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魔王の守人  作者: 木賊苅
1部
23/33

幕間3

 莉央乗っ取り事件から二週間。煌は地道に体力作りから始め、ひと月前までとさほど変わらないほどにまで回復していた。唯人からの許可も――半ば強引にだが――得て、より一層自主練に力を入れる。

 アルスからの情報からすれば、あと一週間ほどでこの学園は“旧王妃派”に襲撃を受ける。それまでに元通りか、今まで以上の力を身に着けていなければならない。



「九十九………百」



 ぴたり、と無心に行っていた素振りを止める。せっかく回復したというのに、今無茶して悪化しては困る。

 朝も早いため人気のない鍛錬場の隅に腰を下ろし、拾い上げたタオルで顎を伝う汗を拭った、その時。



「あれ、煌君、休憩?」



 声のした方に顔を向けると、莉央がその後ろにカークを従えて入口に立っている。



「おー。やりすぎっと校医総務長殿が五月蝿いからな」



 ベッドにくくり付けられんのはゴメンだ、と差し出された水筒を受け取った煌は苦笑を返す。以前何度も実行された覚えがある身としては、本気で避けたいところだ。ふふ、と笑みを零した莉央がその隣に腰を下ろす。カークは彼女を送ってきただけだったのか、用事があると言って姿を消した。

 しばらくの間、二人は無言で空を見上げていた。雲一つない青空を、時折鳥たちが横切る。



「あの、さ」



 煌が口を開き、莉央が視線を横に向ける。彼女はいまだ空を見つめていた。



「前、虹が出てた時。無意識に口ずさんでたの、何て曲だって聞いただろ?」



 目を瞬かせ考え込むように固まった莉央は数秒後、あぁ、とその時のことを思い出した様子で何度か頷いた。あれは、ローズクイーンが来襲した日だった。まだひと月も経っていない、そう遠くない過去の話だ。



「あれさ、曲名は知らねぇけど、母さんの故郷で昔に流行った歌らしくて。オレも好きで、よく強請って歌ってもらってたんだ。全部はもう覚えてねぇけど、内容は確か、ひとりぼっちだった奴に初めて友達が出来たってのだったと思う」



 煌は両手を頭上に突き上げ、勢いをつけて立ち上がった。彼女の白銀の髪が、降り注ぐ日光に反射しキラキラと輝いた。眩しそうに目を細める莉央を、振り返った頭上に広がる空よりも深い蒼が見つめる。



「この歌の主人公は、オレに似てる……………………ルシアや、雪華とも」



 ぴく、と莉央の肩が揺れた。意識を取り戻したあの日以降、煌は一言もルシアの名も彼に関することも口にはしなかった。周囲が敏感になるのもやむを得ないだろう。



「オレとルシアと雪華。オレ達は此処に傷を持ってたんだ」



 簡単には消せない、深い深い傷。

 ぎゅう、と心臓の上に置かれた手がシャツを掴み皴を作る。



「周りから疎まれて、怖がられて、心を許せる奴なんか何処にもいなくて………………」



 いつもいつも、ひとりぼっち。煌は両親とその誓人、理事やユーファがいたからまだいいけれど、それすらいない二人は彼女の生よりも長い年月を孤独に過ごしていた。



「それは、自分は人間じゃない、て言葉と関係があるの……………?」



 膝の上で握りしめられている拳に視線を落とした莉央の問いに、煌は再び視線を逸らす。そして、何処か寂しげに笑った。



「オレのこの見た目は、父さん譲りなんだ」



 付き合いの長い理事が生き写しだと何度も言うレベルで、煌と彼女の父親である皇夜はよく似ている。色彩だけではなく、見た目だけで言えば性別が出るところ以外はほぼ完璧と言ってもいいほどに。

 何が言いたいのだろう、と言わんばかりに莉央の顔が怪訝そうに顰められる。が、続けられた言葉に思わず息を飲んだ。



「父さんは魔族と天族の間に生まれた混血児。そして母さんは、二十年前に魔界天界以外の世界からこの世界に落ちてきた異人」



 言葉を失った。

 天族と人間、魔族と人間といった異族間での婚姻は、非常に珍しくはあるが全くないというわけではない。誓約を交わした両者の間に愛情が芽生え、恋人になったり夫婦になったりする者もいる。かなり子供が出来にくいと聞くが、出来ないわけでもない。実際、一つの国に数組は存在すると言われている。が、それが魔族と天族の間となったら話は別だ。人間と他族のカップルがいるのだから、いるにはいるのだろう。歴史上ではいたという記録も残っている。今現在において、会ったことがあるという人物は聞いたことがないが。

 そして、異人。現在この世界と交流を持っているのは魔界と天界の二つのみ。魔族は魔界と人間界を、天族は天界と人間界を自由に行き来することが出来る。この三つの界、これらを住人達は“トレアイト”と呼んでいるが、そこ以外の異なる世界、異界から何らかの理由でこの世界に落とされてしまった者を、異人と呼ぶ。彼らの人口は魔族と天族のカップルよりも更に少なく、百数十年に一人の割合で落ちてくるともいう。

 でも、そうだとすると、そんな二人から生まれた煌は……………………



「そう。オレの中には、この世界の人間の血は一切流れてない」

 心臓の上にそっと手を置く。



 魔族でも天族でも、ましてや人間ですらない。では一体何なのか。



「……………化け物」



 ぽつりと呟かれた言葉に、莉央は弾かれるようにして思わず俯かせていた顔を上げる。しかしそこには予想したような傷付いた表情はなく、静かな蒼が空を見上げていた。



「そんな風にいつも罵られてた。でも言い返せなかったんだ。その時のオレは多すぎる魔力の制御がきかなくて、時々暴走させてたから」



 街に行けば陰口を叩かれ、子供たちには罵詈雑言とともに石を投げつけられ。自分が生きている意味すらわからなくなった頃もある。



「そこから救ってくれたのは、ルシアや雪華だ」



 雪華がいなければ、近い将来笑えなくなっていただろう。ルシアがいなければ、明日がくることを楽しむということを忘れていたかもしれない。

 二人に出会った今、“たられば”は存在しない未来で過去だ。

 暗い暗い海の底に沈んでいたのを引き上げてくれた二人。

 そんな二人だからこそ、



「オレにとっては、あいつらこそが光だったんだよ………………今は、それがたくさんあるけど」



 莉央もいるしな、と小さく表情を緩ませた煌に、莉央は嬉しくなって笑みに顔を崩す。目尻に浮かんだ涙は、膝を抱えた腕に擦りつけて拭い取る。

 煌は記憶を取り戻してから少しだけ、その身に纏う空気が柔らかくなった。辛いこともあったかもしれないが、それ以上に大切にしていた日々を思い出すことが出来たからだろうか。今まで周囲に向けていた、無意識下での警戒心という高い高い壁が、だんだんと低くなっていっている。そう莉央は感じる。少なくとも、己の過去や事柄を自分の口で話してくれるレベルには、気を許されている。それが嬉しい。



「さ、てと……………十分休んだことだし、そろそろ自主練に戻りますかね」



 莉央に視線を落とし、ニッと笑みを浮かべた煌は、立てかけていた木刀を拾い上げる。何だか一人で語り過ぎた気がする。少し気恥ずかしくて、誤魔化すように肩に担いだ

 踵を返したところで、煌君、と名を呼ばれ足を止め、顔だけで振り返る。



「絶対に王様、取り戻そうね」



 だから練習、ファイト!

 拳を突き上げる莉央に、おぅ、と苦笑と共に頷きを返した。



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