マーサの左手
日曜日、リンは緊張していた。緊張からなのか、いつもより一時間も早く目が覚めてしまった。窓を開けると、早朝の清々しい風が入ってきた。
いよいよ今日、マーサの左手を元に戻すのだ。祈りを捧げて、呪いを解くのだ。
これでもダメだったら……
嫌な想像を頭から追い出す。朝日が、街を光に包んでいく。
きっと大丈夫だ! 頭を切り替え、やる気を出すリン。
「はーー、ふーー」
深呼吸をして、マーサの部屋のドアを叩く。
「はい」
「リンだけど、マーサ開けていい?」
「どうぞ」
内側からドアが開く。
「おはようございますリン様。いい天気ですね」
「うん。あの……」
言い淀むリンに、微笑むマーサ。
「左手ですね? 宜しく頼みます」
二人でソファへ座る。いつになく緊張しているリンを不思議そうに見るマーサ。
「リン様、今日は調子が悪いのですか?」
「いいえ。少し集中力が必要で、緊張しているだけ……。始めるわ」
リンは目を瞑り、息を吐く。雑念を追い出し、ただ幸せを祈る。集中し始めると周りの音が聞こえなくなってくる。
しばらくして、鳥の声、風の音が段々と聞こえてきた。目をうっすら開けると、マーサの顔が見えた。
「リン様……」
「終わったわ。左手は……」
マーサの左手はうっすら光を纏っている。マーサの目は見開かれており、震えていた。
「こんな事が、感覚がある」
光がおさまると、左手にあったアザが薄くなっているのが分かった。
「リン様! 左手の感覚があります! こんな事、すごいです!」
マーサは興奮して立ち上がった。
「……良かった」
リンはそう言うのが精一杯だった。
遠くからマーサが何か言っている声が聞こえる。どうしたのだろう、私は……意識が遠くなる。
気がつくとベットに寝ていた。
「リン様、気が付きましたか」
マーサがほっとした顔でこちらを覗いている。
「あれ? 私……」
ぼんやりした頭が次第にはっきりしてくる。
「マーサ! 左手は!」
「リン様、起き上がらずそのままで」
起きあがろうとしたリンは、再び枕に頭を付ける。
「リン様、ありがとうございます。左手の感覚が戻りました。ずっと何も感じなかったのです。それなのに……私なんぞを思って、勉強して下さったリン様は本当に凄いです。感謝してもしきれません」
マーサは涙を浮かべて深々礼をする。
「よかった……私はまだ半人前だから、徐々に取り戻していきましょうね」
「はい」
その時、リンのベットに黒猫が飛び乗った。
「リン、気が付いたようだね」
声はレイである。
「レイ?」
「マーサの左手に効果のある魔法を見つけるなんて、流石だね」
「ありがとう」
「マーサも少し休むといい」
レイがチラッとマーサを見る。マーサは少し驚いた表情をした。
「今は興奮しているから平気かもしれないけど、祈りをするのも、受けるのも力を使うことだよ」
「マーサ大丈夫?」
リンは心配そうにマーサを見る。
「ありがとうございます。レイ様は鋭いですね……失礼ながら、休ませていただきます」
マーサは従者に連れられて、リンの部屋から出て行った。やはり、痩せ我慢をしていたようだ。
「レイ、知らなかった。こんなに力を使うのね……禁書に祈った時は平気だったのに」
リンは天井を見て言った。
「リンは無理するんだから。もう少しおやすみ」
リンはリラックスして目を閉じたのであった。
◇
マーサの左手は感覚が戻り、アザが薄くなった。まだ元通りになるには時間がかかるが、何の効果もなかった今までからは大きな進歩である。
治る兆しを見つけて、リンはホッとしていた。祈りが届かなかったらもう打つ手がなかったのだ。
本当は毎週、祈りを捧げたかったのだが、毎回力を使い果たすのはマーサもレイも許さなかった。
「急がなくていいのです。リン様が寝込むようなら、マーサは今のままで充分なのですから!」
マーサは優しく、リンを心配しているのがとても伝わってきた。
「祈る対象が物と人、呪いの程度、それぞれで使う力も変わってくるんだ。禁書が初級だとしたら、マーサの左手は上級。まだ勉強を始めて間もないリンが、寝込むのも分かるだろう?」
紫の瞳をリンから全く逸らさず、淡々と諭すレイは怖い。
二人の説得により、二、三週間に一度ずつ。祈りを捧げていく事になった。二回目で指先が、三回目で指全体が、四回目でアザが消えた。
「リン、頑張ってるね」
「うん。だんだん祈ることが自然に出来るようになってきたの」
嬉しそうなリンに、レイも微笑むのであった。
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