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街道のワイルドボア

執務室の扉が開いたのは、

朝の報告が一通り終わった頃だった。


「リオネル様、少しよろしいでしょうか」

エリオットが、帳簿を抱えたまま声をかけてきた。


「構わない。何かあったか」

「王都街道の、ベルネに近い区間なのですが……

 ここ数日、ワイルドボアらしき猪の目撃が

 続いております。

 荷馬車の御者から、八件ほど報告が」

地図の上に指を置きながら、エリオットが説明する。

ベルネの北を通る街道は、王都へと続く重要な道だ。

商人や旅人の往来もある。

リオネルが顔を上げるより先に、

書棚の陰からゴルドの声がした。

「この時期、猪の類が出るのは珍しくもございません。

 森が近いですから」


帳簿から目を離さぬまま、続ける。

「猟師に一声かけておけば、じきに片付きましょう。

 わざわざ領主様が気を揉まれるようなことでは」


「目撃は何日前から?」

リオネルが尋ねると、

エリオットが少し戸惑いながら答えた。


「四日前からです」


「二件とも同じ場所か」


「いえ……多少、ずれてはおります」

リオネルは地図に視線を落とした。

街道が森に沿って緩やかに曲がる区間。

目撃された場所は、その曲がりの前後に集中している。

「森の位置と街道の曲がり方を見ておきたい。行ってみよう」


「は――」

エリオットが驚いた顔をする横で、

ゴルドが小さく息を吐いた。

「猪一匹のために、領主様自らお出ましになりますか」


「地図の確認も兼ねている。ついでだ」

それ以上は取り合わず、リオネルは席を立った。


*


「猪一匹、って話でしたっけ」

馬を並べながら、カイルが呆れたように言った。

「猪一匹のために、

 俺たち二人がかりで街道まで来てるわけですけど」


「地図の確認だ」


「はいはい」


街道は思ったより広い。

荷馬車がすれ違える程度の幅があり、

両脇には背の高い木々が並んでいた。


リオネルは進みながら、

頭の中に道の形を写し取っていく。

道幅。傾斜。曲がりの角度。

森が街道に迫っている場所と、開けている場所。

古地図では大雑把にしか描かれていなかった区間が、

少しずつ正確な線に変わっていく。

「このあたりから、森が街道にかなり近づいてるな」


「みたいですね」

カイルが馬を止め、地面に降りた。

しゃがみ込み、道の端に目を落とす。

「これ、掘り返された跡ですね。新しい」

土がえぐれ、木の根元の樹皮が擦り切れている。

カイルは周囲をしばらく見回してから、立ち上がった。

「爪の跡からして、それなりに大きい個体です。

 普通の猪じゃないですね。

 ワイルドボアの、それも育った奴だ」


「猟師の手に負えるか」


「微妙なとこですね。運が良ければ」


リオネルは地図に、掘り返された地点を書き加えた。

目撃情報とは少しずれた場所だ。

動いている、ということになる。

二人が馬を進めようとした、その時だった。


「――ッ!」

遠くから、馬のいななきが聞こえた。

続けて、何かがぶつかるような音。


カイルの表情が変わった。

「馬車ですね」


「ああ」


二人は馬を急がせた。

だが、街道はこの先で大きく曲がっており、

森が視界を遮っている。

物音は聞こえるのに、何が起きているのかが見えない。


「正面から行っても、間に合うかどうか」

リオネルは手綱を握りながら、地形を思い浮かべた。

街道の曲がり方。森の広がり。木々の密度。

そして、頬に触れる風の向き。

「あそこから森に入って回り込む。

 曲がりの内側なら、距離が近い」


「気づかれにくい側、ってことですか」


「風上から近づけば、向こうに気取られる」


「了解です」


二人は馬を降り、森の中へ踏み込んだ。

下草をかき分け、木々の間を縫うように進む。

物音は次第に大きくなっていった。

馬の悲鳴。何かが軋む音。人の叫び声も混じっている。

木々の隙間から、街道の様子が見えた。

横倒しになりかけた馬車。暴れる馬。

そしてその脇で、巨大な猪が牙を振りかざしている。

体高はカイルの腰ほどもあり、背の毛は逆立っていた。


「デカいですね」


「ああ」


カイルはすでに矢をつがえていた。

狙いを定め、木々の隙間から、静かに息を吐く。

放たれた矢が、風を切って飛んだ。

命中したのは首の付け根、急所と呼べる場所だった。

だが。


「――嘘だろ」

カイルが呟いた。


ワイルドボアは倒れなかった。

それどころか、矢の刺さった首をひと振りし、

こちらへ向き直った。

馬車のことなど忘れたかのように、

二人のいる方角へ突進してくる。


「リオネル様!」


「見えている」

リオネルは剣を抜き、前へ出た。

巨体が木々をなぎ倒しながら迫ってくる。

真正面から受ければ弾き飛ばされる。

リオネルは半身になり、

突き出された牙を剣の腹で受け流した。

衝撃が腕に走る。

踏みしめた足元の土が崩れ、

体勢が僅かに乱れた。


その隙を突くように、

ワイルドボアが体を回し、再び向き直る。

「カイル、もう一本!」


「打ちます!」

二の矢が放たれる。

だが、興奮しきった巨体は止まらない。

矢が浅く肩に刺さったまま、

猪はさらに速度を上げて突っ込んでくる。


リオネルは剣を構え直そうとしたが、

しびれの残る腕が思うように動かない。

足場も、先ほどの衝撃で崩れたままだ。

カイルもまた、次の矢をつがえる余裕を失っていた。

巨躯が迫る。

このままでは、防ぎきれない。

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