四年前
リオネルたちはゴルド側の水路を遡っていった。
フィーナが水路の縁にしゃがみ込み、そっと水面に指先を触れる。
「こっちは、元気ですね」
「元気?」
「はい。すんなり流れてる感じです。
さっきの、詰まってるみたいな感じとは全然違います」
フィーナは水の流れを目で追いながら、どこか嬉しそうに言った。
リオネルは黙って水路の様子を眺めた。
流れは滑らかで、水量も豊かだった。
さきほど見たエリオット側の水路とは、確かに違う。
だが、それだけでは何も分からない。
*
水路を辿っていくと、やがて分岐点の堰に行き着いた。
石を組んで作られた、素朴な堰だった。
特別なもののようには見えない。
近くでは、村人が数人がかりで水路の泥をさらっていた。
「精が出るな」
リオネルが声をかけると、作業をしていた男が顔を上げた。
「ああ、領主様。いつもの手入れですよ。
年に何度かは、こうしてやらないと」
「毎年、この時期に?」
「そうですねえ。特に決まってるわけじゃないですけど、代官様の指示で。
まあ、おかげで水路が詰まることもなくて助かってます」
男は特に隠す様子もなく、あっさりと答えた。
村人にとっては、ごくありふれた共同作業らしい。
リオネルは礼を言い、堰へ近づいた。
しゃがみ込み、堰の石組みに手を触れる。
高さを測り、角度を確かめる。
何度か手帳と見比べながら、同じ作業を繰り返した。
「何してるんですか」
カイルが背後から覗き込む。
「堰の傾きを測っている」
「傾き?見た感じ、真っすぐですけど」
「見た目では分からない」
リオネルは手帳に数字を書き込みながら、答えた。
「わずかに、ゴルド側へ水が流れやすい角度になっている」
「え?」
カイルは堰を見つめ直したが、やはり分からないという顔をした。
「本当に、わずかだ。数センチ、角度にして数度あるかどうか」
「そんなの、誰も気づかないでしょう」
「だからこそ、気づかれなかったのかもしれない」
リオネルは立ち上がり、堰の全体をもう一度見渡した。
毎日そこで水を汲み、浚渫をする村人にとっては、日常の風景でしかない。
わずかな傾きなど、意識する理由がなかった。
だが、水は正直だった。
ほんのわずかな傾きでも、長い年月をかければ、大きな差になる。
*
館へ戻ると、リオネルはすぐに執務室の書棚へ向かった。
古い工事記録を引っ張り出し、机の上に広げていく。
水路や堰の補修に関する記録を、年代順に辿っていった。
しばらくして、リオネルの手が止まった。
四年前の記録に、堰の補修に関する一文があった。
『老朽化ニ付キ、堰ノ一部ヲ修繕ス』
発注の欄には、ゴルドの署名があった。
リオネルはその記録を手に、以前から書き足してきた地図と帳簿を取り出した。
両村の収穫高を、年代順に並べて見比べる。
五年前までは、それほど大きな差はなかった。
だが、四年前を境に、じわじわと差が開き始めている。
エリオット側は徐々に下がり、ゴルド側は徐々に上がっていく。
その境目が、堰の補修があった年と、ぴたりと重なっていた。
「四年前……ここからか」
リオネルは呟き、記録と地図を並べたまま、しばらく動かなかった。
偶然の一致、で片付けられる話ではない。
だが、それを証明する術は、まだ手元になかった。
*
その日の夕方、報告に訪れたゴルドに、リオネルは補修記録を示した。
「四年前、堰を補修させているな」
「はい。あの頃、堰の一部が傷んでおりましたので」
ゴルドは即座に答えた。表情に動揺はない。
「それから、両村の収穫の差が広がっている。
時期が重なっているようだが」
「収穫の差、でございますか」
ゴルドはわずかに首を傾げた。
「天候や土壌の巡り合わせもございますので、
一概には申し上げられません。
堰の修繕と収穫の量に、何か関わりがあるとは、私も存じませんが」
柔らかな物言いだったが、それ以上踏み込ませない壁のようなものがあった。
「そうか」
リオネルはそれだけ言い、記録をしまった。
ゴルドが一礼して下がっていくのを、リオネルは黙って見送った。
*
執務室に一人残ったリオネルは、地図を広げ、今日の発見を書き加えていった。
堰のわずかな傾き。四年前の補修記録。そこから広がり始めた収穫の差。
三つの点が、地図の上で線になっていく。
「四年前、か」
小さく呟いたところへ、扉が開いてカイルが顔を出した。
「次はどこですか」
「まだ、確かめたいことがある」
リオネルは地図から目を離さないまま、答えた。
夕闇が、執務室の窓をゆっくりと染め始めていた。




