却下され続けた予算
その日、執務室を訪れたエリオットの表情は、これまでになく硬かった。
「リオネル様、ご報告が」
「何かあったか」
「村で、モンスターの被害が相次いでおります。柵が壊され、畑が荒らされ、先日は家畜が二頭、いなくなりました。夜になると、不気味な鳴き声も聞こえるとのことで」
エリオットは持っていた書類を机に置いた。
「一件二件ではありません。ここ半月ほどで、これだけの数です」
リオネルは書類に目を通した。日付と被害内容が、いくつも並んでいる。
「以前にも、こうした報告はあったのか」
尋ねると、エリオットは一瞬、言葉に詰まった。
「……実は、何度か。傭兵派遣の予算を、申請したことがあるのですが」
エリオットは書庫へ向かい、古い書類の束を持って戻ってきた。
机に広げられたそれは、いずれも却下印の押された申請書だった。日付を見ると、この一、二年の間に三度ほど提出されている。
却下理由の欄に、同じ言葉が繰り返し記されていた。
『自警団ニテ対処可能ト思料ス――ゴルド』
その下に、前領主の決裁印が押されている。
リオネルは一枚ずつ、丁寧に目を通していった。
エリオットは気まずそうに視線を落としている。
「なぜ、これほど繰り返し却下されて、それでも申請を続けた」
リオネルが尋ねると、エリオットは少し間を置いてから答えた。
「村の者たちが困っているのを、放っておけませんでしたので。……無駄だと分かっていても、他にできることがなくて」
その声には、長い間の徒労が滲んでいた。
リオネルは書類を机に置き、立ち上がった。
「今回は、私が判断する。討伐の準備をしてくれ」
「――は、はい」
エリオットの表情に、驚きと、わずかな安堵が浮かんだ。
*
村へ着くと、被害の跡があちこちに残っていた。
壊れた柵、踏み荒らされた畑、消えた家畜のものらしき血の跡。
村人たちに話を聞いてまわる。以前より、口は軽くなっていた。
「もっと早く、ちゃんと相手にしてもらえてたら……」
ある老人が、ぽつりと漏らした一言に、リオネルは何も返せなかった。
カイルはその間、被害現場を一つ一つ丁寧に検分していた。
柵の破れ方、地面に残った足跡、爪の痕。しゃがみ込み、しばらく動かずに見つめる。
「どうだ」
リオネルが声をかけると、カイルは立ち上がった。
「単独じゃないですね。足跡の大きさも、深さもばらばらです。少なくとも十や二十じゃきかないでしょう」
「群れ、か」
「ええ。これは、自警団の手に負える規模じゃないですよ」
カイルの声には、珍しく苛立ちが混じっていた。
ゴルドの言葉――『自警団ニテ対処可能』――が、現実とどれほどかけ離れていたか、実地で突きつけられた形だった。
*
村に留まり、これまでの被害報告を一つずつ聞き取っていく。
リオネルは地図を広げ、日付と場所を書き込んでいった。
最初はばらばらに見えていた被害地点が、書き込むにつれて、ある範囲の中にまとまっていくのが分かる。
村の東側、森に近い一帯。
「この範囲のどこかに、巣があるはずだ」
リオネルは地図を指でなぞった。
ふと、その手が止まる。
これまで書き込んできた地図には、水路や村の豊かさについての記録も、すでに書き込まれていた。
被害地点はすべて、エリオット担当の村々に集中している。
「エリオット」
「はい」
「ゴルド側では、こうした被害の報告があったか」
エリオットは少し考えてから、首を傾げた。
「そういえば……あちら側では、あまり聞いたことがありません。皆無、というわけではないのでしょうが」
リオネルは地図を見下ろしたまま、しばらく黙っていた。
水路も、豊かさも、そしてこれも。
境界を挟んで、どちらか一方にばかり偏っている。
だが、今はまだ、目の前の巣が先だった。
「……まずは、これを片付けよう」
リオネルは自分に言い聞かせるように呟き、地図に視線を戻した。
*
カイルが横から地図を覗き込む。
「足跡の向きからすると、獲物を引きずってこっちの方角へ戻ってるみたいです。あと、糞の量からして、休む場所は一箇所に固まってるはずですね」
二人で候補地を絞り込んでいく。
地図に描かれた地形と、カイルの読み取った痕跡が、少しずつ一点へと収束していった。
「このあたりか」
リオネルが指した場所は、森の奥、緩やかな斜面に食い込むような窪地だった。
*
示された場所へ向かうと、木々の間に、それらしき気配があった。
しっかりとした洞穴というより、切り立った岩の下に、枝や枯れ草を積み上げて作られた、簡素な塒だった。
周囲には、獣道とは違う、何度も踏み固められた跡が続いている。焚き火の跡らしき黒い染みも、地面に残っていた。
「野営みたいですね」
カイルが小声で言った。
「腰を据えた巣、というより、当座しのぎの拠点、というところか」
リオネルは目を細め、塒の様子を見渡した。
中から、低い唸り声のようなものが聞こえてくる。
カイルが片手を上げ、それ以上進むのを制した。
「ここですね」
リオネルは塒の暗がりを見据えた。
地図に書き込んできた点が、ようやく一つの答えに辿り着いた。
「ここか」
呟いたリオネルの声に応えるように、塒の奥で何かが動く気配がした。
二人は顔を見合わせ、その場からそっと引いた。
突入は、今ではない。
態勢を整えてから、改めてここへ来る。
誰からともなく頷き合い、二人は森を後にした。




