。マッパーの力を得たとはいえ、前線に立つ場面は、これまでも幾度となくあった。
中庭では、屋敷付きの使用人たちが、いつものように剣の鍛錬をしていた。リオネルが幼い頃から、共に木刀を振ってきた顔ぶれも交じっている。
「リオネル様、お戻りでしたか」
「久しぶりだな。私も交ぜてもらっていいか」
「もちろんです」
木刀を受け取り、久々に構えを取る。相手を務めた使用人の一人が、懐かしそうに目を細めた。
「相変わらず、筋は崩れておられませんね」
「お前たちに叩き込まれたものだ。そう簡単には崩れない」
打ち合う音が、中庭に規則正しく響き始めた。
カイルも、木刀を手にその輪へ加わった。弓を持ち出す気配はない。
この家は、代々剣の家系だった。弓は、正面から相手と渡り合わない、いわば邪道とみなされている。屋敷の敷地で弓を構えれば、使用人たちの間に、無言の空気が流れることを、カイルは知っていた。
「お前、また剣か」
リオネルが、木刀を構えながら軽く言うと、カイルは肩をすくめた。
「ここじゃ、弓を出すと、皆さんの顔が微妙になるんで。郷に入っては、ってやつです」
「悪いな」
「いいですよ、別に。こっちはこっちで、鍛えといて損はないんで」
二人は並んで、使用人たちの打ち込みを受けた。リオネルの剣筋は、幼い頃から変わらない鋭さを保っていたが、カイルの太刀筋は、いくぶん粗さが残っていた。
「カイル、腰が高いですよ」
年配の使用人に指摘され、カイルが苦笑いを浮かべる。
「くそ、まだまだですね」
「私も人のことは言えん」
リオネルも、久々の実戦形式の鍛錬に、額に汗を滲ませていた。
二人とも、肩書きの上では「戦闘職ではない」とされる身だ。だが、どちらも、体を鈍らせるつもりはなかった。
夕暮れの中庭に、木刀の打ち合う音と、時折上がる笑い声が、しばらく響いていた。
*
夕食の席では、当主である父と、簡単な近況の報告が交わされた。
村々の様子、水路の修繕状況。実務的な話題が、淡々と続いていく。
「不自由はないか」
「ございません」
「何か、困っていることは」
「特には」
会話は、それ以上広がらなかった。
食事を終え、部屋へ下がる段になって、父が一言だけ付け加えた。
「無理はするな」
短い言葉だった。だが、リオネルは、その一言に、わずかながら父なりの気遣いがあることを感じ取った。
多くを語らない家系だった。それは、昔から変わっていない。
*
その夜、リオネルは自室に、カイルは使用人の住まいに、それぞれ一晩泊まった。
翌朝、朝食を済ませたところで、リオネルは父に、王都での用件を短く伝えた。
「城からの呼び出しを待っている間、しばらくこちらに世話になります」
「好きなだけいるといい」
父は、それだけ答えると、書斎へと戻っていった。
カイルの両親は、朝から変わらず賑やかだった。
「毎日でも、顔を見せに来ておくれ」
「わかったわかった」
カイルが、苦笑しながら手を振る。
リオネルは、その光景を横目に見ながら、静かに思った。
実家の敷居を跨いでも、父との間の乾いた距離感は、変わらない。だが、地図の技術も、剣の鍛錬も、無駄にしていないと伝えられたことだけは、今回、確かな収穫だった。
城からの呼び出しを待つ日々が、こうして始まった。




