土と風の声
中部屋の先、下へ続く通路を進むと、空気が一段、変わった。
床の質感は、これまでよりもさらに滑らかで、松明の灯りを跳ね返すほどだった。
カイルが屈み込み、床を検分する。
「……駄目ですね。足跡、ほとんど残ってない」
これまで頼りにしてきた手がかりが、ここでは通用しないらしかった。
通路は、すぐに三方向へ分かれていた。
どれも同じように整えられ、見た目だけでは、どこにも違いが見当たらない。
「さて、どうするか」
リオネルが地図を広げたところで、フィーナが遠慮がちに口を開いた。
「土や風に、聞いてみます」
フィーナは目を閉じ、三つの通路それぞれに、そっと意識を向けた。
しばらくして、小さく息を吐く。
「……こっちは、しばらくまっすぐ続いてます。こっちは、そう遠くないところで、部屋みたいな広がりに」
最後の一本を確かめ、フィーナは眉を寄せた。
「これは……よく分かりません。何も、返ってこない感じで」
精密な地図とは程遠い、ぼんやりとした感覚だった。だが、それでも、何もないよりはずっとましだった。
リオネルは、その言葉を聞きながら、地図に三本の線を描き足していった。方角と、フィーナが語った感触を、そのまま書き留めていく。
「行き止まりか、それとも土や風の声が届かないほど遠いか、どちらかだろうな」
カイルが眉を寄せる。
「何も分からない方って、ちょっと嫌な感じですね」
「だからこそ、だ」
リオネルは、その方角を指した。
「部屋だと分かっているところより、何もつかめない方に、何かある可能性が高い」
「行くぞ」
*
進んでいくと、しばらくして、また分岐が現れた。
一方は広く、まっすぐな通路。もう一方は、体を横にしないと通れないほど細い。
誰の目にも、広い方が正解に見えた。
だが、フィーナは細い方に目を向け、首を傾げた。
「……こっちの方が、続いてる感じがします」
「狭い方が?」
「はい。広い方は、なんだか……行った先で、途切れてるみたいな」
リオネルは、これまで曲がるたびに書き留めてきた地図を広げ、フィーナの言葉を照らし合わせた。
最初の分岐、その先で選んだ道、通ってきた曲がり角の角度と距離を、一つずつ思い出しながら描き足していく。
線を辿っていくと、広い方の道――その進む先を延長すると、もと来た通路と、ほぼ同じ位置で交わる形になった。
「……なるほど」
リオネルは地図を指でなぞりながら言った。
「広い方は、大きく回り込んで、もと来た場所に戻るだけの道の可能性が高い。この先に、新しい場所はない可能性が高い」
「そんなことまで、分かるんですか」
カイルが覗き込む。
「曲がった角度と、進んだ距離を積み重ねれば、大体の形は見えてくる」
リオネルは、狭い方の通路に、迷いなく足を向けた。
「行こう。狭い方だ」
半信半疑の顔をしていたカイルも、地図の説明に納得したのか、今度は素直に後に続いた。
*
狭い通路を抜けると、その先には、確かに道がまっすぐ続いていた。
しばらく進んだところで、カイルが不意に片手を上げた。
「止まってください」
全員が、その場で動きを止める。
カイルは床の一点に視線を落としたまま、しゃがみ込んだ。松明の灯りを近づけ、じっと目を凝らしている。
「……これ、罠ですね」
「どこがだ」
リオネルも屈み込み、カイルの示す場所を見た。
言われなければ、気づかなかっただろう。床の継ぎ目が、他よりほんのわずかに広い。石の色も、心なしか周囲より新しい。
「踏んだ瞬間、ここが抜けます。下に、何かの穴が続いてるはずです」
カイルは指先で継ぎ目をなぞりながら、範囲を確かめていく。
「幅は、これくらい。端の方なら、大丈夫そうです」
「分かった。私が先に行く」
リオネルが慎重に足を運び、罠の縁を伝って歩いた。踏み出すたびに、床の感触を確かめる。
続いてマルタ、フィーナが、同じ道筋をなぞるように渡っていく。
最後にカイルが、もう一度罠の位置を目に焼き付けてから、後ろ向きに、確かめながら渡り切った。
「……よし」
誰からともなく、小さく息を吐いた。
*
罠を越えてしばらく進むと、横道の暗がりから、複数の気配が動いた。
「来ます、六体!」
カイルの声に、全員が反射的に構えを取る。
姿を現したゴブリンたちは、狭い通路に押し出されるように、横並びで迫ってきた。
マルタが真っ先に前へ出て、通路を塞ぐように立つ。
「私が受けます」
最初の一体の攻撃を、メイスで正面から弾き返す。
リオネルはその側面につき、マルタの死角から回り込もうとする一体を、素早く斬り伏せた。
カイルは少し下がった位置から弓を構え、狭い通路の奥、まだ距離のある個体を、次々と射抜いていく。
「フィーナ、そっちは平気か」
「はい、大丈夫です!」
壁際に控えたフィーナは、直接手を出すことはなかったが、いつでも動けるよう、意識を張り詰めさせていた。
マルタが二体目を打ち倒し、リオネルが三体目の脇を突く。
その間にカイルの矢が、残る二体を射抜いた。
最後の一体だけが、なおも突っ込んでこようとしたが、マルタのメイスが、それを許さず、返り討ちにした。
狭い通路に、静けさが戻る。
「……六体、こんなものか」
カイルが、肩の力を抜きながら呟いた。
これまでの積み重ねで、もはや慣れた連携だった。だが、慣れたからといって、油断はしない。
誰もが、そのことを分かっていた。
*
肩の力を抜きかけたところで、フィーナが不意に動きを止めた。
「……この先、なんだか、たくさんいます」
「たくさん、とは」
「これまでで、一番、多いかもしれません」
フィーナの表情に、緊張が走る。
リオネルは、松明の灯りの先、まだ見えない通路の奥を見据えた。
地図には、まだ描かれていない広間が、確かにその先にある。
「一階層とは、比べものにならないかもしれないな」
四人は顔を見合わせ、武器を握り直した。
この階層の主が、その先で待っているのかもしれなかった。




