水の行方
それから二週間が経った。
執務室の窓から見える木々はもう夏の色を濃くしている。
リオネルが帳簿の整理をしていると扉が控えめに叩かれた。
「リオネル様、少しよろしいでしょうか」
入ってきたのはエリオットだった。
心なしか、顔色が優れない。
「どうした」
「先日ご覧いただいた、あの村の田畑のことです。
……あれから、さらに悪くなっております」
リオネルは手を止めた。
「悪くなった、とは」
「水が、明らかに足りていないのです。
このままでは今年の収穫は望めないかもしれません」
エリオットは言葉を選びながら、続けた。
「村の者たちもようやく重い口を開いてくれるようになりました。
……以前、リオネル様が直接足を運んでくださったことが、
大きかったのだと思います。
あれから少しずつですが、
私にも話をしてくれるようになったのです」
リオネルは手帳を取り出し、二週間前の記録を見返した。
――田畑、生育に差あり。要確認。
あの時の小さな違和感が、
二週間の間にはっきりとした形を取り始めていた。
「行こう」
リオネルは立ち上がった。
*
村へ着くと田畑の様子は二週間前よりも明らかに悪化していた。
葉は萎れ、土は乾いてひび割れかけている。
水路を覗き込んでも、底が見えるほど水量が少ない。
畑仕事をしていた村人たちがリオネルたちに気づいて手を止めた。
二週間前とは、様子が違った。
あの時は、目を合わせようとせず、
代官の話題を出せば怯えて口を噤んでいた。
だが今は、こちらへ近づいてくる者もいる。
「領主様……また来てくださったんですね」
声をかけてきたのは、
あの日井戸端で言葉を飲み込んだ女だった。
「前に来ていただいてから、ずっと考えていたんです。
もしかしたら、今度は聞いてもらえるかもしれないって」
「話してくれ」
リオネルが促すと、女は周囲を一度見回しそれから小さく頷いた。
「水が、急に減ったんです。
去年までは、こんなことなかったのに」
「いつ頃からだ」
「今年に入ってから、少しずつ……。
最初は気のせいかと思ってたんですけど、日に日にひどくなって」
他の村人たちも、ぽつぽつと集まってきた。
「植え付けの頃は、まだましだったんです。
でも、この一月ほどで、急に」
「水路の底が見えるなんて、初めてです」
堰き止められた言葉がようやく溢れ出したかのようだった。
マルタが、その様子を静かに見つめていた。
「前回、話を聞きに来てくださったことが、
大きかったのだと思います」
彼女は小さくそう言った。
「聞いてもらえるかもしれない、
という気持ちが、皆さんの背中を押したのでしょう」
リオネルは頷き、水路へ目を向けた。
*
フィーナが水路のそばにしゃがみ込みそっと水面に手を触れた。
しばらく目を閉じたまま、動かない。
「どうだ」
「……なんだか、水が、来たがってるのに、
来られない感じがします」
フィーナは眉を寄せながら言った。
「せき止められてる、っていうか。
この先の、どこかで」
「せき止められている、か」
リオネルは水路の流れを目で追った。
流れそのものは緩やかで、特別な異常があるようには見えない。
だが、フィーナの感覚が的外れだったことは、
これまで一度もなかった。
「上流を見に行く」
*
水路を遡り、取水口まで足を運んだ。
川からの取水口は問題なく機能しており、
水は十分な量が流れ込んでいた。
リオネルは川の水位、取水口の幅を確かめ、
手帳に書き留めた。
「上流には、十分な水がある」
カイルが川面を覗き込みながら言った。
「じゃあ、問題はこの先のどこかってことですね」
「ああ。分岐点まで辿ってみよう」
*
水路に沿って下流へ歩くこと、しばらく。
やがて、水路が二手に分かれる地点に差しかかった。
片方はエリオット担当の村へ。
もう片方は、ゴルド担当の村へと続いている。
その分岐点に立ったリオネルは、思わず息を止めた。
分かれたばかりのはずの水路なのに、
両者の水量は目に見えて違っていた。
ゴルド側へ向かう水路は、なみなみと水を湛えている。
エリオット側へ向かう水路は、水嵩が明らかに少なく、
底の石がところどころ露わになっている。
「これは……」
リオネルは分岐点に膝をつき、
堰の高さ、水路の幅、傾斜を一つずつ確かめていった。
手帳に線を引き、数字を書き込んでいく。
同じ場所から分かれたはずの水が、なぜこれほど違う量になるのか。
この時点では、まだ理由は分からない。
だが、目の前の光景そのものが、何よりも雄弁だった。
「ゴルド側の水路も、この目で見ておく必要がある」
リオネルは立ち上がり、水路の先、ゴルド村の方角を見据えた。
「今度は、あっちの水路が何て言うか、聞いてみます」
フィーナが、意気込むように言った。
分岐点に立つ四人の足元で、
二つの水路は、同じ川から生まれたとは思えないほど、
違う顔を見せていた。




