報告書
洞窟から戻ったリオネルは、その足で執務室にこもり、報告書をまとめる作業に取り掛かった。
机の上には、これまで拾い集めてきた断片が並んでいる。水路の傾き、被害の偽装、入会地の制限、禁忌キノコの密売。そして、あの洞窟――ただ棲み着いていただけとは思えない、ゴルドの統率下にあったとしか思えないゴブリンの群れ。
整えられた三層の隠し部屋には、貴重な調度が運び込まれていながら、争った跡も荒らされた跡もなかった。ゴブリンたちは、あの一角にだけは決して近づこうとしなかったのだろう。同じように、ゴルドの目をかけていた村だけは、なぜかモンスター被害を免れていた。棲み分けというには、あまりに都合が良すぎる。
ペンを取り、書き始めては止まる。それを何度か繰り返した。
事実だけを書き連ねるなら、さして難しい作業ではない。だが、書けば書くほど、その先に横たわる疑問の大きさが、はっきりと形を持ち始めていった。
――代官一人の企みには、大きすぎる。
三層の広間で口にした呟きが、頭の中で幾度も繰り返される。
*
夜更けまでかかって、ようやく報告書の草稿ができあがった。
書き上げたものを読み返しながら、リオネルはペンを置いた。
これを、このまま書面だけで王都へ送るべきかどうか。
しばらく考え、答えは決まった。
(これは、書面だけで済ませられる話じゃない)
人工ダンジョンの技術、ゴブリンを統率していたとしか思えない痕跡――どれも、紙の上の言葉だけで正確に伝えられるとは思えなかった。何より、事の重さを考えれば、誰かに任せて済ませるべき話ではない。
自分の目で見てきたことを、自分の口で伝える。
それが、一番確実だった。
その一方で、内務卿へ一言だけでも先に伝えておきたいことがあった。禁忌キノコの密売と、悪代官の加担。これだけは、王都に着くのを待たず、すぐにでも知らせるべきだと判断した。
リオネルは、その旨を短くまとめた手紙をしたため、封をした。
*
翌朝、リオネルはエリオットを執務室に呼んだ。
若い代官は、いつものように几帳面な姿勢で入ってくると、机の上に広げられたままの地図と報告書の束を見て、わずかに眉を寄せた。
「王都へ、行かれるのですか」
「ああ。この件は、私が直接出向いて説明する必要がある」
エリオットは、しばらく黙って報告書に目を通した。読み進めるうちに、その表情が、次第にこわばっていく。
「……ここまでのことになっていたとは」
「お前にも、負担をかけることになる」
リオネルは率直に切り出した。
「私が留守にする間、領地の統治を任せたい」
エリオットは、一瞬、息を呑んだ。
「私に、ですか」
「他に頼める者がいない、というのが正直なところだ。だが、それだけじゃない」
リオネルは、エリオットの顔をまっすぐ見た。
「お前は、ゴルドの下で、ずっと現場を見てきた。帳簿の裏側も、村の実情も、私よりよほど知っている」
エリオットは、その言葉に、しばらく答えられずにいた。
やがて、深く頭を下げる。
「――お引き受けします」
声には、まだ迷いの色が残っていた。だが、顔を上げたときには、それを押し殺すだけの覚悟が滲んでいた。
「至らぬ点は、多々あるかと思います。それでも、できる限りのことは」
「十分だ」
リオネルは頷いた。
*
話が一区切りついたところで、リオネルは棚の奥から、館に代々伝わる箱を取り出した。
「もう一つ、預けておきたいものがある」
「これは……」
エリオットが、見慣れない箱に目を留める。
「封をした手紙をこの箱に納め、術式を起動させると、離れた場所にある対の箱へ、そのまま転移する。」
「手紙を、そのまま……」
エリオットが、驚いたように箱を見つめた。
「便利な品ですね」
「便利だが、その分、術式の消耗が激しい。そう何度も使えるものじゃない」
リオネルは、箱の蓋を開け、内側の仕組みを指し示した。
「使い方は、これだけだ。手紙を納めて、この石に触れる。それだけで、対の箱に届く」
「かしこまりました」
エリオットは、真剣な面持ちで頷いた。
「これは、本当に危急の時のみ使え。決して、頻繁に使えるものじゃない」
「承知しました。使用は、最小限に留めます」
*
説明を終えたところで、リオネルは懐から、昨夜のうちに書いた手紙を取り出した。
「早速だが、これを送る。内務卿宛てだ」
「今、ですか」
「ああ。お前にも、実際に使うところを見せておきたい」
リオネルは、手紙を箱に納めると、内側の石にそっと触れた。
淡い光が箱を包み、手紙が音もなく消えていく。
エリオットは、その一部始終を、食い入るように見つめていた。
「……これが」
「見た通りだ。次に使う時は、お前がやることになるかもしれない」
「肝に、銘じます」
箱を託されたエリオットは、両手でそれを受け取ると、丁寧に両腕で抱え直した。
もっとも、これで送れるのは、あくまで手紙一枚分の言葉だけだ。
水路の傾き、被害の偽装、密売の全容、そして人工のダンジョンとゴブリンの統率――これほどの子細を、書面だけで伝えきれるはずもない。
だからこそ、リオネル自身が、王都へ足を運ぶ必要があった。
*
書き終えたあと、リオネルはふと苦い笑いを浮かべた。
この、手紙を丸ごと転移させるだけの魔道具ですら、館に一つきりの貴重品だ。そう軽々しく使えるものではない。
――それに比べて、ゴルドは、人一人をまるごと転移させるほどの魔道具を、あっさりと使ってみせた。
手紙一枚を送るだけの品でさえこれほど貴重なのだ。人間を丸ごと転移させる魔道具など、いったいどれほどの値がつくものか、想像もつかない。
一介の代官が、そんなものを、当然のように懐に忍ばせていた。
(やはり、代官一人の話じゃない)
その違和感を、あらためて胸に刻みつけた。
*
執務室を出たリオネルは、その足でカイル、フィーナ、マルタのもとへ向かった。
三人を庭先に集め、事情を説明する。
「王都へ、報告に行く。お前たちにも、同行してほしい」
カイルが真っ先に口を開いた。
「そりゃまあ、俺らも当事者みたいなもんですからね。行きますよ」
「私も、行きます」
フィーナが即座に頷く。
「人工的にダンジョンを作るなんて話、学校で習ったことは一度もありません。王都でなら、何か手がかりが見つかるかもしれません」
マルタも、静かに頷いた。
「神殿にも、久しく顔を出していません。ちょうど良い機会かと」
リオネルは、三人の顔を順に見渡した。
「道中、何があるか分からない。気を引き締めていけ」
「了解です」
*
出発の準備は、数日で整った。
馬車に荷を積み込みながら、リオネルは館を振り返った。
着任したときには、まさかこんな報告を携えて王都へ向かうことになるとは、想像もしていなかった。
だが、迷いはなかった。
この地で見てきたもの、拾い上げてきたものを、正確に伝える。それだけが、今できることだった。
「行くぞ」
リオネルの声に、カイル、フィーナ、マルタが頷く。
四人を乗せた馬車が、王都カレスタへ向けて、ゆっくりと動き出した。




